新・名も無い馬ですが・・・・・

2013年11月3日に旅立ったマイネルスティング。
その想い出と一緒に、これからも名も無い馬たちの応援をしていきます。

*旅立ちという名の始まり・・・*

2012-04-24 | 日記

 私は朝、一杯だけコーヒーを飲みます。
1日に一杯だけですがインスタントコーヒーは苦手です。
特にコーヒー通ではないので銘柄のこだわりはないのですが、ドリップしたものが好きなのです。
少し前まで、ミルクは入れずにお砂糖ワンスプーンで飲んでいました。
最近になって、ブラックが美味しく感じ始めました。
大人の味覚になったのかな?などと思ったりしています。
甥っ子よ、「大人じゃなくて、老化じゃない?」という君のつぶやきは聞こえなかったことにします。

あくまでも‘大人’と言い張りたいエドリンです、お早うございます。




  旅立ち

4月23日(月)、ついに1歳君こと、グレートテンの2010が育成センターを卒業して、名古屋へと旅立って行きました。
競走馬としての第一歩を踏み出したのです。
スティングと追いかけっこをしていた彼、人参を早くよこせと、馬房の壁をガンガン蹴っていた彼・・・。
もう遠い日のことになりました。

これからは、厩舎に入り、競走馬名をもらい、レースデビューに向けてのお稽古が始まります。
無事に成長してきた事に喜ぶべきなのでしょうが、涙腺のゆるむお年頃のおばさんとしては、嬉しさと同じくらいの心配、それ以上の寂しさで引きつった笑顔になってしまいます。

でも、“見守る会”の活動はこれからが始まりなのです。
これからの競走生活にはいろんな波が押し寄せてくる事でしょう。
どんな時でもいつでも“見守る会”は後ろにいるから・・・。
だから全力で、サラブレッドとして受け継いだ君の能力を発揮しておいで。
君が頑張る事、それが今まで関わってくれた人達、これからお世話になる方達みんなに喜びを与える事になるのですから。
ただ、怪我と病気にだけは気をつけて!
その事だけは、神様にいっぱい、いっぱいお願いして祈っていますよ。

名古屋に生応援しに行く事、それが今の夢です。
その日まで頑張っていてね。

卒業にあたってクラックステーブルのM代表さんから、育成場にいた時の普段顔の1歳君の画像を頂きました。
まだまだやんちゃな1歳君です。
M代表さん、有り難うございました。

競走馬名、厩舎名がわかりましたらお知らせします。
引き続き“見守る会”メンバー募集中です。 特に会費などはかかりません。



みなさ~ん、僕だよ~~~!!!




 ちょっと不安で~す。




  でも、頑張るよ~~!







  大好きなD教官



   決まってるかな??




    僕のこと、応援してね!!  きっとだよ!!!






     お知らせです

 “あの馬”たちの近況報告写真展第4弾開催

NPO法人引退馬協会による、引退した競走馬のその後の写真展が開催されます。
第4回目の今回は、川崎競馬場にて、川崎競馬、地方競馬で活躍した馬たちを中心に展示されます。
あの日、あのレースで胸ときめかせた馬たちの元気な姿を楽しんで下さい。
そしてちょっとだけ、引退した後の馬たちの事を気にかけて頂けたら・・と思います。
同時に“東日本大震災”で被災した馬たちの近況の姿もご覧になれます。

日時    5月12日(土)~5月20日(日)
場所    川崎競馬場、内馬場無料休憩所
時間    平日  開門(14:30~20:00)
土日   開門(9:00~16:00)
入場料無料(競馬開催日に限り、競馬場入場料100円)


展示予定馬

ロジータ  オリオンザサンクス  ビッグゴールド  トーシンブリザード  ウイングアロー
サンライズバッカス  ストロングブラッド  タイムパラドックス  ナイスネイチャ
アグネスデジタル  レイナワルツ  ユキチャン 他

特別展示(被災馬)

マンボツイスト  トミケンマイルズ  ダンツムソウ 他

詳しい事はこちらでご覧下さい
   
   「あの馬たちの近況報告写真展」




    ふろく

   

さる4月20日は、私の永遠の王子様トウカイテイオーの24回目の誕生日でした。
今年はチームテイオーの“テイオー誕生日祭り”の方に参加したため、こちらでは控えました。
熱い思いをず~っと抱き続けているテイオーファンで盛り上がった「テイオー誕生日祭り」
のぞいてみて下さい。

   「テイオーとソロモンと♪を見守り続けたい」


パパの誕生日を祝って、この方達からもお祝い画像が届きました。
W牧場様、ありがとうございました。


           
  名古屋競馬で頑張った ケイウンコユキです。 こんなに元気になりましたよ。


           
  大井競馬で走った エスプリオーシャン。 パパに似てますね。


競走馬として産まれ、人の為に命を賭けて走り頑張ってくれた仔たちが、1頭でも多く、有名無名関係なく、
幸せな余生が送れますように・・・・・・(祈)        

おめでとう!!  ナイスネイチャ!!!

