新・名も無い馬ですが・・・・・

2013年11月3日に旅立ったマイネルスティング。
その想い出と一緒に、これからも名も無い馬たちの応援をしていきます。

☆パルサー君のスローライフな日々☆

2013-06-14 | 日記
6月にしてもう夏バテ気味です。
寝ても寝ても眠気がとれません。
座ったら立ち上がるのがしんどい(あ、これはいつもでした)。

こんな時期から真夏になっていたら、8月までに夏が終わっちゃうかも・・・・。
その内に四季ではなくて三季になってしまったりして(爆)。

「真夏日や 体は急に馴染めない 特に老体は 字余り。」  エドリンです、こんにちは。




        富良野の空はどこまでも青い

札幌を出た時は薄曇りの空でした。
「私たち晴れ女だから絶対晴れるよ」「そだね」
天然コンビのTさんとそんな事を言っていたら、目的地に近ずく程に素晴らしい青空に・・・。
「やっぱりね。 見たか!美熟女パワー!!」

                      

今回私たちが向かったのは、ラベンダーやメロンそしてテレビドラマ‘北の国から’で有名な富良野です。
馬産地とはちょっとかけ離れた富良野に馬がいるの?
いるんです。
それもG3を勝った重賞勝ち馬が。

電話でお聞きした道をちゃんと行ったつもりが、やっぱりお約束の道間違い。
私たちの方向音痴をまるで知っているかのように、牧場主さんから電話で、迎えに来てくれるとのこと。助かったぁ。
で、何とか目的地到着です。

広い畑が続く丘の上の大きな建物の中には、うさぎ、犬、ポニーに混じって1頭のサラブレッドが。
その仔の名は、トウカイパルサー 
1996年4月21日産まれ。
父・トウカイテイオー、母・イングリッシュホーマー
40戦6勝     2002年愛知杯(G3)勝馬


       
        初めまして。トウカイパルサーです。


       
        おみやげあるの?       



ここ、コバン牧場は移動式のふれあい動物園をやっています。
だから、ポニーやうさぎ、犬に猫に、ヤギさんまでいます。
元は牛舎だったという現馬房は広く、隣との壁も低くて圧迫感が全くありません。
パルサーからは四方丸見えですが、小さいポニーちゃんは隣が見えない造りになっています。
パルサーのお部屋にも、父親から苛められてしまうポニーちゃんが同居していました。

 
       
        パルサーの同居馬君。 名前聞くの忘れた!(爆)


        
        並んでご飯だよ。      
      


牧場主さんに、パルサーがここに来たいきさつをお聞きしました。
かつて育成牧場に勤めていらした牧場主さん。
その頃の知り合いから「肉にださなきゃならない馬がいる。面倒みてくれないか」と頼まれたそうです。
馬が好きな牧場主さんは即座にオッケーしました。
それが、パルサーだったのでした。

そもそも牧場名の‘コバン’は、競走馬スズカコバンからとったものだそうです。
この牧場を作ったのもスズカコバンを引き取ったからだったとか。
ミスターシービーやカツラギエースと同期生、そしてシンボリルドルフとも戦ったコバン。
1985年の宝塚記念(G1)を勲章に種牡馬入りし、クラキングオーを始め地方競馬で大活躍した仔供達を出しました。
2000年に種牡馬を引退し、2005年に25才で亡くなるまで、この牧場で余生を送っていました。
その後を継いだのがパルサーなのです。

「とにかく好きなようにさせてます」と云う牧場主さん。
最初は結構うるさかったパルサーですが、今では、どこに触っても平気、極端な話、後ろに人が立ってても心配いらないほどだとか。
この環境に馴染み、ここが終の棲家だと認識して心から安心している気持ちが感じられました。


        
         「チューしても大丈夫そうだよ」とTさん。  パルサー君は「ご遠慮します」かも(笑)



        
         身の危険を感じてお外へ避難。                 
             

毎年何人かの方が、パルサーに会いに来るそうです。
やっぱり、富良野という場所柄か、こちらまで足を伸ばす人は少ないのでしょう。
でも、近くには‘トリックアート’美術館やフラワーランドかみふらの、などがあり、観光ついでにパルサーに会いに行くというのも有りじゃないでしょうか。
何と言っても、ポニーちゃん達がホント、可愛い!!
連れて帰りたいくらいです。
北海道にいらしたら、日高の帰りにでも是非ぜひ、富良野に寄ってみてください。


       


        
        道を間違えて行きすぎてしまった所。あんまり奇麗なので撮ってみました(やってる場合か!!)  
             
こういう景色の中でパルサーは暮らしています。



       
       ポニーちゃん達もワラワラお外に出てきました。


       
        おみやは? 無いなんてありえな~い!!      
       


