2014年も残りわずかとなりました。
今年も沢山の名馬たちが虹の橋を渡りました。
寂しい事ですが、どうしようもない世の常です。
ただ、どのお馬も幸せな馬生であったと信じます。
その死を悲しむ人がいると云う事がその証明だと思います。
今月もまた1頭の名馬が旅立って行きました。
12月12日、トウカイテイオーの同期で、皐月賞2着馬 “シャコーグレイド”です。
引退後、誘導馬や、乗馬などで頑張り、余生は、夏は岐阜の乗馬クラブ、冬になると富山のオーナーさんのところで過ごすと云う生活を送っていました。
今年は何と役者馬(?)として「超高速・参勤交代」という映画でスクリーンデビューもしました。
映画のエンドロールにちゃんとシャコーグレイドと名前が出て、生きている事を知ったファン達がそのクラブに会いに行ったり、ニンジンを送ったりしてくれたそうです。
そして、11月に富山に戻り、オーナーさんが見守る中で静かに馬生の幕を閉じたそうです。
老衰でした。 享年26才。
1991年、皐月賞、私は新聞を見るまでも無く買う馬を決めていました。
トウカイテイオーとシャコーグレイド。これしかない!
そして、テイオーの引退式、まるでテイオーの引退を祝う様に3年ぶりにあげた勝利。
私はボックス席(今はもうありません)からウイナーズサークルのシャコーに拍手しました。
懐かしい懐かしい想い出です。
今頃はテイオーと会って、想い出話しに花を咲かせているかも知れません。
2011年のシャコーグレイド
2012年のシャコーグレイド
同じく2012年のシャコーグレイド
2013年のシャコーグレイド
2014年のシャコーグレイド
シャコーグレイド、お疲れ様、そしてありがとう。
ご冥福を祈ります。
(画像はチームテイオー、Mさんよりご提供いただきました。有り難うございました)
今日はいつもと違った始まり方をしてみました。 エドリンです、こんにちは。
クリスマスが終われば、最後のお楽しみ “有馬記念” です。
有馬と云えばこの方、ナイスネイチャが登場します。
何と言っても、20年以上たった今も破られていない記録、有馬記念3年連続3着。
別に狙って3着に入ったわけではないでしょうが、前の方で何があっても気がつけば3着。
それも
1991年、絶対的1番人気のメジロマックイーンを14番人気のダイユウサクが破ると云うとんでもない事が起きたレースで3着。
1992年、これまた1番人気のトウカイテイオーをメジロパーマーが破っちゃうという、今なおテイオーファンの間では話題にしてはいけない2つのレースの内の1つ (もう1つは春の天皇賞 )となっている中で黙々と3着。
そして、1年ぶりのトウカイテイオーがその年の最強馬ビワハヤヒデを破り、奇跡的勝利をあげた感動のレースでも、我関せずの3着。
実はそれだけではないのです。
ナイスネイチャは同期の仲間達が次々とターフを去った後も有馬記念を走ったのです。
1991年から1995年まで、野球でいえばオールスターのようなレースに出走したのです。
私の記憶では有馬記念に5回連続出走したのは、ナイスネイチャくらいじゃないかと思うのですが、もし他にもいたら教えて下さいまし。
ナイスネイチャの記録が何故凄いかと云うと、2年連続して3着したのは、2006年、07年のダイワメジャー、2010年、11年のトゥザグローリーと2頭いるのですが、3年目はダイワ出走なし(引退した為)、グローリーは16着と切れてしまっています。
ある意味連覇するより難しいかも。
これから先も出てくるかなぁ・・・・・・?
ちょっと面白くなってしまった私は、有馬記念の変わった記録を調べてみました( 暇だねぇとは言わないでネ )。
まず、2001年から2003年までこんなお馬たちが馬券に絡んでました。
2001年 ダイワテキサス 3着 13番人気
2002年 アメリカンボス 2着 13番人気
2003年 タップダンスシチー 2着 13番人気
タップダンスシチーは2002年の2着の後、2004年にも2着でした。
リンカーンは2003年2着した後、2005年に3着とやはり1年、間が開いた後の掲示板確保でした。
何気にファンだったランニングフリーは1988年、89年4着、1990年5着という成績でしたが、1988年と1990年の勝馬はオグリキャップでした。
そして、可哀相なのはマチカネタンホイザで、1994年のジャパンカップを鼻出血で競走除外、続く有馬記念もまた蕁麻疹で出走取り消し、それでも翌年の “高松宮杯” で勝ったのですから強い馬だったのですね。
今回はちょっと古めの有馬記念を探ってみましたが、その内にまた最近の有馬を調べてみたいと思います。
さぁ今年はどんなドラマが起こるのでしょうね。
名古屋競馬のオキテ君、24日、今年最後のレースに挑みました。
2枠2番、2番人気・・・・・・・・そうです、結果は鼻差2着(笑)。
それでも、内で我慢して直線で馬込みを割って差してきた姿に、今までとは一味違うオキテを見ました。
今年も1年、オキテの応援ありがとうございました。
新しい年にはきっと、もう1段成長したオキテになっていると信じます。
引き続き応援して下さったら嬉しいです。
オキテ会の会員さんOさんが応援に行って下さいました。有り難うございます。
スティング亡きあと、ビッグゴールドさんと一緒に坂本牧場のアイドルとして頑張っているモッヒー君から元気な姿が届きました。
「モッヒーでし。 元気してるでし。」
「僕たんにも会いに来て下さいでし。」
アンバー婆ちゃんと、オキテ妹(父、デュランダル)、タケノハーモニーッ娘(父アサクサキングス)
どうぞ来たるべき2015年も、皆様にとって素敵な1年になりますようにお祈りしています。
今年も1年有り難うございました!!
