新・名も無い馬ですが・・・・・

2013年11月3日に旅立ったマイネルスティング。
その想い出と一緒に、これからも名も無い馬たちの応援をしていきます。

流され続けた先に待っていたものは・・・・ハルウララの馬生

2014-08-04 | 日記
何気にカレンダーを見たら、あれっ、もう8月!
テレビの気象情報を見たら、あちこち30度とか30何度とか、凄い事になってます。
世の中、真夏で夏休みで・・・・・だから忙しいのか。
月も日も、曜日も全くもって意識する時間も無く、ただただ毎日の仕事に追われています。

ますます世間から遠ざかっている感満杯のエドリンです、こんにちは。



    

2003年、ある1頭の牝馬が世間の注目を集めました。
高知競馬で走る ハルウララ という馬です。
負けても負けても走り続ける姿が、けな気でいじらしいと人気を集め、何とかウララに1勝を・・・と願う人々が増え、ウララの出る日には観客が倍になるほどでした。
ついにはウララ関連の本が出たり、映画化の話が出たり、中央競馬の人気騎手、武豊Jまで登場と、競馬には関心のない人達までもその名前を覚えるほどの人気を得たのでした。
それまで存続を危ぶまれていた高知競馬が、危機を回避できたのはウララのおかげといっても異論はないでしょう。

ハルウララ    父ニッポーテイオー、母ヒロイン(母父ラッキーソブリン)
1996年2月27日生れ

「負け組の星」として一躍脚光を浴びたウララ。
何気に立ち寄った本屋さんで買ったウララの本。
その本で私はずっと心に引っかかっていたチタニックオーの消息を知ったのでした。
それまで諦めていたチタニックオーが元気に生きていた。
どれほど嬉しかったかは、「わが心のチタニックオー」というページに書きました。(良かったら読んでみてくらはい

それ以来、ハルウララの名前はチタニックオーと重なり、私の心に深く刻まれたのでした。

ブームはいつか去るものです。
ハルウララの名もいつか世間の話題から消えていきました。

ときおり馬仲間から入って来る話で、新しい馬主が現れて、ウララをサポートする会が出来た。
その馬主と調教師さんとの意見が合わず、強引にウララは高知から連れ出され、引退したようだ。
ウララのグッズ関係の金銭的な事で高知競馬ともめている、というようなとこまでは知っていました。
そこから先のことは風の噂でちらほら聞くだけでした。
その後、会はほとんど立ち消え状態で、ウララはどこかの牧場で生きているらしい。
その馬主がウララにディープインパクトを付けると云ってるとか、大手の牧場に何千万かでウララを売ると言ったとか、笑えない様な話が多かったです。

ウララの会に入っていらした方たちから出る言葉は、その代表さんの人間性を疑う様な事ばかり。
誰もがウララを心配しながらもどうにも出来ない状態で月日は流れていきました。

                   

このウララブームの前に、脚光を浴びた1頭の牝馬がいました。
ウズシオタローというアングロアラブの競走馬です。
今はアングロアラブのレースは全くなくなりましたが、以前は“ア・ア”という印がついたレースがありました。
最初、園田競馬に入厩したのですが、そこではデビュー出来ず、益田競馬(今はもうありません)所属になりました。
もともとは違う名前だったそうですが、移動する時の馬運車で係の人が名前を取り違えてしまったのだとか。
なので、牝馬なのにタローになってしまったそうです。
このウズシオタローが何故有名になったかと云うと、彼女は、1977年にデビューして1987年に引退するまでの11年間に走りに走って250回、これは2007年に高知競馬のヒカルサザンクロスが251回を記録するまで破られなかった記録でした。
その距離、326キロメートル。
この頑張りが人々の気持ちを動かし、引退レースには「ウズシオタロー記念競走」と名付けられ、引退式では、プロ野球の鉄人と呼ばれた広島カープの衣笠選手から “渦潮のごとく走りし鉄馬かな” という句を贈られています。

私が彼女を知ったのは、名馬シンボリルドルフと比較されたコマーシャル(だと記憶してます)を見てからでした。
ルドルフはたった16戦で何億もの賞金を稼ぎだし、ウズシオタローは250戦して430万、その走行距離の比較もしていたと思います。
何のコマーシャルだったか覚えていませんが、中央と地方じゃこんなに違うんだなぁと思ったことを記憶しています。
そしてウズシオタローは引退し、人々の記憶からも消えていきました。

