新・名も無い馬ですが・・・・・

2013年11月3日に旅立ったマイネルスティング。
その想い出と一緒に、これからも名も無い馬たちの応援をしていきます。

競走馬になれなかった馬

2014-02-20 | 日記
冬季オリンピックもそろそろ終盤にさしかかっています。
睡眠不足で目の下にクマさんをかい始めている人、私以外にも沢山いるんじゃないでしょうか。

何と言っても男子フィギュアの羽生選手、サイコーですね。
ビジュアルもいけてるし、態度も謙虚で素直でしっかりしてるし、素晴らしい!!
まだ19才。
あと何回オリンピックに出られるでしょうね。 
“楽しみ~”とワクワクしながら、ふっと気づきました。
私はあと、何回その姿を見られるんだろ・・・・・・・・・

あらためて100まで生きるぞっと決意したエドリンです、こんにちは。




                    

春はまだまだ遠い感じですが、心が暖かくなる出来ごとに出会いました。
ほんのちょっと、私も関わらせていただきました。

それは・・・・・・・


3年前、日高の牧場に1頭のサラブレッドの牡馬が産まれました。
その仔は他のトネッコ達と同じ様に元気に育ち、サマーセールに向けて育成場に預けられました。
コンサイナーとしてその仔を預かったのは“クラックステーブル”さん。
そうです、オキテが卒業した育成場です。

ちなみにコンサイナーとは、セリ市場に向けて上場馬を、立ち姿や歩き方、馬体・毛艶を良く見せる事や躾など、より良い条件で売却するための仕上げを委託される専門業者のことです。

そこでも順調に仕上がり、いよいよセリです。
ところが好事魔多しで、セリの当日、何が気に入らなかったのかその仔はセリ場の馬房の壁を蹴っちゃったんです。
そして、右後肢の蹄骨を骨折しセリは欠場。

生産者さんの必死の看護でリハビリを出来るまでに回復し、再びクラックステーブルさんに入厩。
リハビリ、調教と頑張り、どうにか競走馬になるべく地方競馬へと旅立てたのでした。



厩舎での調教もスムーズにいき、ゲート検査、能検を無事クリアー。
競走馬デビュー目前の最終追いきりで、今度は右前膝と蹄骨を骨折。
その怪我は酷く、競走馬能力喪失という悲しい結果になってしまったのでした。

それは競走馬としてだけではなく、生きると云うことをも失う事を意味していました。
走れなくなった馬には居場所はないのです。

その事を知ったクラックステーブルのM代表は、調教師さんに連絡を入れ、命には別条がないことを確認すると、「自分が引き取るから、行き先を確保するまで数日間そこに置いておいてほしい」と頼みました。
「くれぐれも早まって出さないでほしい」と念をおして頼み込みました。

というのは、以前、やはりクラックさんの卒業生で地方競馬に行った仔がいました。
その仔はデビューしたものの勝てそうで勝てない状況が続いていて、ついに業を煮やした馬主さんが手放しそうだと聞いたM代表は、調教師さんに「出す時は必ず連絡してほしい、こちらで引き取るから」とお願いしたそうです。
ところが、連絡のないままにその仔は消えてしまいました。
その時の事をM代表はずっと心の傷として抱えていたのです。
前にお伺いした時、「あの時は本当に悔しかった。自分が引き取って、ゆっくり時間をかけてもう一度競走馬として走らせてやりたかった」とおっしゃっていたのを思い出します。

なので今回は絶対に見失いたくないとの思いで、必死だったそうです。

その仔は性格が人懐っこくて大人しく、立ったままウトウトしている姿は愛らしく、M代表のご家族やスタッフさんにも可愛がられていて、特にご家族が「何とか助けてあげて」とM代表の背中を後押ししてくれたそうです。

そういう仔ですから、競走馬や競技馬としては無理でも、初心者向けの乗馬やセラピーホースなど、その仔に合った道で生かしてあげれるのではないかとM代表は考えました。

その為にはまず、その競馬場からあまり遠くない預託先を探さなければなりません(長時間の移動は怪我の状態からまだ無理です)。
おまけに怪我の治療や療養もあります。
それを引き受けてくれる預託先でないと駄目なのです。

