新・名も無い馬ですが・・・・・

2013年11月3日に旅立ったマイネルスティング。
その想い出と一緒に、これからも名も無い馬たちの応援をしていきます。

★★ 落選作   後編 ★★

2016-11-25 | 日記
 まだ11月だというのに真冬の様な寒さが続いています。
そのせい、という分けではないのですが、年賀状、作っちゃいました。
馬友さんが撮ってくれたちょっとイケてる写真、これを是非とも年賀状にしたいと考え、早々と申し込んじゃいました。
作ったは良いけど、まだ書くには早すぎる・・・。
多分私の事だから、しまいっぱなしにしてて期日ギリギリになって慌てて引っ張り出して書くんだろうなぁ。
長年付き合ってる自分の事だからわかるんですよね。
作っただけでもう終わった気分になってるエドリンです、こんばんは。



  幻の9番ゲートの馬  

ところが時として神様は酷い意地悪をすることがあります。
その冠レースの2週間前のレースで、トップハートコンは今までにない程の大差負けをしたのです。
それは最早レースと云った感じではなく、マラソンランナーが息も絶え絶えにゴールする姿に似ていました。
何かが起きた!彼女はそう直感しました。
でもそれが何かわかる前に、トップハートコンの競走馬登録は抹消されました。
たとえ抹消にならなくても、あの大差負けでタイムオーバーとなり次のレースには出られなかったと後で知りましたが、彼女にはもうどうでも良い事でした。
6月21日、彼女は絶望のどん底にいました。
書き込みの仲間が約束通りレースを見に行ってくれました。
トップハートコンのいない冠レース、名古屋競馬第1レース「トップハートコンに賞金を」は定刻通りスタートしました。
 
 競馬は淘汰の歴史です。
少しでも速い馬、強い馬を作る為に関係者の方達は日々研究し努力されています。
そんな方達から見たら「全くお話にならない」レベルの話です。
「甘い事いうな!」と怒られるかも知れません。
馬は経済動物だとはっきり言いきる方もいます。
でも、現在の競馬は多面体のエンターティンメントとして老若男女を問わず楽しまれています。
そうであれば、彼女のようなファンがいてもおかしくはないと思います。
強い馬だけにみんながみんな引き寄せられるわけではありません。
後ろで必死になって走っている馬達に思わず「がんばれ!!」と声をかけたくなる人もいるのです。
競走馬としては全く駄目馬だったトップハートコンですが、彼女にとっては、トップを応援する事で体調の悪さで暗く沈みがちな心に光が灯り、ともすれば自信を失い生きる事さえ辛くなる自分を励まし、「トップだって頑張っているんだ」と力を与えてくれる、そんな大切な存在だったのです。
サラブレッドが人を楽しませるために作られた生き物なら、トップハートコンはその役目を立派に果たしたと言えるでしょう。
競馬では1円の賞金も稼げなかった馬が1人の人間に与えた力は、数字では表す事のできないプライスレスの価値を持っていた、馬にはそういう能力もあると証明してくれた、そんな気がするのです。
トップハートコンとの出会いは、彼女に生きる勇気を与え、素晴らしい宝物としてこれからも彼女の心で輝き続けていくと思います。
「たとえ賞金は稼げなくても、私は、トップのひたむきに走る姿が好きだったのです」
彼女はレース後の掲示板にそう書き込んでいます。

 名古屋競馬第1レース「トップハートコンに賞金を」は、彼女だけに見える9番ゲートの馬がゴールし、いま、静かに終了しました。

               終わり




読んで下さって有り難うございました。
彼女は今、「トップハートコンに賞金を」に出ていた仔達の応援を頑張っています。


 

★★ トウカイパルサー追悼★★    そして落選作・・・・中編 ★★

2016-11-21 | 日記
 昨日、コバン牧場・eの場長さんから「パルサーが倒れた」とメールがきました。
ショックは受けましたが「テイオーの仔だもの、きっと大丈夫!」と回復を願っていました。
でもその願いも虚しく、今朝、亡くなったと連絡がありました。
生きとし生けるもの、必ず別れは来るとわかっていますがやっぱりたまらなく寂しいです。
それでもパルサーの余生は、間違いなく幸せだったと言える事が救いです。
あの広い空の下で、庭付きの馬房で、仲良しのポニーちゃんと一緒にのんびりまったり暮らす日々。
無口をつける必要がないほど信頼している場長さんに見守られて、自由に生きた日々。
きっとパルサーはこの世での幸せを味わいつくしたのかも知れません。
だから、祖父や父に会いたくなったのかも。

そして今日は何と、牧場の名前の由来であるスズカコバンの命日なのだそうです。
コバンが呼びに来たのかな?