再び、その名前に出会ったのは2008年に引退馬協会のツアーで、ある養老牧場さんをお伺いした時でした。
お馬の墓碑がある場所で、一つの墓石にウズシオタローの名が・・・・!
場長さんにお聞きしたところ、ウズシオタローは引退後、「湘南動物プロダクション(現、市原ぞうの国)」で、タレント兼繁殖として暮らしていましたが1991年にそこを引退し、4人のファンの方達が引き取り、ここイーハトーブオーシャンファームで余生を過ごしていたそうです。
そして2007年、老衰で亡くなったのだそうです。

そのうえ何と、1989年にメジロムサシ産駒のアングロアラブ、ライトオスカーとの間に牝馬をもうけ、その産駒が今も「市原ゾウの国」でタレント活動をしながら子孫を残しているのだとか。


何故か私は、ハルウララを思う時、このウズシオタローも思いだしてしまうのです。
2頭とも、競走馬としての成績以外の事で脚光をあび、人の目にさらされてきました。
結果として、ウズシオタローは幸せな余生を得られたわけですが、ハルウララはどうなったのでしょう?


ウララは、1年3か月前に千葉県にある「マーサファーム」に預けられました。
最初は名前を隠していたそうです。
そして、やはりというか預託料の不払いが続き、馬主と話し合いの結果、「これだけファンのいた馬を処分するのはしのびない」とマーサファームさんで引き取って下さったのでした。
そして、公表の時期を待ち、引退馬ネットのサポートホースとして生きていくことになりました。
今まで人の欲に振り回され流され続けてきた日々、ウララは何を思い、どんな気持ちで過ごしていたのでしょう。
可愛がられていた高知の人々から切り離され、金儲けの道具として生かされてきたと思われる日々。
そのせいなのか、マーサ牧場に来たばかりの頃はかなり気難しい仔だったようです。
1年過ぎた今は、落ち着きを取り戻し穏やかな馬に変わってきているとか。
ここは安心できる場所、もうあちこち行かなくても良い、自分らしくのんびり生きていいんだと理解したのかも知れません。
人の思惑に流され続けてきた馬生に今やっと、ピリオドが打たれたのです。
ハルウララ、ついに終の棲家にたどりつきました。

これからのウララを見守って下さる会員さんを募集しています。
彼女を支えてあげたいと思われる方はこちらを覗いて下さい。
             
 春うららの会 



            
            現在のウララです。 優しいまなざしになりました。  



            
                          (引退馬協会さんからお借りしました)








オキテ君の幼少時代、お守役をしてくれたブリダー婆ちゃんことブリダーズフライトが8月4日、虹の橋にお引っ越ししました。
少し前から食欲がなくなったとお聞きしていましたが、ニンジンだけは食べると云うので送ったところでした。
何度か倒れながらもニンジンパワーで復活してきましたが、ついに昨夜、脚の骨折が判明し立てなくなってしまったとのことでした。
そして今朝、安らかにスティングの待つ空へ旅立っていったそうです。

アメリカから輸入され、繁殖さんとして立派な成績を残し、余生を過ごすために坂本牧場さんにやってきました。
代表産駒に2014年度阪神スプリングJ(JG2)優勝馬ケイアイドウソジンがいます。
牧場でのんびり暮らしながら、おちびさん達のお守役を頑張っていました。
1985年8月3日生れで29才になったばかりでした。
ブリダー婆ちゃん、お疲れ様でした。
スティングに会ったら、オキテやチビさん達のこと沢山話して下さいね。
ご冥福を祈ります。


       
        亡くなる少し前のブリダー婆ちゃんです。




       


                       

       
       スティングの新居のそばに、こんなに奇麗なグラジオラスが咲きました。
       仲良しだったブリダー婆ちゃんをお出迎えするためかな?






                             




       
      ゴーちゃんも寂しそうです。 それと辛いオムシの時期がやってきました。 涼しくなるまでガンバ~!!



