新・名も無い馬ですが・・・・・

2013年11月3日に旅立ったマイネルスティング。
その想い出と一緒に、これからも名も無い馬たちの応援をしていきます。

競走馬でいる事を拒否した馬

2017-06-27 | 日記
実は今だ、先日の「鬼瓦権造」事件ショックを引きずっています。
職場の仲間に話しました。
大笑いされました。
「だから写真撮られるの嫌いで、自分の写真ってあまりないのよね。」
と言ったら
「でも、いざという時の為に遺影用の写真は必要よ」
「いいの、遺影写真なんていらないから」
と頑張った私に一言。
「大丈夫よ~!今はしっかり修整できるんだから」
そっかぁ、なら良かった・・・って喜んでいいのか!!
修整が必要なエドリンです、こんばんは。

    

マイネルスティングが世話した仔馬は、オキテともう1頭,コスモセブンがいます。
そのセブンを無事育成所に旅立たせてから、スティングは亡くなりました。
それまで1度もどこかが痛いとか具合が悪いとかいう症状を見せないまま初めて倒れ、大嫌いだった病院に一回だけ行って、それが最初で最後でした。
以前にも書きましたが、その日は、殆ど来道することのない引退馬協会の代表とスタッフさん、引退馬協会北海道支部の支部長さん、そしてマイネルスティングの会員さん達が、それぞれ別々の用事で静内に来ていたのでした。
それは偶然なのか、はたまたスティングの持った運なのか、関係者が集まって見守っている中で旅立って行ったスティング。
本当に不思議な事を起こす仔でした。
話がそれました。
そのコスモセブン、2014年、中央競馬からのデビューでしたが、芝が合わなかったのか、わずか2戦しただけで園田へ移籍となってしまいました。
園田初戦の前日、父アドマイヤオーラが急死、そして翌日3月4日、セブンは後方から上がり37・6秒の鬼脚を見せて初勝利をあげたのです。
その時私は、オキテが、スティングが旅立った5日後の、それも、後2戦で引退させますと宣告されたばかりのレースで初勝利をあげた事を思い出し、馬達の世界にはスピリチュアルな何かが存在するのかも知れないと、嬉しさと一緒にゾクッとしたものでした。
移籍初戦を勝利で飾ったセブンでしたが、それからもう1勝あげたものの、その後は鳴かず飛ばず状態で、ついに2016年6月8日のレースを最後に引退宣告されてしまいました。
ただ、前年に、坂本牧場の奥様がセブンに会いに行った際、引退になったら牧場に戻して欲しいと調教師さんにお願いしていたため、すんなりと北海道行きの馬運車に乗ったのでした。
奇しくも、その3日前にオキテが千葉のイグレットから戻ってきたばかりでした。
まるでスティングが呼び寄せたように・・・・・。
オキテは坂本牧場さんからすぐそばのクラックステーブルさんへ引き取られていましたが、セブンは一旦牧場に戻り、これからの事を考えるという状況でした。
結果、まだ4歳と若く故障もなく極めて健康なセブンなので、もう一度競走馬として夢を追ってみようと云う事になり、ビッグゴールドさんの縁から、金沢競馬に入厩する事に決まったのでした。
そして、金沢競馬所属になって5戦目、セブンはゲートから出ないというとんでもないパフォーマンスをやらかしたのでした。
その時には「怪我でもしたのだろうか?」と心配したのですが、どうやら、レースをしたくなかったらしいと牧場さんから苦笑交じりで連絡を受け、こちらも苦笑しながら安心したものです。
それから3か月後、コスモセブンは再び引退となりました。
牧場さんからその詳細をお聞きして、私はひっくり返るほど笑いこけてしまいました。
それは・・・・・・
ゲートから出なかった事件からずっと、ゲート入りのお稽古をしていたそうですが、どうやっても何をしてもゲートに入らないのだそうです。
暴れたり蹴ったりするわけではなく、ただただ前脚を突っ張ってゲートの中に進まないのだそうです。
調教師さん達も、毎日毎日繰り返し、なだめたりすかしたりしながら、ゲートに入れようとしたそうですが、いかんせん動かない。
ついに調教師さんはギブアップしてしまったそうです。
「長年馬に関わってきたけど、ここまで頑固な馬には出会ったことがない」
そしてセブンは帰ってきたのでした。