    
      父テイオーに良く似たパルサー(2013年6月)


    
      パルサーのお部屋です。 このまま庭に出られます。


    
      お腹一杯になると庭に出て、ポニーちゃんをからかいます。


    
     牧場さんから送られた最近のパルサーです。


パルサーお疲れ様、そしてありがとう。
貴方を忘れない。 



  幻の9番ゲートの馬  

 いつか年が変わり、トップも4歳の古馬になる頃、彼女の心に大きな不安の渦が巻きだしました。
それは、未だ1勝もあげていないどころか、1円も賞金を稼いでいない彼がいつまで競走馬を続けていられるかという事でした。
トップを追いかけ始めてから、馬の世界に関して彼女なりに調べ、勝てない馬は淘汰される宿命にあると知った彼女には、トップの行く末は想像がつくものでした。
今では彼女にも、トップハートコンの競走能力がどの程度のものかということはわかっていました。
出来るものなら引き取って天寿を全うさせてあげたい。
その思いは心を突き破りそうなくらい強くありました。
でも、30年近く生きる馬の寿命。
自分の年齢を考えると最後まで見守る事は難しく、ましてや自分の体調すら思うようにならず仕事も出来ない現状では、馬の面倒を見る事など不可能でした。
彼女は苦悩しました。
悩み過ぎて競馬が嫌になったりもしました。
でもトップがレースに出るときは応援せずにはいられませんでした。
悩んで苦しんで諦めてたどり着いたのは、せめて今だけでも自分に出来る事をしてあげるという月並みな答えでした。
ただ彼女の眼は、少し違った方向を見ていました。
それは、この先いつまでトップが競走馬でいられるかはわからないけれど、このまま賞金ゼロで終わらせたくない。
たとえ微々たるものでも賞金を取らせて、競走馬として頑張った証しを残してあげたい。
彼女はそんな風に考えていたのでした。
その為にはどうしたら良いのか?
そんな時、名古屋競馬では個人の申し込みで冠レースが出来ると知りました。
ならば自分がトップのレースを作れば良いのでは?
名古屋に来てからは何度か掲示板に載った事もあるのだから、もしかしたら5着の賞金くらいは取れるかもしれない。
そう思った彼女はすぐに行動を開始しました。
名古屋競馬に冠レースを申し込み、所属厩舎の調教師さんにトップの名前を使う許可を得ました。
今までのレース間隔から計算し、トップが出られる可能性のある6月21日に日も決めました。
調教師さんにもその旨を連絡し、出走できるようにお願いもしました。
そしてそのレースを 「トップハートコンに賞金を」そう名付けました。
 準備は整いました。
後はトップが出走して、何とか5着までに入ってくれる事を祈るだけです。
ネットの掲示板にもレースの事を書きました。
実は最近になって1人、2人とトップを応援してくれる書き込みが増えていたのです。
名古屋から遠い彼女に代わり、当日レースを見に行ってくれるというコメントを見た時、彼女はすべて上手くいくような気がして、久々に心が晴れやかになったのでした。

★★ 落選作…前編 ★★

2016-11-17 | 日記
 昨日今日と会社の旅行で十勝に行きました。
北海道生まれの私ですが、実は十勝って行った事無かったんです(行った事無いのは十勝に限らず結構たくさんありますが)。
途中、富良野市で食事をとりました。
それもトウカイパルサーの暮らす牧場さんと同じ地域です。
職場の仲間と談笑しながらも心はパルサーにとんでいました。
何につけてもお馬が絡み、我ながら「馬しかないんかい!」って突っ込み入れたくなるエドリンです、今晩は。


前回の記事に書いたように、某雑誌のエッセイコンテスト落選作、発表させて頂きまァす。
原稿を送付してからずっと、引き出しの奥にしまいっぱなしで久しぶりに読みなおしてみました。
読み返してみて、これは落選するのも無理ないわと改めて納得したほどのものですが、こんな駄文でチャレンジした私の度胸に免じて読んで頂けたら幸いです。




   幻の9番ゲートの馬  

 一頭の馬に心惹かれるのには人それぞれ、いろんなきっかけがあると思います。
でも、きっかけはどうあれ、好きになる事に分けも理由もありません。
気が付いたら忘れられない存在になっていた・・・・それはある意味、異性に恋する気持ちに似通っているかも知れません。