ところがM代表は、その近辺の牧場さんや乗馬クラブを全く知らないそうで、藁をもつかむ思いで私に連絡下さったのでした。
でも、私などもっと知りません。
それでも、引退馬ネットならと思い尋ねてみたところ、何と、数日前に引退馬ネットあてに「預託馬いませんか?」というメールが来ていたと。
それも、その競馬場から小一時間ほどの所です。
偶然というにはあまりにグッドなタイミングです。
すぐさま連絡をとって頂き、M代表にバトンタッチし両者間で話し合った結果、状態が安定するまでそこの牧場さんに預託して、動いても大丈夫になったら北海道に戻すと云う事で話が決まりました。

この仔も持っている仔です。

競走馬のゲートは開かなかったけど、生きていく道のゲートは開きました。

雪が溶け、暖かい日差しが青草のじゅうたんを包み込むころ、元気になったこの仔が、心配し続けたM代表やそのご家族、クラックステーブルのスタッフさんの元に帰ってきます。



                       

M代表が何故ここまでするのか。
それはこのお馬だけに限ったことではありません。

昨年、オキテが怪我から復帰後、成績がパッとせず引退という言葉が現実味を帯びてきたことを相談した時、「もし最悪どこにも行き場がなくなった時にはいつでも引き受けますよ。」と言って下さり、オーナさんや調教師さんと連絡を取り、今後のオキテについて話して下さったことがありました。
その後、何とか1勝をあげる事ができ、体調も戻り始め、現役続行の決断がくだされましたが、あの時のM代表の言葉にどれだけ安心したか知れません。


M代表は言います。

「私の気持ちや家族やスタッフの思い、周りの皆さまのご尽力もあり、こうして命を繋げました。 
しかし、こんな風に全ての馬を助ける事が出来ないのが現実です。
それを差し引いても、自分たちに夢や利益をもたらしてくれた馬たちに対して、人間があまりにドライなのではないかとも感じています。

このような事を言うと、甘いとか現実を見ろと言われそうですが、中にはこういったもの好きな育成業者がいても良いのではないかと思っています。」



馬世界の関係者さんの中には引退馬の余生を見ると言う事を良く思わない方もいると聞きます。
現実に私も「こんな金にもならない事、良くやってるね。」と言われた事があります。
むっとして「お金では買えない物を貰っていますから」と答えましたが、鼻で笑われました(苦笑)。

動物愛護に関しては様々な考え方があると思います。
動物の肉を食べるのに何が動物の命だ、と、良く言われます。
確かに、私たち人間は生き物の命を頂いて生きています。
それはどうにもならない事実です。

その償いとして、救える命は救いたいと考えることはおかしいでしょうか?

難しいことはわかりません。が、人間の楽しみのためだけに産まれてきて、その為だけに悲しい別れを何度も味わい、脚が折れそうになっても一生懸命走る馬たちを、天寿まで生かしてあげたいと願う事はバカな事でしょうか?

無駄だと言われても、馬鹿馬鹿しいと笑われても、こういうM代表のような方がいると思うと頑張る気持が蘇ってきます。


再びM代表の言葉です。

「そして新たにホースマンを目指してる若者、今現在ホースマンとして頑張ってる人たちが、自分の為に身体をかけ、命をかけてる馬たちに感謝し、命の尊さを受け止めながら馬たちに接していける環境や、そうした考えの人たちが1人でも増えていけば良いなと考えているのです。」


少しずつ、馬たちをとり囲む環境が変わってきている様な気がします。

M代表、これからも頑張って下さいね!!  (でもきっと、お金持ちにはなれないだろうなぁ・爆)



長文、お付き合い有り難うございました。

気分直しにクラックステーブル時代のオキテの画像、お見せします!

2月17日、名古屋競馬第2レース出走のオキテ、3着と頑張りました。
レース内容も良くなってきている様な気がします(親ばか??)。
見限らず応援お願いしま~~~す!!



       
       「みなさ~ん、僕ですよ~~~。」





       
       「ちょっと昔のオキテですよ~」





       
       「変顔遊びしてますよ~」
   




       
        「変顔やったら負けへんで、どや!」 by スティング







       
       「おすましすればイケメンだい!」 by オキテ
          

       

今はもう少し大人っぽくなったオキテです。




*お馬のおはなし・・・バイウエイ(横道)

2014-02-13 | 日記
2月に入ってから、全国各地で大雪報道が・・・・
皆さん、埋もれてませんかぁ!!
交通にもかなり影響がでたようで大変でしたね。
札幌でも、雪に慣れているとはいえ毎日の除雪にウ~ンザリ、空を見上げては「バカ野郎!!」と怒鳴っているお方が約1名(わが妹です)。

