新・名も無い馬ですが・・・・・

2013年11月3日に旅立ったマイネルスティング。
その想い出と一緒に、これからも名も無い馬たちの応援をしていきます。

誰からも愛されたやんちゃ坊主・・・セントミサイルの28年

2018-07-11 | 日記
このたびの集中豪雨で被害に遭われた方達に心からお見舞い申し上げます。
1日も早くいつもの生活が戻りますようにお祈りいたします。

本来なら前回の続きを書く所ですが(実際、書きだしていました)、セントミサイル号の訃報に際してこちらを優先させていただきたく思います。
私のフォスターホースであるナイスネイチャの良き相棒としていつも側にいたミサイル。
その思い出は年数分だけたくさんあります。
目を閉じると浮かんでくる、幾つになってもヤンチャ坊主のようだったミサイル。
いつかは来る別れと頭では分かっていても、それが現実となると心がついていきません。
どうにか気持ちに区切りがついた今、元気だったころのミサイルを偲んでみたいと思います。



ミサイルと初めて会ったのは今から10年以上も前の事です。
引退馬に関心を持ち、引退馬協会を知り、初めてフォスターペアレント(以後FPと略)になったのがナイスネイチャ。
シンボリルドルフから始まった馬愛(?)がトウカイテイオーへと繋がり、その同期生と云う理由でナイスのFPへと。
至ってミーハーのスタートでした。
そして一度行ってみたいと、当時高校生で、卒業後は馬関係の仕事がしたいと言っていた親友の甥っ子で私の若き馬友だった、今は亡き翼と一緒に、厚かましくも渡辺牧場さんにお伺いしちゃったのが2004年。
ナイスはまだまだ血気盛んで、集牧するのも場長さんでないとできないくらいの元気者でした。
そのナイスの隣の放牧地にいたのがセントミサイル。

セントミサイル・・・1990年3月3日生れ。 父セントシーザー、母ケイウンファスト(母父トウショウルチェー)
競走馬時代は、短距離の逃げ馬として1998年に引退するまでに中央、地方合わせ82戦17勝をあげ、1993年度のクリスタルC(G3)では父セントシーザーと親仔2代短距離重賞制覇という偉業を成し遂げたのでした。
引退後は産まれた牧場、渡辺牧場に戻りのんびり暮らしていました。
2001年に種牡馬を引退したナイスネイチャが戻ってきて、それからというもの常に側にいたミサイル、遂には一緒の放牧地で暮らす事になったのでした。
一時期、様々な事情で先行きが危うくなった事がありましたが、その頃設立された引退馬協会のフォスターホースとなる事で未来が繋がりました。

ミサイルは一言で云うと、幾つになっても無邪気な少年。
例えば人参。
これはどの仔も性格が変わるほど大好物ですが、ミサイルはもう人参を持った人の所へズンズンと押し寄せてくるのです。
ある時、いつものように人参を求めてズンズン前に乗り出してきて、私たちは放牧地の端っこの方まで押されそうになったのですが、突然、ミサイルがクルット後ろを向いて何やらグエッグエッとやり始めたではありませんか。
「ミサイル、どうしたの?」とミサイルの顔側に行ってみると、どうやら人参がのどに詰まったようなのです。
ややしばらくグエグエやっていましたが、やっとすっきりしたらしく再び人参を食べ始めました。
ただ、今までとは違って、静かにそぉっと口に入れます。
以来、人参突進はなくなりました(笑)。
「懲りたのね」と私たちは笑ったものです。

また、ミサイルは脱走の名人だったそうです。
私は実際にはその現場を見た事はありませんが、まだお姑さんが生きてらした頃ふと家の中から外を見ると馬が走ってる・・それをお姑さんの言葉によると「ありゃ、ミサイルが走っとる、ありゃ嫁さんも走っとる〔説明しますと、ミサイルが脱走して走っている後を、お嫁さん、つまりはるみさんが追いかけて走っていると云う事です)」と云う状況だったとか。
そして、何度か「ミサイルがまた脱走したんですよ」とはるみさんから聞いた事もありました。
やっぱり、短距離の逃げ馬だったミサイルらしくその逃げ足は速かったのでしょうね(爆)。

3頭で放牧される様になると、今度はミサイルの馬着破り遊びが始まりました。
主に、物静かなナイスの馬着を齧って引っ張って壊してしまうのです。
お馬さん達には楽しいお遊びなのでしょうが、それを直す人間の方は大変です。
人的見方をすればこの2頭とももうかなり中年のおっさんなのですが、ミサイルには「そんなの関係ねぇ!(フルッ!)」なのでしょう。


ナイスがどちらかと云うとどっしり構えて慎重に動くタイプだとしたら、ミサイルは陽気なアメリカンボーイタイプなのかも知れません。
だから実際に会うと、いつまでも若々しく、少年っぽい愛らしさを持った彼に魅了される人が多かったのでしょう。
現に、私の馬友さん達、かなりの数でミサイルラブです(苦笑)。
大人っぽいナイスと悪戯っ子のようなミサイル、その間に入った弟気質のメテオシャワー。
このトリオの醸し出す暖かく楽しい空気に、会いに行った人達の殆どがきっと、馬と云う生き物の本来の優しさを感じ、癒されたのではないでしょうか。
これからもうそのトリオが見られない事は、本当に、埋めても埋め尽くせない程の大きな穴がポッカリ空いたようです。
生き物と関わると必ず付いて回る永遠の別れ。
頭では分かっていても、心の痛みはどうやっても防ぐ事はできません。
それでも、ありとあらゆる手を尽くして貰って、たくさんの人々の祈りに包まれ、親代わりの様な牧場の方達に見守られながら28年と云う馬生の幕引きができたミサイルは幸運なお馬だと思います。
やんちゃ坊主を生き通したミサイル。
その表情や仕草は、姿が見えないだけでたくさんの人の胸の中に生きていると思います、いえ、生きています。

ミサイル君、たぁくさんの想い出をありがとう。
そちらには、ミユキママやコーセイおばさん、他にも渡辺ファミリーが一杯いるから寂しくないよね。
これからはみんなと一緒に、牧場のお父さんやお母さん、相棒のナイスやメテ、渡辺牧場の地上班を見守ってね。
いつまでもいつまでも忘れないよ。
お疲れ様、そしてありがとう。



     
 2004年、こんな泥パックでイケメンに磨きをかけていました(ホント?)


   
 2010年、もう人参突撃は止めていました(笑)。
  

  
  「お母さん、早くアブやっつけてよ」 大嫌いなアブ退治はお母さんの役目です。


  
  「さあ、そろそろ齧るかなぁ」(友情出演、ナイスのお尻、笑)


  
  今年4月のミサイルです。 これがミサイルとの永遠の別れとなってしまいました。


  
  


  
  残されたナイスネイチャは元気です。 メテと一緒にまだまだ長生きしてくれるでしょう。



  さよなら、セントミサイル。 


  
  主の居なくなったミサイルのお部屋です。   

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