今年は本当におかしな天気が続きます。
大雨で被害にあわれた方たち、ペット達に心からお見舞い申し上げます。
猛暑の夏が過ぎ、いつの間にか季節は秋です。
日一日と長い冬へと近づいています。
そんなところへ“わぉ~っ!”と驚くニュースが飛び込んできました。
9月11日のレースの前日、台風の状況をお聞きしようと、オキテの厩務員さんに連絡を入れたところ、「台風の被害は大した事はなかったですが、オキテの走りが悪くなってきています」と返信がきました。
何となく胸騒ぎがしていたのですが、それを裏付ける様に結果は7着。
2014年の5月以降、オキテが掲示板を外したのは、初めての女性騎手さんが騎乗した時の1度だけでした。
勝てなくても、常に馬券に絡むか掲示板に載る。
私はそれを「オキテの掟」 と呼んで、ちょっと自慢に思っていました。
それが直線で騎手さんが殆ど追う事のない7着。
何か嫌な予感がしました。
そして翌日の早朝6時、電話がなりました。
オキテの厩務員さんでした。
一瞬、血の気が引いた感じがしました。
その内容は私が案じたものではありませんでしたが、それでも驚くのには十分なものでした。
昨日のレース後、オキテのオーナーさんからの電話でオキテの引退が決まったこと。
そして調教師さんからオキテの件は任せられたからと朝一で私に連絡をくれたのでした。
「もちろん、引き取ります」 そう答えて電話を切ると、すぐに引退馬ネットの方に連絡を入れました。
そしてオキテは今、千葉の“アクシス乗馬クラブ”さんに一時預かりとして移動してきています。
ここで3カ月をめどに休養し、その後引退馬協会のあるイグレット乗馬クラブで「再就職支援プログラム (元フォローアッププログラム)」で乗馬としてのレッスンを受け、第2の仕事先を探して行きます。
乗馬を引退する年齢になったら産まれた牧場に帰り余生をすごす、これがこれからのオキテの青写真です。
思えば4年前、1才だったオキテが、まだ元気だったスティングと毎日走ったり、相撲をとったりしていた頃から、ずっとオキテの先生きを心配していました。
近い将来、競走馬として旅立って行くだろうオキテの引退後、どうなっているのだろう、どうしたらよいのだろう・・・。
私にずっと見ていけるだけの資力と若さがあったら・・・そんな事を考えるにつけ、情けなく無力な自分にいらだったり、悲しくなったりしたものでした。
でも、何とかしたい、先々突然に引退となってもあわてない様に何とか出来ないか・・・そんな事を考えるうちにふと、産まれたばかりの子供の将来を見据え、学資保険を考える親が増えているという話を聞きました。
それって馬にも応用できないかな・・・それが事の発端でした。
いつか来る引退の時にバタバタしないように今から少しずつでも積み立てたら、もしかしたら何とかなるかも知れない。
そんな事を信頼している馬友さんに話してみました。
彼女も、スティングとじゃれあっているチビ馬の将来を気にかけていて、この積立ての話は現実実を帯びてきたのでした。
他に2人の賛同者を得て「 1才君を見守る会 」という会がまず出来ました。
オキテは競走馬名がまだない時から、サポート会が出来ていたわけです。
やがて「オキテ」という馬名が決まり、会の名前も「 オキテ君を見守る会、略してオキテ会 」に変わり、引退馬ネットにお願いし、引退馬協会の認可を貰い、正式な会として動き出したのでした。
といっても、会員数4人の、現役馬であるため極力表には出ない、ひっそりとした会でした。
それでもみんなが、オキテを行方不明には決してしないという強い気持ちでいたのが心強く、何とかなりそうな安心感もありました。
それが急展開したのが突然のスティングの死でした。
スティングとの別れを悲しむ会員さんが、彼の忘れ形見のようなオキテの会がある事を知り入ってくれたおかげで、会員数も倍以上になったのでした。
そして何よりも奇跡を感じたのが、3才の初めに故障し、半年の休養明け以降、以前のような走りが全くできなくなっていたオキテ。
引退という言葉も出始めていた頃のスティングの旅立ち。
そのスティングの死から5日後のレースでのオキテの初勝利。
誰もがスティングの後押しだと信じて疑いもしませんでした。
実はオキテの故障は屈腱炎でした。
なので完治はしませんでしたが、厩舎さんが大事に使ってくれたおかげで、それから3勝し、脚元が落ち着いてからは大負けしない堅実な走りをしてくれました。
55戦4勝、2着14回3着11回と馬券に絡む事半数以上。
立派だったと褒めてあげたいと思います。
この時の為に今までがあった気がします。
1人ではどうにも出来なかった事がいろんな人の力を借りて、今どうにか1頭の馬の命を繋ぐ事ができました。
そして何よりも、マイネルスティングという名もない1勝馬が、大きな大きな力でオキテを守り抜いたような気がしてなりません。
オキテの第2の馬生は入口にたったばかりです。
でも、一番狭く厳しいゲートを潜り抜ける事ができました。
ここに至るまで力を貸して下さった方達に、心の底から感謝いたします。
これからも引き続きオキテを見守って下さるようお願いいたします。
そして誰よりも大きな感謝を、天の国にいるマイネルスティングに捧げたいと思います。
オキテ、その軌跡
トネッコ時代のオキテです。
スティングの背中越しに「 僕にもニンジンちょうだい 」
牧場から旅立ち、クラックステーブルさんで競走馬見習い中。
もうじきトレセンも卒業間近です。
この絵馬と色紙を持って入厩しました。
角田厩舎で朝のお稽古が終わって。
スティングの形見の馬着を着て。
古馬になって貫録が出たかな?