山のふもとに戻ってきた私にも、大きな雪被害が!
それでなくても場所的にネット関係の電波が悪いところなのに、この大雪のせいでスマホの電波も弱っちくなってしまい、ネット検索はもとより、メールすらも受信、送信できる場所が限られてしまったわけで・・・
やぁっと昨日あたりから回復し始めたようで、何とかメールも検索もできるようになりました。

この数日スマホを持ったまま、電波を求めて、あちこちウロウロしていたエドリンです、こんばんは。




                     

というような事で、やっと戻った電波が嬉しくていろいろスマホで検索していたら素敵なお馬の逸話を見つけました。
ご存じの方もいるかもしれませんが、もう一度聞いて下さったら嬉しいです。


 1・オンワードガイ

オンワードガイ(牡)・・・・誕生、1968年4月6日   没、1985年
           父オンワードゼア、母リナウン(母父ネヴァセイダイ)
           42戦10勝   主な勝鞍、朝日杯3才ステークス、AJC杯、目黒記念
           同期生、ヒカルイマイ、ニホンピロムーテ

オンワード樫山という洋服ブランドをご存じの方はどのくらいいるでしょうか?
レナウンとならんで、私たち世代には懐かしいネームですが・・・・(遠い目)。

そこの社長さんが競馬好きで、馬だけでは物足りずに、ご自分の牧場も作ってしまったのです。
残念なことに最近、カントリー牧場と共にオンワード牧場も消えてしまいましたが・・・。

そのオンワード牧場の代表生産馬オンワードゼアなのですが、ちょっと出生(?)の逸話が面白いのです。

逸話には2種類あります。

その①   本当は違う種牡馬をつける予定だったのが、母のリナウンがその種牡馬を嫌って受け付けず、当て馬だったオンワードゼアと交配してしまった。



その②   1958年の春の天皇賞馬であり1959年有馬記念馬でもあるオンワードゼアでしたが、仔供に恵まれずいつ
      か当て馬として使われる様になってしまった。
      そのことに憤懣やるかたなかったゼア君は、スタッフの目を盗み、リナウンと交配してしまった。
      それを知ったオーナーは怒り、ゼア君を幽閉してしまった。



どちらが真実なのかはわかりませんが、そういういきさつで生を受けたガイが、牧場の生産馬として最高の稼ぎ頭になったわけです。
もちろん、ガイの活躍でゼアの幽閉はとかれオーナーはゼアに謝罪し、再び種牡馬に返り咲いたのだとか。

でも、天皇賞馬で、有馬記念馬を当て馬にしちゃうってどうよ。
私的には、ゼアの執念説の方が好きですね。

やるじゃん、ゼア君!!


ついでにも一つおまけ、母、リナウンは当時オンワード樫山のライヴァル会社だったレナウンと、英字表記が同じだったそうな(笑)。




2・グッバイマイライフ

グッバイマイライフ(牝)・・・・誕生、2000年4月2日
                父ティンバーカントリー  母センゴクアンバー(母父アンバーシャダイ)
                
このお馬さんは2勝馬です。
大きなレースも勝ってません。
生涯2勝しただけです。  もちろん2勝するだけでも立派ですが。
ただ、その2勝がどんな重賞よりも大きな意味をもった勝利だったのです。

この仔のオーナーさんは高知のお医者様でした。
ご自分の病院もお持ちになり、順調な生活をなさっていました。
ところがある日、ご自分の体に異常を感じ検査したところガンであることが判明したのです。
しかも末期で、余命が半年しかないと・・・・。

この方はそれがわかった時、お仕事をやめ、馬が走るのを見て暮したいという長年の夢を叶えるべく、馬主になったのでした。
その、初めて買った馬が“グッバイマイライフ”です。

グッバイマイライフ・・・・・さらば我が人生

あまりにはまり過ぎたネーミングです。

馬主になったこの方は、愛馬のデビューが楽しみで「1勝するのを見届けるまでは死ねない」というのが口癖だったそうです。
2002年8月に札幌でデビューしたグッバイマイライフでしたが、ここでは勝てずに、4戦目の中山第1レース、ダートで念願の初勝利をあげることが出来ました。
その仔の走るのを楽しみに頑張っていた馬主さんの喜びはどれほどのものだったでしょう。
余命半年と宣告されていたにもかかわらず、その後2年頑張って愛馬の走りを見てきた馬主さんでしたが、2004年2月に力尽き旅立って行きました。
その翌日、まるで追悼レースかのようにグッバイマイライフは2勝目をあげたのでした。