 その人の心に飛び込んできたのは、おおよそ競走馬らしくない競走馬でした。
体調を崩して長年勤めていた仕事を退職し、気晴らしにたまたまパソコンで見ていた園田競馬。
門別競馬から移籍してきた、その日が園田最初の2番人気の馬が何故か妙に気になり、単勝を百円だけ買ってみた、それが全ての始まりでした。
彼女の買ったその馬は何という事かスタートしてからゴールまで、12頭立ての12番目のまま、つまりずっと最下位だったのでした。
「この仔、こんなんで競走馬としてやっていかれるのかしら?」
馬券が外れたことより、その事が酷く気になりました。
トップハートコンという名の3才の牡馬。
そこから彼女の心の中にその馬が、大きな存在となって居座ったのでした。
 2014年5月、門別競馬でデビューしてから園田競馬に移動するまで、6戦して殆どが最下位という成績のトップハートコン。
それでも「その内にもしかしたら・・・」と、彼女はその馬を追いかけだしました。
気になって見離せなかったと言った方が良いかもしれません。
ネット競馬の掲示板に応援コメントの書き込みも始めました。
たった1人の書き込みでした。
何とか一つでも前の順位でゴールして欲しい。
一度で良いから競走馬として先頭ゴールする喜びを味わってもらいたい。
日を追うごとにこんな思いが強くなっていきました。
ところが彼女の思いとは裏腹に、トップハートコンの成績に変化はなく、園田競馬も6戦して今度は名古屋競馬へと移動することになったのでした。
それでも、どんなに負けても彼女はトップの単勝を買い続け、レース後には必ず掲示板に励ましのコメントを書きこみました。
それはいつの間にか、病気で落ち込みがちになる彼女の生活の支えになっていたのです。
名古屋に転厩してから僅かずつながらもトップの成績が上がり始め、4着や5着に名前が載る事もありました。
ただ残念なことに、そのレースはどれも賞金が3着までとか4着までしか出なかったのです。
でも彼女には、競馬場の電光掲示板にトップハートコンと名前が載るだけで、涙が出るほど嬉しく誇らしかったのでした。


          続きます

オキテに会ってきました、その2 と、おまけの報告

2016-11-13 | 日記
まだ11月だと云うのに初雪どころか根雪になりそうな気配の北海道です。
寒さも厳しく、外を歩く人達はダウンコートや手袋、マフラーとすっかり真冬スタイルです。
今からこれじゃ厳寒期には一体どんな寒さになるのでしょうか?
年齢と共に寒さが応えるようになった我身、今まで頑張ってきたけれどついにババシャツ着用かと落ち込んでいます。
見栄もはれなくなってきたエドリンです、こんばんは。


    
 の~んびり暮らしてるオキテに安堵して、暖かい車に飛び込み帰路についた私達でしたが、途中でトイレタイムを兼ねてここに寄り道してみました。

オグリキャップの銅像があるところ、そうです「優駿メモリアルパーク」です。

      


中に入ると、オグリの写真パネルやグッズ売り場、そしてウインドウの中にファンの方から送られた、思いのこもったプレゼントが飾ってありました。
ずっとオグリの現役時代を見てきたのですが、改めて素晴らしくて凄いお馬だったんだなぁと再認識させられました。
その彼の最後の日に会えた事、本当に神様に感謝です。

    



ここには、キングヘイローとマヤノトップガンの像もありました。
あれっ、両馬ともまだ健在ですよね。
私的には、こういう像って亡くなってから作られるものだと思っていたので、実はちょっと驚いたんです。
でもまぁ、像を作って貰えるほど、みんなに愛され、自慢に思われているんだなぁと嬉しくもありました。
ことにキングヘイローは、母グッバイヘイローの活躍やアメリカでの人気から期待され、デビューから3連勝とクラシック路線に乗ったものの、皐月賞こそ2着と頑張ったのですが、同期のセイウンスカイやスペシャルウイークに勝つ事は出来ませんでした。
勝てそうで勝てない彼に何とかG1を取らせてやりたいと、陣営はダートにまで挑戦させました。
母の戦績から1番人気になったフェブラリーS(G1)でしたが結果は13着。(このレース、オリオンザサンクス君も出てました)
もう駄目かなぁ、とちょっぴり諦めムードになった時、高松宮記念(G1)を勝ち、6才にしてやっとやっとG1馬になったのでした。
こういう仔に弱い私は、当然応援してました。
2着馬を買ってなかったので馬券は外しましたが、鞍上の柴田ジョッキーと一緒に涙した記憶は残っています。
まさかその彼とここで会えるとは・・・って像ですが、嬉しいサプライズでした。