戻ってきたセブンに会いに行った時、もう一つのエピソードをお聞きしました。
それは、セブンを金沢競馬に紹介した方達がセブンに会いに厩舎さんを訪ねた時、馬房の中のセブンがもの凄い表情でその方達を睨みつけたのだとか。
今まで牧場では見たことのない顔つきだったそうです。
後からその理由を考えてみると、セブン的には、やっとレースから解放されて牧場に帰ってこれたのに、この連中のせいでまたこんな所へ連れて来られた!コンチクショウメ!!の気持ちだったのでは、と牧場長が言ってました(笑)。
そして、いろいろセブンの気持ちをみんなで妄想してみました。
1、セブンはもう競馬をしたくなかった。
2、牧場のお母さんが「引退後は牧場に帰して下さい」と調教師さんに言った言葉をしっかり覚えていた。
3、牧場に帰ってきたのにまた競馬場に戻された事は納得いかない。
4、どうすればレースをしなくて良いか考えたら、ゲートから出ない方法に気付いた。
5、このままゲートに入らなければ競走馬を辞められると思った。
あくまでも妄想ですが、そうでも考えなければセブンの行動は理解できません。
馬は自分の行く先を考える事はできません。
人の手を借りなければ生きていく事もできません。
だから、その状況、状況で、人に指示された通りに動くしかできないのです。
でもセブンがゲート入りを頑なに拒否したのは、あるいは出来たのは、帰る場所があると分かっていたからなのではないでしょうか?
または、生き死に関係なく絶対的にやりたくない事はやりたくなかっただけかも知れません。
真実は“セブンのみぞ知る”ですが・・・・。
何はともあれセブンは帰ってきました。
今度はさすがに牧場長さんも諦めて、昨年亡くなったセブンの母タケノハーモニーの後を継いで「サカモトホースファミリー」の1員として、会員さん達とのふれあいに頑張って貰おうと云う事になりました。

今セブンは、人が来るとブヒブヒ言いながら寄ってきます。
これは嬉しいと云う表現なのだそうです。
人が大好き、でも競馬は大嫌い!
コスモセブン、作戦勝ちで~~~す(爆)。


   
      
「ブヒブヒブヒ (訳)いらっしゃ~い!」



      
 今日はスティングのヘアースタイリストだったNさんが、セブンのたてがみカットに来てくれました。




      
  ニンジン効果もありますが、なかなか良い仔です(時々“暴れたら厩舎に帰すよ”と脅かした事は内緒、笑)



    
      
 


お次はモッヒー君のカットです。 

  
  モッヒー近づきすぎだよ~~~!!



  
  モッヒー君の毛はすっごい剛毛なので(鎌でないと切れないとか)これが限界だそうです。




  
  坂本牧場の今年唯一のトネッコちゃん、ムーミン君と母ムーンスケイプ(ニンジンが絡むと息子でも容赦ない母さんです、笑)



  
  そして、ビッグゴールドさん。




   
  すっかり、牧場の看板馬になりました。



こんな風に自分の意志を貫いて競走馬というネームを切り取ったコスモセブンを、ファミリーとして支えて下さる会員さんを募集しています。
セブンだけでなく、モッヒーも里親会に入りたいと待っています。
どうぞ宜しくお願い致します。
興味をお持ちになった方は、坂本牧場のホームページブログ、又は引退馬協会のホームページを覗いて下さいませ。(クリックするととびます)               
宜しくお願い致しますです!!


 ポイントさんのハッピーな日々

2017-06-14 | 日記
スマホのカメラの設定を変えてみようとチマチマいじっていました。
突然、画面に“鬼瓦権造”のような顔が!(こんな顔)
「ギャ~!何これ」どこかから入り込んできた変な画像かと思ったら、何と自撮り機能を押していた事に気付きました。
という事はこの鬼瓦権造はわたし・・・が~~~~ん
ショックでスマホを落としそうになりました。
ショックがず~っと尾を引いてるエドリンです、こんばんは。


    
6月12日、初夏だというのに肌寒い朝、心待ちにしていたトウカイポイントさんに会いに行って来ました。
5月から1カ月ほど、近くの育成場に、新人さん達の教育にベテラン乗馬のポイントさんを貸して欲しいと云う事で出張していて昨日帰ってきたばかりでした。

2003年に故障により引退を余儀なくされてから長い間、ノーザンホースパークで乗馬を頑張ってきたポイントさん。
諸事情によりノーザンを離れ、今の牧場が終の棲家となりました。
G1馬でありながらセン馬のため種牡馬にはなれませんでしたが、乗馬の競技馬として父のDNAをしっかり見せつけてきました。
そのポイントさんももう21才。
熟年と云われる年代に入ってきました。
これからはのんびり、ゆったり余生を楽しんでほしいと思います。

