実は今だ、先日の「鬼瓦権造」事件ショックを引きずっています。
職場の仲間に話しました。
大笑いされました。
「だから写真撮られるの嫌いで、自分の写真ってあまりないのよね。」
と言ったら
「でも、いざという時の為に遺影用の写真は必要よ」
「いいの、遺影写真なんていらないから」
と頑張った私に一言。
「大丈夫よ~!今はしっかり修整できるんだから」
そっかぁ、なら良かった・・・って喜んでいいのか!!
修整が必要なエドリンです、こんばんは。
マイネルスティングが世話した仔馬は、オキテともう1頭,コスモセブンがいます。
そのセブンを無事育成所に旅立たせてから、スティングは亡くなりました。
それまで1度もどこかが痛いとか具合が悪いとかいう症状を見せないまま初めて倒れ、大嫌いだった病院に一回だけ行って、それが最初で最後でした。
以前にも書きましたが、その日は、殆ど来道することのない引退馬協会の代表とスタッフさん、引退馬協会北海道支部の支部長さん、そしてマイネルスティングの会員さん達が、それぞれ別々の用事で静内に来ていたのでした。
それは偶然なのか、はたまたスティングの持った運なのか、関係者が集まって見守っている中で旅立って行ったスティング。
本当に不思議な事を起こす仔でした。
話がそれました。
そのコスモセブン、2014年、中央競馬からのデビューでしたが、芝が合わなかったのか、わずか2戦しただけで園田へ移籍となってしまいました。
園田初戦の前日、父アドマイヤオーラが急死、そして翌日3月4日、セブンは後方から上がり37・6秒の鬼脚を見せて初勝利をあげたのです。
その時私は、オキテが、スティングが旅立った5日後の、それも、後2戦で引退させますと宣告されたばかりのレースで初勝利をあげた事を思い出し、馬達の世界にはスピリチュアルな何かが存在するのかも知れないと、嬉しさと一緒にゾクッとしたものでした。
移籍初戦を勝利で飾ったセブンでしたが、それからもう1勝あげたものの、その後は鳴かず飛ばず状態で、ついに2016年6月8日のレースを最後に引退宣告されてしまいました。
ただ、前年に、坂本牧場の奥様がセブンに会いに行った際、引退になったら牧場に戻して欲しいと調教師さんにお願いしていたため、すんなりと北海道行きの馬運車に乗ったのでした。
奇しくも、その3日前にオキテが千葉のイグレットから戻ってきたばかりでした。
まるでスティングが呼び寄せたように・・・・・。
オキテは坂本牧場さんからすぐそばのクラックステーブルさんへ引き取られていましたが、セブンは一旦牧場に戻り、これからの事を考えるという状況でした。
結果、まだ4歳と若く故障もなく極めて健康なセブンなので、もう一度競走馬として夢を追ってみようと云う事になり、ビッグゴールドさんの縁から、金沢競馬に入厩する事に決まったのでした。
そして、金沢競馬所属になって5戦目、セブンはゲートから出ないというとんでもないパフォーマンスをやらかしたのでした。
その時には「怪我でもしたのだろうか?」と心配したのですが、どうやら、レースをしたくなかったらしいと牧場さんから苦笑交じりで連絡を受け、こちらも苦笑しながら安心したものです。
それから3か月後、コスモセブンは再び引退となりました。
牧場さんからその詳細をお聞きして、私はひっくり返るほど笑いこけてしまいました。
それは・・・・・・
ゲートから出なかった事件からずっと、ゲート入りのお稽古をしていたそうですが、どうやっても何をしてもゲートに入らないのだそうです。
暴れたり蹴ったりするわけではなく、ただただ前脚を突っ張ってゲートの中に進まないのだそうです。
調教師さん達も、毎日毎日繰り返し、なだめたりすかしたりしながら、ゲートに入れようとしたそうですが、いかんせん動かない。
ついに調教師さんはギブアップしてしまったそうです。
「長年馬に関わってきたけど、ここまで頑固な馬には出会ったことがない」
そしてセブンは帰ってきたのでした。
戻ってきたセブンに会いに行った時、もう一つのエピソードをお聞きしました。
それは、セブンを金沢競馬に紹介した方達がセブンに会いに厩舎さんを訪ねた時、馬房の中のセブンがもの凄い表情でその方達を睨みつけたのだとか。
今まで牧場では見たことのない顔つきだったそうです。
後からその理由を考えてみると、セブン的には、やっとレースから解放されて牧場に帰ってこれたのに、この連中のせいでまたこんな所へ連れて来られた!コンチクショウメ!!の気持ちだったのでは、と牧場長が言ってました(笑)。
そして、いろいろセブンの気持ちをみんなで妄想してみました。
1、セブンはもう競馬をしたくなかった。
2、牧場のお母さんが「引退後は牧場に帰して下さい」と調教師さんに言った言葉をしっかり覚えていた。
3、牧場に帰ってきたのにまた競馬場に戻された事は納得いかない。
4、どうすればレースをしなくて良いか考えたら、ゲートから出ない方法に気付いた。
5、このままゲートに入らなければ競走馬を辞められると思った。
あくまでも妄想ですが、そうでも考えなければセブンの行動は理解できません。
馬は自分の行く先を考える事はできません。
人の手を借りなければ生きていく事もできません。
だから、その状況、状況で、人に指示された通りに動くしかできないのです。
でもセブンがゲート入りを頑なに拒否したのは、あるいは出来たのは、帰る場所があると分かっていたからなのではないでしょうか?