2007年、繁殖さんになった彼女が、その年産んだ女の仔と並んで草を食む姿が新聞に載っていました。


                                       


どんなお馬にも1頭1頭、物語があります。
人と馬とが紡ぐストーリーにはどんな名作もかないません。

私も最近、素敵なストーリーを知りました。

近々ブログアップしますので楽しみになさっていて下さいね。

今日はちょっと趣をかえてみました。

画像がなくつまんないと思ってらっしゃる方の為に、去年の今頃のスティング君を載せちゃいますね。

天使になったスティング君です(爆)



    
   「みんな、天使スティングやで。 元気してるかぁ。 雪に負けたらあかんで。」




    
   「雪が溶けたらまた遊びに来てや。  いつでもおいら待ってるで。」




追伸です。

スティングを偲ぶ会が4月19日~20日に決まりました。
ご都合が良かったら、是非、スティングの思いで話をしに来て下さい。

詳しくは “マイネルスティング公式ブログ”で。

♪ 窓を開けたらお馬がこんにちは・・・??? 

2014-02-02 | 日記
父の7回忌のため久々に山から降りて、札幌に帰ってきました。

札幌駅について降りた途端、人の波にドワ~ッとのまれて、一瞬その場にフリーズしてしまいました。

~~~~なしてこんなに人がいるん?~~~~

ほんの1カ月半ほどで“浦島太郎症候群”に陥ってます。

蓋のついた箱を開けたらどうなるのか・・・お爺さんになる?

相変わらずアホな事を考えてるエドリンです、こんばんは。



     

スティングが旅立ってまもなく、まるでその後を引き継ぐかのように新たなるお馬の会が、引退馬ネットのサポートにより設立されました。
その仔の名は“マイネルディンプル”。

スティングと同じラフィアンのクラブ馬です。
1994年4月8日生れの葦毛
父・ゴールデンフェザント、母・ツジノスマイル

競走馬成績は残念な未勝利でしたが、1999年から札幌競馬場の誘導馬として頑張り、その後2006年から乗馬クラブで乗馬馬のお仕事をこなしてきました。
しかし、葦毛馬特有の病気‘メラノーマ(悪性黒色腫)’にかかりそれが酷くなったために処分されそうなところを、同じ乗馬クラブに自馬を預けていた方が“看取り”を覚悟で引き取られました。
そして「マイネルディンプル、サポートクラブ」を立ち上げられ、ディンプルが残された時を、穏やかに、幸せに過ごせるようにとの思いで、一緒に見守って下さる会員さんを募集しています。

そして、そのディンプル君がどこに繋養されているかといいますと・・・・・・

「小さなゲストハウス、ハッピーホースイン」

ここでもう1頭のお馬さん‘マイネルスプレモ’君と共に看板馬を勤めているのですよ。



     

ゲストハウス・ハッピーホースインは、普通のホテルやペンションとはちょっと違います。
オーナーさんがご自分の経験から、色々な宿に泊まって様々な特徴を楽しむという旅も良いけど、1か所に滞在してその町を楽しむっていうのもありかも、という発想から作り上げた「自分の別荘感覚」のお宿なのです。

従ってお部屋数も2つしかありません。
お食事はご自分でお作り下さい、です。(バーベキューの設備はありますが、食材は自力でネ)
そして、なんといっても大きな特徴は、お部屋の窓を開けると・・・・なぁんと目の前にお馬が!!
この設定が、オーナーさんが目指した趣向なのです。

                        

ちょっとここで、こんな素敵な宿を作りたいと考えたオーナーさんのこれまでをお教えしちゃいます。

幼いころに見た事も無い馬に憧れたそうです。
少し大きくなって、乗馬にチャレンジするも撃沈したとか。
もっと大きくなって競馬を知り、それと同時に馬の運命を知り、怒り、悲しみ、そして自分の無力さに打ちのめされ、それでも馬から離れられずに、再び乗馬も始められ、いつか馬と生きる事を夢見るようになったそうです。

そんな時に出会ったのがマイネルスプレモ君。
あった瞬間「運命の馬だ!」と感じたそうです。
噂によると、パドックであくびをしていたスプレモ君にドッキンとしたとか・・・(笑)

その運命の仔スピ君が、今一成績がパッとしないのです。

ある時、会社の会議で仕事上の業績不振を全て押しつけられ、非難の矢面に立たされたオーナーさん。

辛い時間を過ごして自分のデスクに戻った時、1本のメールが!
「スピ君、初勝利!」
その時に絶対にスピ君と生きると決めたそうです。

その時の嬉しさは身に沁みてわかります。
私もついこの前、なかなか勝てなかったオキテの初勝利に暴れたくなる程の喜びを感じましたから。

