当たり前のことで、あえて言うまでもないのですが、お米作りは一年に一回しかできないんです。そうであればこそ、無事な収穫を願う。農家であれば誰しもそう思うと思います。どんなにお米作りが経営的に間に合わないものになっているとしても、経営的に、そしてもしかしたらそれ以上に、作物そのものが実を結ぶことを願う気持ちはとても強いと思います。少なくとも、自分ではそうです。
その稲や畑の作物が、この時期に水没してダメになってしまう…。そのダメージたるや、どれほどのものであるのか、おおよそは想像できるのです。でも、現実は間違いなく、自分の想像の何倍も何十倍にもなるのだろうと思います。
今年得られるはずの売り上げは、今年の経費を払うためのものでありました。ローンで買った機械や設備の支払いに充てられるはずのものでありました。生活費の一部もしくはすべてに向けられるものでした。農協であれ、直売所であれ、直接のおつきあいのお客様であれ、あるいは家を離れて暮らしている子や孫などに届けて、喜んでもらえるはずの食べものでした。そのほぼすべてが難しくなるのに加えて、復旧という重い課題がのしかかってきます。
気力を振り絞って、持続させて、収穫(時期)は、来年の*月…。
こんなことがしょっちゅうなのに、戦争をやめたくない気持ちはますます強く、この先何年にもわたっていろいろ買うことにしたり、よその国にはポンポンお金を配る約束をする。そのお金って、ごくごく一部の人たちにしか渡らないんですよね。しかも、いさかいをさらに助長することにつながるお金。それなのに、「それでも良いよ」とか「よくわからない」を繰り返し続けるひとたち。
いろんな意味で、お米作りは一年に一回なんです。その一回さえも、できない人が多くなっているんです。来年の収穫の日を、何とか迎えられますように。
当地でも、稲の穂が出始めました。あと2か月弱。無事その時を迎えられますように。