今年も沢山の名馬たちが虹の橋を渡りました。
寂しい事ですが、どうしようもない世の常です。
ただ、どのお馬も幸せな馬生であったと信じます。
その死を悲しむ人がいると云う事がその証明だと思います。
今月もまた1頭の名馬が旅立って行きました。
12月12日、トウカイテイオーの同期で、皐月賞2着馬 “シャコーグレイド”です。
引退後、誘導馬や、乗馬などで頑張り、余生は、夏は岐阜の乗馬クラブ、冬になると富山のオーナーさんのところで過ごすと云う生活を送っていました。
今年は何と役者馬(?)として「超高速・参勤交代」という映画でスクリーンデビューもしました。
映画のエンドロールにちゃんとシャコーグレイドと名前が出て、生きている事を知ったファン達がそのクラブに会いに行ったり、ニンジンを送ったりしてくれたそうです。
そして、11月に富山に戻り、オーナーさんが見守る中で静かに馬生の幕を閉じたそうです。
老衰でした。 享年26才。
1991年、皐月賞、私は新聞を見るまでも無く買う馬を決めていました。
トウカイテイオーとシャコーグレイド。これしかない!
そして、テイオーの引退式、まるでテイオーの引退を祝う様に3年ぶりにあげた勝利。
私はボックス席(今はもうありません)からウイナーズサークルのシャコーに拍手しました。
懐かしい懐かしい想い出です。
今頃はテイオーと会って、想い出話しに花を咲かせているかも知れません。
2011年のシャコーグレイド
2012年のシャコーグレイド
同じく2012年のシャコーグレイド
2013年のシャコーグレイド
2014年のシャコーグレイド
シャコーグレイド、お疲れ様、そしてありがとう。
ご冥福を祈ります。
(画像はチームテイオー、Mさんよりご提供いただきました。有り難うございました)
今日はいつもと違った始まり方をしてみました。 エドリンです、こんにちは。
クリスマスが終われば、最後のお楽しみ “有馬記念” です。
有馬と云えばこの方、ナイスネイチャが登場します。
何と言っても、20年以上たった今も破られていない記録、有馬記念3年連続3着。
別に狙って3着に入ったわけではないでしょうが、前の方で何があっても気がつけば3着。
それも
1991年、絶対的1番人気のメジロマックイーンを14番人気のダイユウサクが破ると云うとんでもない事が起きたレースで3着。
1992年、これまた1番人気のトウカイテイオーをメジロパーマーが破っちゃうという、今なおテイオーファンの間では話題にしてはいけない2つのレースの内の1つ (もう1つは春の天皇賞 )となっている中で黙々と3着。
そして、1年ぶりのトウカイテイオーがその年の最強馬ビワハヤヒデを破り、奇跡的勝利をあげた感動のレースでも、我関せずの3着。
実はそれだけではないのです。
ナイスネイチャは同期の仲間達が次々とターフを去った後も有馬記念を走ったのです。
1991年から1995年まで、野球でいえばオールスターのようなレースに出走したのです。
私の記憶では有馬記念に5回連続出走したのは、ナイスネイチャくらいじゃないかと思うのですが、もし他にもいたら教えて下さいまし。
ナイスネイチャの記録が何故凄いかと云うと、2年連続して3着したのは、2006年、07年のダイワメジャー、2010年、11年のトゥザグローリーと2頭いるのですが、3年目はダイワ出走なし(引退した為)、グローリーは16着と切れてしまっています。
ある意味連覇するより難しいかも。
これから先も出てくるかなぁ・・・・・・?
ちょっと面白くなってしまった私は、有馬記念の変わった記録を調べてみました( 暇だねぇとは言わないでネ )。
まず、2001年から2003年までこんなお馬たちが馬券に絡んでました。
2001年 ダイワテキサス 3着 13番人気
2002年 アメリカンボス 2着 13番人気
2003年 タップダンスシチー 2着 13番人気
タップダンスシチーは2002年の2着の後、2004年にも2着でした。
リンカーンは2003年2着した後、2005年に3着とやはり1年、間が開いた後の掲示板確保でした。
何気にファンだったランニングフリーは1988年、89年4着、1990年5着という成績でしたが、1988年と1990年の勝馬はオグリキャップでした。
そして、可哀相なのはマチカネタンホイザで、1994年のジャパンカップを鼻出血で競走除外、続く有馬記念もまた蕁麻疹で出走取り消し、それでも翌年の “高松宮杯” で勝ったのですから強い馬だったのですね。
今回はちょっと古めの有馬記念を探ってみましたが、その内にまた最近の有馬を調べてみたいと思います。
さぁ今年はどんなドラマが起こるのでしょうね。
名古屋競馬のオキテ君、24日、今年最後のレースに挑みました。
2枠2番、2番人気・・・・・・・・そうです、結果は鼻差2着(笑)。
それでも、内で我慢して直線で馬込みを割って差してきた姿に、今までとは一味違うオキテを見ました。
今年も1年、オキテの応援ありがとうございました。
新しい年にはきっと、もう1段成長したオキテになっていると信じます。
引き続き応援して下さったら嬉しいです。
オキテ会の会員さんOさんが応援に行って下さいました。有り難うございます。
スティング亡きあと、ビッグゴールドさんと一緒に坂本牧場のアイドルとして頑張っているモッヒー君から元気な姿が届きました。
「モッヒーでし。 元気してるでし。」
「僕たんにも会いに来て下さいでし。」
アンバー婆ちゃんと、オキテ妹(父、デュランダル)、タケノハーモニーッ娘(父アサクサキングス)
どうぞ来たるべき2015年も、皆様にとって素敵な1年になりますようにお祈りしています。
今年も1年有り難うございました!!