       
        「あとでくれるってさ。」 「ホントかな?」


       
        「何だか眠くなってきた・・・・」


       



       
        「僕はお昼寝しますから、邪魔しないでね」



普通の馬房の2倍はある広いお部屋に、お腹がいっぱいになったらお外に行って、今度は青草のスイーツ。

時々、青草を食べながら移動して行くうちに、下の小学校まで行ってしまって、「パルサー来とるよ」と電話がくるそうです。
「満足したら勝手に帰って来るから構わないどいて。」と答える牧場主さん。
その通りに、青草に食べ飽きるとスタスタ帰ってくるのだそうです。
「好きなようにさせてます」がモットーのような牧場主さんのおかげで、パルサー、自由気ままに暮らしています。

「寿命が来るまではしっかり守りますよ。」
その言葉に心が熱くなりました。
トウカイパルサー、今、一番幸せな時間を過ごしているのではないでしょうか。



       
       


   
    
パルサー、また来るからね。
元気してるんだよ。

幸せそうなパルサーを見て、私たちも幸せな気持ちで帰途につきました。
帰り際に、ライトを消し忘れたままにしておいた為にバッテリーがあがってしまった事は、ご愛敬ということで・・・。



   

           コバン牧場様、お忙しいなか有り難うございました。

       












                    

 新聞に載った仔ども達・・・繋げ!皇帝・帝王の血!!

2013-06-03 | 日記
春はどこ?などと言っていたら、いきなり春を追いぬいて夏が来てしまいました。
今度は‘暑~い!’日々が・・・・・。

ホント、どうなったん自然界は?

今入っている仕事が(派遣なので)園芸関係のため、一日中、外を走り回っています。

気がついたら日焼けで真っ黒(涙)。

「これで今年は海にも山にも行かなくてすむよ。」 思いっきり強がってみるエドリンです、こんにちは。




       新聞デビューした2頭のお馬

私は血統の事はわかりません。
サラブレッドの3代始祖(世界中のサラブレッドは遡ればすべてこの3頭にいきつく)が、ダーレーアラビアン、ゴドルフィンアラビアン、バイアリータークだというくらいしか知りません。

それでも、このお馬の体に流れる血の凄さはわかります。

父、トウカイテイオー{父シンボリルドルフ、母スイートルナ}
母、オーロラテルコ {父ミスターシービー、母オーロラシロー<父シンザン、母ヤノセイラン<父タニノムーティエ、母レディロック>}

1頭の馬に、5頭のダービー馬、そして3頭の3冠馬のDNAが流れているのです。

その仔の名は、クワイトファイン。

昨年の5月、北海道競馬でデビューしましたが、体が小さくてレースについて行くのがやっとの状態でした。
12月に福山競馬へ移籍、そこでもまだまだ競走馬らしさを見せる事はできずにいました。
そして福山競馬の廃止が決まり、どうなるのか心配し続けていました。

でもやはり神様は、これだけの血を絶やしてはいけないと、救世主を与えて下さいました。

トウカイテイオーの血を守りたいと考えるオーナーさんが現れて、名古屋競馬への移動が決まったのです。

まだ勝ち星はありませんが、少しずつ成績も上がり始めています。

ファインは競走馬として父や祖父のような活躍はできないかもしれません。
が、受け継いだ偉大な祖先の血を繋いでいくという、大きな役割があります。

地味なマイラーでダート馬だと思われていたダンシングキャップの息子が、競馬史上に名を残し、日本中誰もが知ってるアイドル馬オグリキャップとなるなんて予想した人がいたでしょうか?

オグリキャップの能力は、23戦22勝、負けたのがケンタッキーダービーの2着だけ、その葦毛の馬体から“グレーゴースト”“グレーファントム”などと呼ばれ、タイム誌の表紙も飾るほどの人気を博したアメリカの競走馬‘ネイティブダンサー’の遺伝子だろうと言われたりしていました。

本当の所は神のみぞ知る・ですが、いつそのDNAが花開くのかは誰にも想像さえできない事です。

人に出来る事は、絶やさない事。
その血を繋げていくことだけだと考えるのは私だけでしょうか?

ファインの中の、大きな可能性と果てしないロマンを含んだDNAが、いつの日かとんでもない大物を生みだすこと、そんな夢を見させてくれるのも彼の存在があるからです。

そして、デビューからず~っとファインを見守り続けてきたチームテイオーの代表のご尽力で、クワイトファインの事が5月25日の中日新聞に載りました。


         


これからもクワイトファインを応援、見守っていきたいと思います。


                       


続いて新聞に載ったのは、この方。


          


第2の馬生を歩き出したリュウノスターです。

高知競馬を引退し、引退馬協会のフォローアッププログラムで乗馬のお稽古をし、群馬のレオナルド・ダビンチ牧場に就職が決まって旅立って行ったスター。
そんな彼のことを5月30日の上毛新聞がとりあげてくれました。


          
           懐かしいフナバシボンバー君も写ってます。
           

 
しっかり記事を見たいと思われる方は、チームテイオーのサイトまで出張お願いしま~す。


                 チームテイオー応援サイト

 


       ありがとう&さようなら

ジョワドヴィーヴル、メジロランバダに続いてフィフスぺトルまで亡くなって、悲しい思いが渦巻いていたところに、今度は笠松競馬の、現役最高齢誘導馬のパク爺ことハクリュウボーイまでが逝ってしまいました。
享年30歳と大往生ともいえますが、笠松競馬のアイドルとしてずっと頑張ってきたパク爺。
その姿が見られない事はやっぱり寂しいですね。
地方競馬の宝が一つ減ってしまいました。

ジョワド、ランバダ、フィフス、そしてパク爺のご冥福を心から祈ります。


                     
                        ソロモンさん有り難うございました。