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今だったら何となくわかるような気がする2

2023-03-26 | 日記

続き

 

 自分には、健康で動き回る祖父がいました。90歳近くまで、家の周りのいろんなことをしてくれ、91歳まではどうにか自分で自分のことをやって過ごしていました。

 そんな祖父から見たら、てきぱきと仕事をこなしていけない私のことは、おそらくもどかしく思えたのではないかと思います。あれはまだだろうか、こっちはいつになるのだろうというような具合に、たえず気にしていました。そのため、私を待てなくてつい手を出してしまうこともあったし、いつまでも自分が気になっている作業に取り掛からない私の動き回る様子を、何か言いたげに見ていることも多かったように思います。若い時は、それがとてもイヤに思えたし、どうして知らんぷりしていてくれないのかなーと恨めしくも思ったものでした。

 

 その時からもう30年くらいが経ちました。今自分が60歳を過ぎて、その時の祖父の年齢にはまだだいぶありますが、それでも何となく、今だから湧き上がる思いや、少しはわかる気がする思いがあります。

 祖父は自分の心身の健康のために、毎日動いていたことでしょう。いつも周囲から遅れがちな孫の仕事ぶりを見て、そして例えば実際に、周囲の田んぼ作業の進み具合に比べて遅れている我が家の状況が気になって、ついつい手を出してしまっていたのかもしれません。それが若い孫をいらだたせることにつながっているとは、思いもせずに。若い時は、仕事ができないくせに、手を出されることを受け入れる度量がありませんでした。いや、それは今もなんですけどね(苦笑)。

 

 そして祖父が一年いちねん年をとって、まだまだいろんなことができながらも、だんだん手を出すことが無くなった時、私の仕事ぶりを何となく見ていることも、増えてきたのでした。

 じっと見ていられると、何となく窮屈なものです。なぜそんなふうに見ているのか想像したりしましたが、今思うと、その時に思い浮かんだ理由は、自分が年を重ねるにつれ、違っていたように思えてきました。

 何かアドバイスや監督をするために見ていたんじゃない。ただ何となく見ていたんだ。遅いながらも作業が進んでいくのを、多少なりともうれしく思いながら(安心しながら)見ていたのだ。そんなふうに思うようになりました。もちろん、これは想像なので、実際はどうだったのかはわかりません。今となっては確かめようもないことです。

 

 その時、どうしてやわらかい言葉で接してあげられなかったんだろう。そんなことをふと思ったりもするのですが、四六時中いっしょで、そうしたことができるんだったら、苦労はありません。

 

 まぁ、そんなことはさておき、加齢とともに、考えることは少しずつ違ってきますねー。そして、若い時には想像することができなかった親や祖父母の思いを、あらためて思い浮かべたりします。それは意識的にではなく、時にふと、というような感じです。その想像が当たっているかどうかは、イタコによる仏降ろしでもしない限り、わかりません。

 ふと確かめてみたくなる自分が、たまにいます。


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