     


     



そんなこんなで嬉しい気持ちで胸いっぱいになった、久々の日高路でした。


    

で、ご報告というのはですね、実は私、今年の夏、生れて初めてとも言うべき身の程知らずの無謀なチャレンジをしたのですよ。
それは、某競馬雑誌のエッセイコンテストに応募なんぞをしてしまったのです。
結果は無念というか当然と云うか、あえなく予選落ちでした・・・チャンチャン。
ま、想定内の結果ではありました。
というのも、内容的に決して“楽しい競馬、みんなの競馬”というような物ではなかったからです。

1頭の馬にかけた1人の、心の病気に苦しむ女性ファンの思いをどうしても書きたくて、彼女の了解を貰って書いたものでした。
その馬というのが、賞金を1円も稼げずに消えていった仔なのです。
その仔の名前を知って欲しい、そんな気持ちから実名をしっかり出しました。
私的には、競馬では価値のない駄目馬と人知れず出されてしまうような仔でも、その仔によって救われる人もいると云う事を知ってもらいたかったのです。
走る能力は劣っていても、それがその仔のすべてではない。
ファンだって、強い馬にだけ魅かれるわけではない。
そんな思いをゴチャゴチャ原稿用紙に書き連ねたわけです。
まぁ良く考えれば、関係者さんもいるわけだし、全国発売の競馬雑誌にはふさわしくない内容だったとは思っています。
それ以上に能力不足が歴然なんですがhahaha・・・・・

というような分けで、予選落ちした為にもう制限が無くなりましたので、拙ブログにて発表しちゃおうと思っています。
次のアップから何度かに分けて書かせて頂きまァす。
何せ落選作ですから、期待など無しに読んで下さったら嬉しいです。

エリ女、シングウィズジョイは買いましたが、ミッキークインとパールコードの2頭軸だった為パ~でした。
掲示板さかさまにしたら当たってるんだけどな~

悔しいので久しぶりにスティング君の画像載せちゃいます(何の関連性がある・・?)


       
 「人を癒やすのはおいら得意やねん。」 by スティング








大きな声で言えないけれど・・・・・復活しちゃいます。

2016-11-07 | 日記
3月にブログを閉じます、と言っておいて、7月にちょろっとアップし、新しいブログのご紹介までしたのに、11月の今までアクセス数が毎日二桁台。
この数がどんどん減って、ゼロとかせめて一ケタになればあっさり諦めがつくのですが。
私自身も、新しいブログに幾つか記事をアップしたものの何故か気乗りがせずに放置したまま。
何だかこの「名も無い馬ですが・・・」に気持ちが残ったままのようで、新しい方に心が向かないのです。
そんな複雑な気持ちのなか、スティングの命日11月3日が近付いてきて、仕事の休みの関係で11月1日、早目のお墓参りに行って来ました。
スティングのお墓に向き合って一方的にウダウダ話しました。
そして、家に帰ってきて決めました。
やはりこのブログを続けようと。
新しいブログに気が向かなかったのは、きっとスティングが「方向ちゃうやんか!道まちごうてるで!」と引っ張ってくれていたのかも知れません。(妄想です、はい)
スティングがいなくなっても名も無い馬達は沢山いるのですよね。
「名も無い仔達の応援、やめたらだめやで」 そんな風にスティングが言ってるような気がしたのです。(これも妄想です、はい)
いつ更新するかわからない気ままブログですが、ずっと覗いて下さった方達への感謝もこめて
「名も無い馬ですが・・・・・」 復活します!!
髪が伸びたせいか後ろ髪引かれっぱなし(?)のエドリンです、こんにちは。

    