その後オーナーさんは心機一転、転籍を希望し、それからは順風満帆、馬と暮らす資金もでき、夢がどんどん近付いてきたのでした。

そして、スピ君1頭とのんびり暮らそうと考えていたオーナーさんだったのですが、スピ君を引き取り預けた乗馬クラブに、いつも横になり、ゼイゼイ言っているお馬がいて、気になってスタッフさんに聞いたそうです。
そうしたところ、「メラノーマが酷くなって、もう乗馬は無理だから処分を考えている」との答えが。
驚いたオーナーさんは思わず「じゃあ、私が看取ります。」と言ってしまったのでした。

それが、札幌競馬場でプリンスと呼ばれたほどの人気馬だったディンプル君です。

いつまで生きられるかわからなくても、その日が来るまでのんびりと穏やかに過ごさせてあげよう、延命処置などはせず、その時がきたら安らかに旅立たせてあげようと考えていたオーナーさん。

それが、ハッピーホースインに移動してからどんどん良くなり、獣医さんに見て貰うと「この分じゃ7、8年はもつね」と。

ちょっと慌てたオーナーさん。
そこまでの計算はしていなかったのです。
馬1頭みるのには結構な経費がかかります。
どうしようかと悩んでいろいろ調べた結果、引退馬ネットにたどり着き、同じ冠のマイネルスティングという、あまり知らない名前のお馬が、会員さんによって余生を過ごしている事を知り、思いきって会の立ち上げを決意したそうです。

病気を抱えているディンプル君ですが、神様のお迎えが来るまで楽しく暮らせる事を約束されたのです。
彼も持っている仔ですね!

実はこの話には裏があり、どうも、乗馬クラブで横になったまま辛そうにしていたのは、スピ君のシナリオだったのではないかと・・・・・。
オーナーさんが来る日には具合の悪い演技をするように、とスピ君が指導していたのでは・・・・という疑惑があるのです。
これはオーナーさんご自身がおっしゃっている事なので、案外真実なのかも(爆)。

とにもかくにも、ディンプル君にも応援団がつき、居候の身分からランクアップしました。
これから張り切って看板馬のお勤めを果たしてくれることでしょう。

オーナーさんが私に返信して下さった言葉に、大きな感動を覚え、この記事を書かせてもらいました。

それは

「何回生まれ変わっても、何度人生をやり直しても、きっと同じ場所に立っているだろうと感じます。
それくらい、後悔のない人生を選んだと心から思えるんですよ。
幸せな人生を頂きました。」

ここまで自分の人生に誇りを持てる人ってどのくらいいるでしょう?
もう、長く生きてるだけのエドリンには逆立ちしても言えない言葉です。
この言葉だけで、このオーナーさんにゾッコンしびれました。

北海道で、牧場巡りをするときは是非、窓を開けたらお馬が見えるお宿にいらしてみて下さい。

その受付方法などは、こちらのブログから。

       北国の小さなゲストハウス、ハッピーホースイン

また、ディンプル君のサポート会員さんも募集しています。
宜しくお願い致しま~す。






             
            ここがお宿で~す。




             
            お部屋はこんな感じです。  もう一つファミリールームがあります。



             
   お部屋の窓を開けるとお馬がぁ! 看板犬、パピヨンのタラムアモーレス・ネツ子嬢が案内してくれます(違)。



             
    ここはリビングダイニングです。 地元のお野菜食べながら、馬談議に花咲かせましょう。





            
              ♪ 窓辺ににんじん ♪




             
           「ニンジンおくれ。」 byスプレモ




             
            わ~ぉ! スピ君、何て顔じゃぁ!! 




             
            「僕にもくらはい。」  byディンプル




             
            名シナリオライター、スピ君と、名優、ディンプル君




             
            「僕たちいつでも待ってるよ~」





             
            「僕たちに会いにきてね~。 おかんもいるよ。」







       オキテ情報です。

オキテ君、明日2月3日、名古屋競馬第3レースに出走します。

前回からあまり期間も無く出走出来るのは体調が良いのでしょう。

距離も800メートルと短くなります。

違ったオキテが見られるかもです。

応援、宜しくおねがいしま~す!!





                  ハッピーホースインのおかん様、画像ありがとうございました。