久々にオキテと再会。 会員さんもたくさん来てくれたね。
前日レースだったオキテ、3番人気で2着でした。
誕生日祝いに会員さん達から贈られた、オリジナル面子。 ファンもびっくりしてフェイスブックに「オキテ、面子がちがうよ!!」とアップしてました。
カメラ目線も慣れたもの。
久々に7着と掲示板を外した「レディス&ヤングジョッキーズ」 女性騎手で緊張したのかな?
そして、引退から1日後。
アクシス乗馬クラブさんで。
「ここはどこかなぁ?」
「みんな知らない人ばっかりだ・・・・」
「お稽古しなくていいのかなぁ・・・・」
「・・・・・・」
今は何だか分けがわからないのかも知れません。
でもきっと直に、もう厳しいお稽古しなくても良いんだと理解することと思います。
まずはのんびり過ごして体を休めて下さいね。
11月4日、スティングの命日(正確には11月3日深夜ですが)にオキテに会いに行って来ます。
新生オキテのご報告、お楽しみに。
あ、この方も何か言いたそうです。
「 コスモセブンだよ 」
「 僕だってスティングおじちゃんの生徒だったんだからね!」byコスモセブン (画像提供、馬の気持ちさん)
競走馬オキテ、無事、卒業致しました。
応援して下さった方々、本当にありがとうございました。
大雨で被害にあわれた方たち、ペット達に心からお見舞い申し上げます。
猛暑の夏が過ぎ、いつの間にか季節は秋です。
日一日と長い冬へと近づいています。
そんなところへ“わぉ~っ!”と驚くニュースが飛び込んできました。
9月11日のレースの前日、台風の状況をお聞きしようと、オキテの厩務員さんに連絡を入れたところ、「台風の被害は大した事はなかったですが、オキテの走りが悪くなってきています」と返信がきました。
何となく胸騒ぎがしていたのですが、それを裏付ける様に結果は7着。
2014年の5月以降、オキテが掲示板を外したのは、初めての女性騎手さんが騎乗した時の1度だけでした。
勝てなくても、常に馬券に絡むか掲示板に載る。
私はそれを「オキテの掟」 と呼んで、ちょっと自慢に思っていました。
それが直線で騎手さんが殆ど追う事のない7着。
何か嫌な予感がしました。
そして翌日の早朝6時、電話がなりました。
オキテの厩務員さんでした。
一瞬、血の気が引いた感じがしました。
その内容は私が案じたものではありませんでしたが、それでも驚くのには十分なものでした。
昨日のレース後、オキテのオーナーさんからの電話でオキテの引退が決まったこと。
そして調教師さんからオキテの件は任せられたからと朝一で私に連絡をくれたのでした。
「もちろん、引き取ります」 そう答えて電話を切ると、すぐに引退馬ネットの方に連絡を入れました。
そしてオキテは今、千葉の“アクシス乗馬クラブ”さんに一時預かりとして移動してきています。
ここで3カ月をめどに休養し、その後引退馬協会のあるイグレット乗馬クラブで「再就職支援プログラム (元フォローアッププログラム)」で乗馬としてのレッスンを受け、第2の仕事先を探して行きます。
乗馬を引退する年齢になったら産まれた牧場に帰り余生をすごす、これがこれからのオキテの青写真です。
思えば4年前、1才だったオキテが、まだ元気だったスティングと毎日走ったり、相撲をとったりしていた頃から、ずっとオキテの先生きを心配していました。
近い将来、競走馬として旅立って行くだろうオキテの引退後、どうなっているのだろう、どうしたらよいのだろう・・・。
私にずっと見ていけるだけの資力と若さがあったら・・・そんな事を考えるにつけ、情けなく無力な自分にいらだったり、悲しくなったりしたものでした。
でも、何とかしたい、先々突然に引退となってもあわてない様に何とか出来ないか・・・そんな事を考えるうちにふと、産まれたばかりの子供の将来を見据え、学資保険を考える親が増えているという話を聞きました。
それって馬にも応用できないかな・・・それが事の発端でした。
いつか来る引退の時にバタバタしないように今から少しずつでも積み立てたら、もしかしたら何とかなるかも知れない。