2012-04-15 | 日記

 3月、4月はお馬さんの誕生日が続々です。

明日、4月16日は私の里子長男、ナイスネイチャの24回目の誕生日です
彼がいなかったら馬の里親になると言う事も無かったでしょうし、たくさんの馬友さんとの出会いもなかったでしょう。
今、どんな嫌なことや辛い事があっても、気持ちが崩れることなく‘また頑張ろう!’と思えるのは彼ら、ナイスネイチャ、マイネルスティング、サーチエネミー(それに最近ツルマルツヨシも加わりました)の里仔達のおかげです。

たまには真面目な事も言えちゃうエドリンです(ドヤ!)、こんにちは。



 ナイスネイチャという馬

ナイスネイチャ(以降はナイスと略します)は1988年4月16日に、父ナイスダンサー 母ウラカワミドリの間に産まれました。
栗東の松永厩舎からデビューし、3歳から9歳までひたすら走りました。

小倉記念、京都新聞杯、鳴尾記念、高松宮杯など41戦7勝、G1通算16回出走、重賞34回連続出走、有馬記念5年連続出走、3年連続3着・・・・・・。
そして稼ぎに稼いで、総賞金額“6億2358万5600円。

平成2年、この年は‘奇跡の名馬’と呼ばれたトウカイテイオーがデビューした年でもあります。
ナイスとテイオーは3度一緒に走っています。
若駒ステークス、2度の有馬記念、テイオーは1着11着1着、かたやナイスはすべて3着でした。

ワイド馬券導入が決まった時、初代のイメージキャラクターに選ばれたのも当然かも…(笑)。

赤と緑の独特なメンコで、いつも自分の力ギリギリまで頑張ったナイス、G1の勲章は取れなかったけどそんな彼を愛したファンは数知れず。

「あの馬は今」という季刊誌(今は出版されていません)でFPの会を知り、ナイスも里仔になっている事を知った時、即座に入会を決めたのも、大好きなテイオーと走ったナイスだったからです。

彼は今、母ウラカワミユキ、息子セイントネイチャとともに産まれ育った牧場で、悠々自適の余生を過ごしています。

おめでとう、ナイス。
いつまでも元気で、W牧場のキングとして君臨してね。


     ナイスと内緒話です<昨年のものです>

この先は今日、4月15日のものです。W様、画像有り難うございました。


    お早う ナイス

                                   何 見てるのかな?                
    


    何とも立派なおからだ・・・。





 ご案内です

故皇帝シンボリルドルフの息子で、朝日チャレンジカップ、京都大賞典勝ち馬、ツルマルツヨシの会が設立されました。

脚元さえ丈夫だったら、もっと大きな活躍が期待されたツヨシ。
今は誘導馬も引退し、宮崎で脚の治療をしながらのんびり暮らしています。
そんなツヨシの余生を一緒に支えていきませんか?
最近のツヨシはこちらのブログでご覧になれます。

      「ツルマルツヨシの会」オフィシャルブログ


  <ツルマルツヨシの会様から頂きました>





 ふろく


昨日、今日とサーチエネミー君が初めての乗馬競技会に出ています。
詳しい事はこちらで・・・。

      「サーチエネミーの会」







HAPPY BIRTHDAY!スティング!!  20歳だよ~!!!

2012-04-12 | 日記
 
 今日はスティング君の20回目のお誕生日です。  

人間の20才は、やっと大人の仲間入り・ですが、お馬さんの20才はもうシニア。

だからかぁ・・・最近、メタボ立派過ぎ体型のスティング君。




    人のこと言えるん??