そんな出張帰りのポイントさんですが、さぞやお疲れだろうと思ったら、何の何のチョウ元気です。
疲れが取れるまでと小さな放牧地にいるのですが、すぐ隣が母仔2組の放牧地になっていて、お母さん達は草を食むので忙しく、多少大きくなってきたトネッコさん達は退屈で仕方ないらしく、隣のおじさんに関心モリモリ。
金網越しに“遊んで”光線を投げてきます。
ポイントさんもチビさん達が気になるらしく、近くに行って顔を寄せて何やらヒソヒソ。
ところが、この内の1頭のお母さんが心配性なのかやきもち焼きなのか、他の馬が我が仔に近づくのが許せないタイプで、時々草を食むのを止めて飛んできます。
そして、ポイントさんに向かって後ろ脚でキックするのですが、もちろん金網があるので当たりはしません。
土の塊が飛んでくるだけです。
でもポイントさん“あんた何してんの?”的表情で全く気にせず見ています。
そしてそのお母さんがまた草を食みに行くと、金網の側に行きチビさんとまたヒソヒソ。
「怒りん坊のお母さんだね」と言っているのかどうかわかりませんが・・・・(笑)
仔供が好きなのか、自分が仔供なのか、とにかく寂しがり屋のようで1頭でいるのはあまり好きじゃないようです。
なので、ためしにもう少ししたらチビさん達と一緒に放牧してみようかな、と牧場の社長さんが話してました。
ベビーシッターポイントさんが誕生するかも知れません。

ノーザンホースパークにいた頃良く見られた旋回癖はいまだ健在なのですが、無理に止める事はかえってストレスになるからと自由にさせて貰ってます。
ただ、くるくる回ってもポイントさんのお部屋は広々しているので、大きく緩やかな回りになって心配するほどではないように見えました。
それに何よりも、お世話して下さるスタッフさんがテイオー大好きな方で、ポイントさんがここに来てくれた事が嬉しくて、「どうすればポイントさんが楽しく過ごせるか、それをいつも考えています。その為に、引退馬のお世話の仕方などにも関心があって、よその養老牧場ではどんな風にしているのかいろいろ調べたりしてるんです。」
そんな素晴らしい言葉を聞かせて下さいました。
北海道の広い空の下、どこまでも続く青草の絨毯に可愛い遊び仲間、そして優しい人達のでっかい愛情に包まれて、ポイントさんの毎日は幸せという日めくりカレンダーと一緒に過ぎて行くのです。
そんなポイントさんの日々をちょっと覗いてみました。


    


    


    
ポイントさん、近すぎます!!



   



   
ポイントさんの小さなお友達です。



   
一番の仲良しさんです。 そしておっかな~い(笑)お母さんの仔供です。



   
 良~く見ないとわからないかもですが、顔を寄せて何やら話してます(多分)



   
 こんな感じのお隣さんです。



   
  雄たけびを一発!


   
   
 ポイントさんの横顔は右と左では違います。これは左側



   
 そしてこれは右側です。



   
  私の好きな横顔



   
  ポイントさん、また来るね。

              

数少なくなったテイオー産駒ですが、出来るならみんなポイントさんの様な余生を過ごして欲しい・・・帰る道すがらそんな事をしみじみ思いました。
いいえ、テイオー産駒だけでなくどの仔も、どの仔も・・・・・・究極の願いです。

              

       
牧場の皆さま、ポイントさん、有り難うございました。
なお、ポイントさんは展示馬ではありません。個人の方の所有です。
あくまで牧場さんのご厚意で会わせて頂きました。
なので、会いに行く場合は、牧場さんのご都合を伺ってから行って下さいますようにお願い致します。
         


★ MIYUKI IS ETERNAL ★

2017-06-07 | 日記
今回はとても辛く悲しいご報告なので、いつものエドリン与太話はカットさせていただきます。
ご理解下さいますようお願い致します。

           

ナイスネイチャの母であり渡辺牧場の聖母“ウラカワミユキ”が旅立ちました。

6月1日、ミユキが疝痛を発症し立ち上がれなくなりました。
獣医さんや牧場の方達の懸命の治療と看護で、一度は立ちあがったのですが、その痛みや苦しみは治まることなく、ミユキにはただただ辛い状態が続きました。
高齢のミユキにこれ以上の苦しみを与え続ける事は忍びなく、関係者さんたちは断腸の思いで安楽死の選択をなさいました。
「もう頑張らなくても良いよ。今まで本当に有り難う。ゆっくり休んでね」
きっと、そんな気持ちで見送ったのではないかと勝手に推測しています。
日めくりのカレンダーが1枚めくれた深夜0時08分、36才の誕生日を迎えて、静かにウラカワミユキは神の元へと旅立って行きました。