      
       我らがアイドルモッヒー君は繋いでいる鎖でかきかきしてます。



      
       「体が柔らかいからできるんでしよ」 byモッヒー



            


    

岡山の吉備ひだまり牧場さんに移動したふしぎちゃんこと、ダンツシンガーとフッちゃんことストロングフローラの会ができました。


        吉備ひだまり牧場おひさま会


詳細はフェイスブックでご覧ください。



        
         ふしぎちゃんとふっちゃんです。(昨年11月撮影)




    


名古屋で頑張っているオキテ君の妹ちゃんが7月28日、競走馬デビューにむけて川崎競馬へ出発しました。
競走馬名はまだ決まっていませんが、わかり次第お知らせしますね。
デビューが決まったら応援よろしくお願い致しま~す(ペコリ)。



        
         



        
        「お兄ちゃんには負けないわよ~」 by妹




    


台風の影響で大雨に襲われている地方の方たちへ、心からお見舞い申し上げます。
どうぞこれ以上被害がでませんように・・・・・(祈)。




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4 コメント

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Unknown (毛玉)
2014-08-04 22:04:16
競馬を知らなかった私が名前は知っていた馬の一頭が 「ハルウララ」です。今、競馬を知らない私の知り合いも、幅広く、この名を知っています。
ハルウララブームは、いかにも日本らしいものだと思います。
生きていてくれた事は、嬉しかったけど、ウララの会。ずっとずっと、安定してほしいです。
ウズシオタローさん
沢山頑張って、天寿を全うできて、良かったと思います。
セニョールベストさんも、そうあって欲しいです。

ブリダー婆ちゃん
お疲れ様でした。
ゆっくりお休み下さいね。

オキテ妹もこれから!頑張って!

モッヒー、ゴーちゃん
ガマンやで~~
旅路の果てに… (らすかる)
2014-08-05 01:06:52
こんばんは。
多忙期間が終わったら、山から下りてきてくださいね。
御実家の方は炎熱地獄の暑さかもしれませんが…。

ハルウララ、ずっと心の中でもやもやの残る存在でした。
そもそも、負け続けることで注目される、そのこと自体が
私にとっては「?」でした。
確かに彼女のおかげで、高知競馬は救われたかもしれない。
でも、人のうわさも七十五日、やがてブームが去れば、
またもとの閑古鳥ではないのか。
それよりオグリキャップのような(いい過ぎ?)強い馬が
地方から這い上がってくるのが競馬の醍醐味ではないのか。
そんなことを思っているうちに、彼女はよくない噂とともに
姿を消しました。

金儲けしか頭にない人間の手に落ちた、それも運命だと
諦めていたのも事実です。
腹立たしいことではありますが、私はそこに手を突っ込めるような
社会的地位があるわけでもない。
そうして時は過ぎていきました。

「ハルウララが千葉にいる」。
それを知って、そんなもやもやが少し晴れた気がします。
恐らくは、人間不信に陥ってカリカリしていた時期もあるでしょう。
でも、馬の運命を左右するのも人間次第。
終の棲家を得て、再び穏やかな生活を取り戻したことと思います。
今まで彼女のことを話題にするのは憚られるような雰囲気も
ありましたが、これからは温かく見守ることができますね。

最後に、ブリダーばあちゃん、長い間お疲れ様。
今頃はスティングと再会できたかな?
虹の橋の向こうのまきばを仲良く走り回っている姿を、
何となく想像してしまいました。
毛玉さん (エドリン)
2014-08-05 15:13:10
いろんな事を考えさせられたハルウララ問題でした。

ただ、今となって思うのは、生かしていてくれて有り難うという気持ちです。

面倒になったり、嫌気がさして、最悪の場所に売り飛ばされなくて、本当に良かったと心底安心しました。

今はもう、過去は流して、これからの馬生を、新ハルウララとして生きていってほしいと願っています。

オキテ妹はなかなか逞しい馬体をしていて、利かん気も強そうですので、期待できるかも、です。

オキテがあの年代の時は、のほほ~んとしていてまだまだ幼かった気がします。

とにかく無事に!それが一番ですよね。

応援、宜しくで~す。
Re:旅路の果てに… (エドリン)
2014-08-05 15:24:32
らすかるさん、お久し振りです。

ウララ、良く生きていてくれたと思います。

あの馬主さんも、心底は馬が好きなのでしょうね。

きっと維持していくのは大変だったと思いますよ。

とにかく今は、これからの余生を溢れるくらいの幸せでおくってもらいたいと願うだけです。

ブリダー婆ちゃんは、ニンジンさえ絡まなければ良い子守りさんでしたね。

ニンジン命でしたから、チビさん達に食べさせるのが大変でしたよね。

なつかしい思いでですね。

スティングもいない、お向かいにブリダー婆ちゃんもいない、寂しくなります。

山から降りたら、モッヒー君を慰めに行きましょう!

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