11月1日スティングのお墓参り

前日、小雪が舞うほど冷え込んだ空気のまま、取りあえず雨も雪もやんだ朝、馬友Nさんご夫妻と元オキテ会メンバーさん達と静内ヘ向かいました。
久しぶりの日高路です。
ところどころ、先日の台風の影響で崩れた個所に驚きながら、片側でのんびり草を食む馬達を見て、この穏やかさが永遠のものであって欲しいと願いました。
どんなに化学が発達しても、自然の驚異の前に人は手も足もでません。
「驕るなよ人間!」そう神様が時折いましめの嵐を起こすのかも知れません、などと菓子パンをかじりながら考えたりしてる内に懐かしい静内の町に到着しました。
本当に久々です。
スティングが生きていた頃は月に1度は通って来ていたのですが・・・・・。
何かの拍子にスティングの存在の大きさを感じてしまいます。
もう3年もたつのに、ここに来ると一番奥の放牧地で、スティングがいち早く私たちの声を聞きつけてニンジン待ち顔で待っている様な、そんな錯覚をおこしてしまいます。
でも、今、スティングがいるのはここなんです。


       
     ここに来る寸前に旅立ってしまったフナバシボンバーとスティングの茶飲み友達(笑)だったブリダーズフライト(右はじの石です)に囲まれて、それにもうじきタケノハーモニーも来るから寂しくないね。


 
もと保護犬ジロー君もすっかり牧場っ仔になりました。



また暖かくなったら来るからね、そうスティングに言って、今度はふた手に別れて一組はビッグゴールドさんのとこ、私たちはモッヒー君のところへご挨拶に行きました。
ライチョウとは逆に、夏になると白く、冬になると黒くなる不思議なモッヒー君の毛色はかなり黒くなってきていました(この3日後に静内にも初雪が降りました)。



 今年の6月のモッヒーです。葦毛馬のようです。

 11月になってこんな真っクロクロになりました。

      
  
 どっちがホントのモッヒー君なの? 「ボクたんにもわかんないでし」byモッヒー



  
  「ゴーちゃ~~~ん」と呼ぶとモッタラモッタラやってきましたゴールドさん。

  
  
  「来てあげましたよ。わかってますね。」byビッグゴールド


モッヒーとゴーちゃんにニンジンをあげて次に向かったのは・・・・・そうです、われらがオキテの所です。


     

クラックステーブルっ仔になったオキテ


坂本牧場さんから新冠に向かって山の坂をずっと上がって行くクラックさんに着くと、それでなくても曇り空で冷え込んでいるのにその上をいく寒さで、みんな震えながらのオキテ訪問となりました。
オキテは、以前このブログでも書いた事がある(2014年2月20日のブログです)、競走馬名ライフオブゲーム、ここでは父の名をとってヘクター、通称ヘクちゃんと一緒にかなり広い放牧地にいました。
来た当時ちょっとガレていた体はふっくらし、表情が何となく幼くなった気がします。
「2頭ともポニー達といるより落ち着いてリラックスしてます。特にオキテはポニーに追っかけまわされてたから今の方が良いんでしょう」と代表さん。
人一倍(馬一倍かな?)体が大きいと言われるオキテがちびっ子ポニーに追われるなんて、まぁ何て情けない(涙)。
でも、動物は体が大きい生き物ほど優しいと言われていますから、オキテも心優しい仔なのですね。
そんなこちらの思いとは別に、ヘクちゃんとオキテはかみ合いっこをしたり、たちあがって組あったり、とにかく常に一緒に行動しています。
気の合うワル仲間といった感じです。
おまけに、グィしたオキテが牧柵を1本折ってしまったところを目撃してしまいました。
良く見ると何本かの柵が折れています。
まだまだこの2頭、おこちゃまです(爆)。


 
 5か月ぶりのオキテです。  


 
 オキテ「あれ、何だろ?」 ヘクちゃん「どれどれ?」

 
 「ふむふむ・・・」 何か悪だくみしてるのかな?


 
 「僕は柵なんてこわしてませ~ん」byオキテ


 
 

 
 中に青草たくさんあるのに何故か首を伸ばして外の草を食べてみるオキテ。



そんなこんなでオキテ君、クラックステーブルのお気楽プータロー生活を楽しんでいるようです。
それでも代表さんによると「体もかなり戻ってきたので、年明けあたりから軽くお稽古しようかなと考えています。まず、来月に浦河で行われる馬の祭り(イベント名忘れました、苦笑)にでも連れて行ってみようかなと思ってます」
広い大地に一杯の青草、時折風に乗ってやってくる懐かしい香り、そしてお尻齧られたりするけど一緒にいて楽しい仲間がいる、そんな環境でオキテは暮らしています。

 
 「また来てね」byオキテ


寒さに震えながらも心にあったかい風を感じて帰途についた私たちでした。

この後ちょっと寄り道しました。
なので続いちゃいます。