これまで幾度となく命の危機にぶつかりながらも強い生命力で乗り越えてきたミユキ。
だから今度もきっと・・・そう信じて朗報を待っていましたが、願いはかないませんでした。
サラブレッドの牝馬として記録に残るほど頑張って長生きしてくれたミユキに、神様が「もうお役目は全うしたよ」とお迎えの手を差し伸べたのかも知れません。
また、2014年に旅立って行った大親友のコーセイが「寂しいからもう来てよ」と呼んだのかも知れません。

ミユキの訃報に、いつかは必ず来る別れとわかっていても、大往生だと分かっていても、深い悲しみに落ち込みました。
これから渡辺牧場さんにお伺いして千切り人参の入ったボウルを持って行っても、いつもの放牧地には、私たちに気付いて駆けよって来るミユキの姿はないと思うと、次から次へと涙がこぼれてきます。

フォスターペアレントの会(現・引退馬協会)の存在を知って、ナイスネイチャのFPになり、初めて会いに牧場へお伺いしてから早14年。
それから機会があるごとにお邪魔し、馬達とふれ合わせていただきました。
そこにいつでもミユキはいました。
いるのが当たり前状態でした。
いつも一緒に行っていた馬友さんがミユキのFPだった事もあり、ナイスネイチャのお母さんという事もあり、私の中でもミユキの存在は特別なものでした。
ちょうど牧場にお伺いし始めた頃、つい最近入厩したというコーセイに会いました。
優しくておとなしく人懐っこいコーセイに、「馬ってこんなに可愛いんだ!!」と感動したものです。
それから間もなく、コーセイとミユキというこれ以上ないくらい相性の良い最高のコンビが、必然的にできあがっていました。
コーセイが先に天の国へ旅立って行った時、ミユキがどうなるのか心配で仕方ありませんでした。
そんな心配も、春風ヒューマがナイト役としてミユキをしっかりフォローしてくれ杞憂に終わったのでした。
思い出は次から次へととめどなく溢れてきます。
この牧場へいらした方達はきっと、誰かのFPというだけではなく、牧場にいる馬達みんなのファミリーのような気持ちになったのではないかと思います。
その中心にいたのがウラカワミユキでした。
本当に大きな大きな存在でした。
今まで精魂こめてお世話下さった牧場の皆さまには、どんな言葉もかけようがない程の辛い別れだったと思います。
でも、引退馬協会のホームページ、フェイスブックに載っているミユキの最後の姿は、若々しく張り切った馬体で今にも立ち上がって歩き出しそうでした。
36才という驚異の高齢にも関わらずその毛艶はピカピカで、どれだけの愛情をかけてこられたかをしっかりと物語っています。
間違いなく、ミユキは最高の幸せに包まれた馬生を過ごしていたと私は確信します。
そして、そんな姿を見て来られた私たちは、ミユキと同じくらい幸せを感じていました。
もうミユキの、優しく穏やかに澄み切った、人の心をほぐしてくれるような眼差しを見る事はできないけれど、牧場のあちこちに、そして、息子ナイスネイチャの表情の中に、孫セイントネイチャのちょっとした仕草に、ミユキはしっかりと生きているのです。
これからは大親友のコーセイと一緒に、空の上から渡辺牧場を見守ってくれるでしょう。

    
    

ここからはミユキさんの想い出画像をアップしていきます。
以前に載せたものもあると思いますが、どうぞもう一度懐かしいミユキさんを見てあげて下さいませ。


        
     
2010年3月のミユキさんです。まだ20代でした。

 

     
  2013年です。若くて可愛い!!



     
  人参が絡むと人格ならぬ馬格が変わるミユキさんとコーセイの珍しいツーショットです。



     
  これもコーセイとのツーショット。


   
     
「友情と人参は別物よ」隣でコーセイが人参を貰っていますが、時々そちらをチラ見しては人参状況を確認してます(笑)



    
 とにかく人参大好きっ仔でした。



   
  両方の人参がカラになったとわかると、さっさと草を食みに戻って行きました。牧場のかたが言うには「ゲンキンなやつならぬにんじんなやつ」だそうです(爆)。



  
   
  でも、こんな可愛いお顔で見送ってくれました。



    
  新聞にも載りました。



そして亡くなる半月前のミユキさんです。

    


      
人参も沢山食べ、これなら大丈夫と安心して帰ってきたのですが・・・・・。


たくさんの写真と想い出。
最後は、その中で私が一番大好きな写真です。
種牡馬まで経験した息子と一緒に暮らす母。
それも隣同士の馬房で。

朝の放牧時にミユキの遺体が安置されている馬房の前を通ったとき、ナイスネイチャは1度大きくいなないたそうです。
母にお別れを言ったのかも知れません。



   


   



    聖母ウラカワミユキ、永遠なれ!

ミユキちゃんありがとう、そしてお疲れ様。
ゆっくり休んでください。