または、生き死に関係なく絶対的にやりたくない事はやりたくなかっただけかも知れません。
真実は“セブンのみぞ知る”ですが・・・・。
何はともあれセブンは帰ってきました。
今度はさすがに牧場長さんも諦めて、昨年亡くなったセブンの母タケノハーモニーの後を継いで「サカモトホースファミリー」の1員として、会員さん達とのふれあいに頑張って貰おうと云う事になりました。
今セブンは、人が来るとブヒブヒ言いながら寄ってきます。
これは嬉しいと云う表現なのだそうです。
人が大好き、でも競馬は大嫌い!
コスモセブン、作戦勝ちで~~~す(爆)。
「ブヒブヒブヒ (訳)いらっしゃ~い!」
今日はスティングのヘアースタイリストだったNさんが、セブンのたてがみカットに来てくれました。
ニンジン効果もありますが、なかなか良い仔です(時々“暴れたら厩舎に帰すよ”と脅かした事は内緒、笑)
お次はモッヒー君のカットです。
モッヒー近づきすぎだよ~~~!!
モッヒー君の毛はすっごい剛毛なので(鎌でないと切れないとか)これが限界だそうです。
坂本牧場の今年唯一のトネッコちゃん、ムーミン君と母ムーンスケイプ(ニンジンが絡むと息子でも容赦ない母さんです、笑)
そして、ビッグゴールドさん。
すっかり、牧場の看板馬になりました。
こんな風に自分の意志を貫いて競走馬というネームを切り取ったコスモセブンを、ファミリーとして支えて下さる会員さんを募集しています。
セブンだけでなく、モッヒーも里親会に入りたいと待っています。
どうぞ宜しくお願い致します。
興味をお持ちになった方は、坂本牧場のホームページかブログ、又は引退馬協会のホームページを覗いて下さいませ。(クリックするととびます)
宜しくお願い致しますです!!
職場の仲間に話しました。
大笑いされました。
「だから写真撮られるの嫌いで、自分の写真ってあまりないのよね。」
と言ったら
「でも、いざという時の為に遺影用の写真は必要よ」
「いいの、遺影写真なんていらないから」
と頑張った私に一言。
「大丈夫よ~!今はしっかり修整できるんだから」
そっかぁ、なら良かった・・・って喜んでいいのか!!
修整が必要なエドリンです、こんばんは。
マイネルスティングが世話した仔馬は、オキテともう1頭,コスモセブンがいます。
そのセブンを無事育成所に旅立たせてから、スティングは亡くなりました。
それまで1度もどこかが痛いとか具合が悪いとかいう症状を見せないまま初めて倒れ、大嫌いだった病院に一回だけ行って、それが最初で最後でした。
以前にも書きましたが、その日は、殆ど来道することのない引退馬協会の代表とスタッフさん、引退馬協会北海道支部の支部長さん、そしてマイネルスティングの会員さん達が、それぞれ別々の用事で静内に来ていたのでした。
それは偶然なのか、はたまたスティングの持った運なのか、関係者が集まって見守っている中で旅立って行ったスティング。
本当に不思議な事を起こす仔でした。
話がそれました。
そのコスモセブン、2014年、中央競馬からのデビューでしたが、芝が合わなかったのか、わずか2戦しただけで園田へ移籍となってしまいました。
園田初戦の前日、父アドマイヤオーラが急死、そして翌日3月4日、セブンは後方から上がり37・6秒の鬼脚を見せて初勝利をあげたのです。
その時私は、オキテが、スティングが旅立った5日後の、それも、後2戦で引退させますと宣告されたばかりのレースで初勝利をあげた事を思い出し、馬達の世界にはスピリチュアルな何かが存在するのかも知れないと、嬉しさと一緒にゾクッとしたものでした。
移籍初戦を勝利で飾ったセブンでしたが、それからもう1勝あげたものの、その後は鳴かず飛ばず状態で、ついに2016年6月8日のレースを最後に引退宣告されてしまいました。
ただ、前年に、坂本牧場の奥様がセブンに会いに行った際、引退になったら牧場に戻して欲しいと調教師さんにお願いしていたため、すんなりと北海道行きの馬運車に乗ったのでした。
奇しくも、その3日前にオキテが千葉のイグレットから戻ってきたばかりでした。
まるでスティングが呼び寄せたように・・・・・。
オキテは坂本牧場さんからすぐそばのクラックステーブルさんへ引き取られていましたが、セブンは一旦牧場に戻り、これからの事を考えるという状況でした。
結果、まだ4歳と若く故障もなく極めて健康なセブンなので、もう一度競走馬として夢を追ってみようと云う事になり、ビッグゴールドさんの縁から、金沢競馬に入厩する事に決まったのでした。