ですね・・・・ハイ、日々、立派な体型に育っているエドリンです、こんにちは。





   可愛い相棒からのメッセージ   

スティング君に1歳君からお祝いメッセージがきてま~す。


  スティングおじちゃん、誕生日おめでとう!
20才かぁ。  僕の10倍なんだね。 すごいなぁ~。

        


僕は毎日、お稽古、一生懸命がんばってるよ。
代表さんにも「大分、肉がついてきたな」って言われたよ。
もう少しお天気が良くなって、外の馬場が使えるようになったら、本格的にお稽古して、代表さんのOKがでたら、競走馬デビューになると思うよ。
おじちゃんみたいにまず1勝できるように頑張るからね。
もう、おじちゃんとカケッコしたり、お相撲とったりできないけど、あの楽しかった毎日はずっと忘れないよ。
おじちゃんも、いつまでも元気でいてね。
あ、そう言えば、また男の仔が産まれたんだってね。
来年はまたおじちゃん、お相手で忙しいね。
でも、あんまり無理しないようにね。 若くはないんだから・・・・ゴメンちゃい

     

    
         時々やんちゃして、D教官を困らせてるよ。 
 だってD教官からかうと面白いんだもん。




 
            


ここから先は、スティング君の最新画像で楽しんで下さい。昨日、カト吉さんが撮ってきたばかりのものです。 カト吉さん、有り難うございました。



  おいら20才になってん。



  でも、まだまだオジンやないで。



  やっぱり人参はバケツで食べるんが一番や。



  スターは辛いねん。  食べててもカメラ向けられたら、カメラ目線せなあかんねんで。


      
         



  タケノハーモニーの男の仔。 第2の1歳君です。



  スティングおじちゃん、おめれとう! 来年、よろちくでちゅ!!




  静内のキャンディーズ(古っ!)



  せぇ~の、スティングおじさんハッピーバースディ!!  







    ふろく


昨年、旅立ってしまったシンボリルドルフの息子、ツルマルツヨシの会ができました。

怪我に泣かされたツヨシでしたが、京都競馬場で誘導馬として、7才から12才まで頑張りました。
でも、脚の状態がおもわしくなく宮崎カウボーイアップランチに引き取られました。

これからのツヨシの余生を支えて下さる仲間を募集しています。

詳しい事は“NPO法人引退馬協会”のホームページで。


わが心のチタニックオー

2012-04-03 | 日記

  さる4月1日は私の誕生日でした。
何回目かは・・・・・・・・・・・・・・・忘れました。
 おばさんに年齢を聞いてはいけませぬ。
私自身に関すれば、できるだけ気配を消して、さっさと1日が過ぎるのを待っていたいのですが、ある理由により忘れる事ができない日でもあるのです。
ちょっと訳ありエドリンです、こんばんは。


     


その訳とは、この日、4月1日にあるお馬さんも誕生したのです。
でもその仔はもういません。

本当は、彼のことは、8月18日の彼の命日に書くつもりでした。

ところが、まるでバースディカードのように、チームテイオーの会員さんのみちかさんにお願いしていた、イラストのカードが届いたのです。
みちかさん、素敵な絵をありがとうございました。
その仔は



 そうです。 トウカイテイオー初年度産駒で、初めてのクラシック出走馬チタニックオーです。

ルドルフが引退したとき、テイオーが引退したとき、私は心の中で約束しました。
子供が出てきたら、無条件で馬券の軸にすると・・・・・結果、私の馬券はほとんど紙吹雪となって散って行きました・・・・無念


       

2000年の4月16日、クラシックレースの第1冠“皐月賞”のゲートが開きました。
チタニックオーは7枠14番、1コーナーを回る時には最後尾でした。
そして4コーナーを回って直線に向いた時、大外を回って凄い脚で追いこんできたチタニック!!
結果は3着。
あの時、生意気にも素人考えで、もしもう少し仕掛けが早かったら・・・と思ったものです。


でも、中山であれだけの脚を使えたなら、直線の長い東京ならやってくれるかも・・!!
ところがその後、全くチタニックの名前は出てこなくなりました。
「どうしたのだろう」、不安と心配で押しつぶされそうでしたが、今のようにネットで調べる事などあり得ない時代でしたから、ただ、ただスポーツ新聞で情報を得る事しかできませんでした。
その内に、ダービーも終わり、菊花賞も終わり、いつの間にかチタニックオーの名前は消えて行ってしまいました。

その頃、私自身の生活にもいろいろトラブルがあったりしていて、競馬から少し離れていたこともチタニックの行方を見失った一因でもありました。

“馬の行方は追ってはいけない”、そう知り合いの競馬通の人に言われたこともあって、いつかチタニックオーの名は心の奥底に埋もれていってしまったのです。

でも、心の底の底のずっと奥で、消えないままイブリ続けているものがある事は否めませんでした。


       


何気なく買った、その頃話題になっていた高知競馬のハルウララの本、そのあるページに目が釘付けになってしまいました。
‘泣いた馬主たち’という章に何と“チタニックオー”の名が・・・・!!!