そんな事を信頼している馬友さんに話してみました。
彼女も、スティングとじゃれあっているチビ馬の将来を気にかけていて、この積立ての話は現実実を帯びてきたのでした。
他に2人の賛同者を得て「 1才君を見守る会 」という会がまず出来ました。
オキテは競走馬名がまだない時から、サポート会が出来ていたわけです。
やがて「オキテ」という馬名が決まり、会の名前も「 オキテ君を見守る会、略してオキテ会 」に変わり、引退馬ネットにお願いし、引退馬協会の認可を貰い、正式な会として動き出したのでした。
といっても、会員数4人の、現役馬であるため極力表には出ない、ひっそりとした会でした。
それでもみんなが、オキテを行方不明には決してしないという強い気持ちでいたのが心強く、何とかなりそうな安心感もありました。
それが急展開したのが突然のスティングの死でした。
スティングとの別れを悲しむ会員さんが、彼の忘れ形見のようなオキテの会がある事を知り入ってくれたおかげで、会員数も倍以上になったのでした。
そして何よりも奇跡を感じたのが、3才の初めに故障し、半年の休養明け以降、以前のような走りが全くできなくなっていたオキテ。
引退という言葉も出始めていた頃のスティングの旅立ち。
そのスティングの死から5日後のレースでのオキテの初勝利。
誰もがスティングの後押しだと信じて疑いもしませんでした。
実はオキテの故障は屈腱炎でした。
なので完治はしませんでしたが、厩舎さんが大事に使ってくれたおかげで、それから3勝し、脚元が落ち着いてからは大負けしない堅実な走りをしてくれました。
55戦4勝、2着14回3着11回と馬券に絡む事半数以上。
立派だったと褒めてあげたいと思います。
この時の為に今までがあった気がします。
1人ではどうにも出来なかった事がいろんな人の力を借りて、今どうにか1頭の馬の命を繋ぐ事ができました。
そして何よりも、マイネルスティングという名もない1勝馬が、大きな大きな力でオキテを守り抜いたような気がしてなりません。
オキテの第2の馬生は入口にたったばかりです。
でも、一番狭く厳しいゲートを潜り抜ける事ができました。
ここに至るまで力を貸して下さった方達に、心の底から感謝いたします。
これからも引き続きオキテを見守って下さるようお願いいたします。
そして誰よりも大きな感謝を、天の国にいるマイネルスティングに捧げたいと思います。
オキテ、その軌跡
トネッコ時代のオキテです。
スティングの背中越しに「 僕にもニンジンちょうだい 」
牧場から旅立ち、クラックステーブルさんで競走馬見習い中。
もうじきトレセンも卒業間近です。
この絵馬と色紙を持って入厩しました。
角田厩舎で朝のお稽古が終わって。
スティングの形見の馬着を着て。
古馬になって貫録が出たかな?
久々にオキテと再会。 会員さんもたくさん来てくれたね。
前日レースだったオキテ、3番人気で2着でした。
誕生日祝いに会員さん達から贈られた、オリジナル面子。 ファンもびっくりしてフェイスブックに「オキテ、面子がちがうよ!!」とアップしてました。
カメラ目線も慣れたもの。
久々に7着と掲示板を外した「レディス&ヤングジョッキーズ」 女性騎手で緊張したのかな?
そして、引退から1日後。
アクシス乗馬クラブさんで。
「ここはどこかなぁ?」
「みんな知らない人ばっかりだ・・・・」
「お稽古しなくていいのかなぁ・・・・」
「・・・・・・」
今は何だか分けがわからないのかも知れません。
でもきっと直に、もう厳しいお稽古しなくても良いんだと理解することと思います。
まずはのんびり過ごして体を休めて下さいね。
11月4日、スティングの命日(正確には11月3日深夜ですが)にオキテに会いに行って来ます。
新生オキテのご報告、お楽しみに。
あ、この方も何か言いたそうです。
「 コスモセブンだよ 」
「 僕だってスティングおじちゃんの生徒だったんだからね!」byコスモセブン (画像提供、馬の気持ちさん)
競走馬オキテ、無事、卒業致しました。
応援して下さった方々、本当にありがとうございました。