そして、金沢競馬所属になって5戦目、セブンはゲートから出ないというとんでもないパフォーマンスをやらかしたのでした。
その時には「怪我でもしたのだろうか?」と心配したのですが、どうやら、レースをしたくなかったらしいと牧場さんから苦笑交じりで連絡を受け、こちらも苦笑しながら安心したものです。
それから3か月後、コスモセブンは再び引退となりました。
牧場さんからその詳細をお聞きして、私はひっくり返るほど笑いこけてしまいました。
それは・・・・・・
ゲートから出なかった事件からずっと、ゲート入りのお稽古をしていたそうですが、どうやっても何をしてもゲートに入らないのだそうです。
暴れたり蹴ったりするわけではなく、ただただ前脚を突っ張ってゲートの中に進まないのだそうです。
調教師さん達も、毎日毎日繰り返し、なだめたりすかしたりしながら、ゲートに入れようとしたそうですが、いかんせん動かない。
ついに調教師さんはギブアップしてしまったそうです。
「長年馬に関わってきたけど、ここまで頑固な馬には出会ったことがない」
そしてセブンは帰ってきたのでした。
戻ってきたセブンに会いに行った時、もう一つのエピソードをお聞きしました。
それは、セブンを金沢競馬に紹介した方達がセブンに会いに厩舎さんを訪ねた時、馬房の中のセブンがもの凄い表情でその方達を睨みつけたのだとか。
今まで牧場では見たことのない顔つきだったそうです。
後からその理由を考えてみると、セブン的には、やっとレースから解放されて牧場に帰ってこれたのに、この連中のせいでまたこんな所へ連れて来られた!コンチクショウメ!!の気持ちだったのでは、と牧場長が言ってました(笑)。
そして、いろいろセブンの気持ちをみんなで妄想してみました。
1、セブンはもう競馬をしたくなかった。
2、牧場のお母さんが「引退後は牧場に帰して下さい」と調教師さんに言った言葉をしっかり覚えていた。
3、牧場に帰ってきたのにまた競馬場に戻された事は納得いかない。
4、どうすればレースをしなくて良いか考えたら、ゲートから出ない方法に気付いた。
5、このままゲートに入らなければ競走馬を辞められると思った。
あくまでも妄想ですが、そうでも考えなければセブンの行動は理解できません。
馬は自分の行く先を考える事はできません。
人の手を借りなければ生きていく事もできません。
だから、その状況、状況で、人に指示された通りに動くしかできないのです。
でもセブンがゲート入りを頑なに拒否したのは、あるいは出来たのは、帰る場所があると分かっていたからなのではないでしょうか?
または、生き死に関係なく絶対的にやりたくない事はやりたくなかっただけかも知れません。
真実は“セブンのみぞ知る”ですが・・・・。
何はともあれセブンは帰ってきました。
今度はさすがに牧場長さんも諦めて、昨年亡くなったセブンの母タケノハーモニーの後を継いで「サカモトホースファミリー」の1員として、会員さん達とのふれあいに頑張って貰おうと云う事になりました。
今セブンは、人が来るとブヒブヒ言いながら寄ってきます。
これは嬉しいと云う表現なのだそうです。
人が大好き、でも競馬は大嫌い!
コスモセブン、作戦勝ちで~~~す(爆)。
「ブヒブヒブヒ (訳)いらっしゃ~い!」
今日はスティングのヘアースタイリストだったNさんが、セブンのたてがみカットに来てくれました。
ニンジン効果もありますが、なかなか良い仔です(時々“暴れたら厩舎に帰すよ”と脅かした事は内緒、笑)
お次はモッヒー君のカットです。
モッヒー近づきすぎだよ~~~!!
モッヒー君の毛はすっごい剛毛なので(鎌でないと切れないとか)これが限界だそうです。
坂本牧場の今年唯一のトネッコちゃん、ムーミン君と母ムーンスケイプ(ニンジンが絡むと息子でも容赦ない母さんです、笑)
そして、ビッグゴールドさん。
すっかり、牧場の看板馬になりました。
こんな風に自分の意志を貫いて競走馬というネームを切り取ったコスモセブンを、ファミリーとして支えて下さる会員さんを募集しています。
セブンだけでなく、モッヒーも里親会に入りたいと待っています。
どうぞ宜しくお願い致します。
興味をお持ちになった方は、坂本牧場のホームページかブログ、又は引退馬協会のホームページを覗いて下さいませ。(クリックするととびます)
宜しくお願い致しますです!!