生きていた!生きていてくれた!!  チタが生きていた!!!

頭は真っ白、涙がドバドバ! 口元には笑い!!
きっと凄じい顔してたんだろうなぁ。(あたくしより怖くてよ。)

今は笑えるけど、あの時はホント、嬉しいやら安心したやら、何かもうシッチャカメッチャカでした。
未だにあんなに涙出たことない気がします。
やっぱりず~っと引っかかっていたのですね。
とにかく嬉しかった。  嬉しすぎて思わず、その本の著者さんにお礼の手紙を書いてしまいました。(後で頂いたお返事は大切な宝物です)

チタニックは前脚に持病を持っていたのでした。
屈健炎・・・・お馬さんにとっては最も怖い病気です。
ただ、養生すれば何とか走れる状態と言う事で高知に移籍。
さすがにここでは力が違ったようで、5戦して2勝。
でも2回は中止だから、やはり脚元に問題アリだったのでしょう。
そして2003年6月、1着でゴールするも、ついに屈健炎の患部が断裂!
競走馬として致命傷をおってしまったのです。
即薬殺のケースだったそうです。
しかし馬主さんはどうしても処分できず、必死に生きる道を探し、やっと黒潮牧場さんに引き取ってもらえたのだとか。

数ヵ月後に会いにいった馬主さんが目にしたのは・・・・丸々太って、毛並みも艶々、何よりも右前脚の腫れが引き、放牧地で走っていたチタニックオーでした。
その姿を見て、男泣きに泣いた馬主さん。
それが章のタイトルになったのでした。

その気持ちは本当に分かり過ぎるほどわかります。
何の関わりもない私ですら、信じられない程の涙を流してしまったのですから。


自分の生活面で、何もかもどうでも良くなっていた荒んだ気持ちに一本の道が見えました。
チタに会いに高知に行く!!
それが生きがいになっていたのに・・・・・。

考えもしなかった・・・チタが死ぬなんて。
それも、チタの居場所を知ってから僅か2年後に・・・なんて。
待ってて欲しかった、私が行くまで。
10才なんてお馬さんの寿命からしたら、まだまだ若いじゃない!

           

知ってすぐに、土佐黒潮牧場さんにお手紙とお花代を送りました。
何かせずにはいられなかったのです。

後悔・・後悔・・そればかりでした。

何故すぐに会いにいかなかったのか!
何故人参でもリンゴでも好きなもの送ってあげなかったのか!

何もせず、ただ良かった、良かったと思うだけで、それだけで終わってしまった・・・・。

今でもそう思うと心が苦しくなります。

          

でも、現実のチタは、黒潮牧場でのんびりと過ごし、きっと幸せだったと思えるのです。
短い馬生でも、それが与えられた天命だったのでしょう。



一度も会えなかったけど、チタが頑張って生きていたこと、私が生きている限り忘れない。
愛しい、愛しいチタニック・・・・・。
テイオーからの贈り物。


  お父さんのテイオーです


  息子のチタニックオーです




いつまでも私の心の中にはあの4コーナーをもの凄い脚であがっていったあなたがいます。


ゲート開いたら馬が座っていた。ラガーレグルス




それにしても、何故あの時こう叫んだのでしょう?
“チタ~! エアについてけぇ!! リーヴァについてけぇ!!”と。
本当は
“エアを差せぇ! リヴァを差せぇ”ですよね。
今でも謎です。



 ありがとうございました

長崎盲導犬失踪事件に対しての署名活動は3月31日をもって終了しました。
全国からの署名は1万を超えたそうです。
このブログを見て署名協力して下さった皆様、ありがとうございました。

アトム君はまだ見つかってはいません。

今は彼の無事と幸せを祈るばかりです。

そしてどうか九州盲導犬協会のお偉いさんたちが、心を入れ替えて、盲導犬たちが胸を張ってお仕事ができるようにして頂きたいと願います。