新・名も無い馬ですが・・・・・

2013年11月3日に旅立ったマイネルスティング。
その想い出と一緒に、これからも名も無い馬たちの応援をしていきます。

今年最後の日高路 (追記あります)

2013-11-23 | 日記
明日はジャパンカップです。
今年のJRAのCM、最高ですね。
「この馬に絶対はある!」  ルドルフを表わすピッタシのコピーです。
でも、毎年この時期になると思いだすのはやっぱり、1984年のジャパンカップです。
カツラギエースが日本馬として初めて勝ったレース。
無傷のルドルフが初めて負けたレース。
日本馬が勝ったと云うのに何故か微妙な沈黙で覆われた競馬場。
2着にきたベットタイムのツートンに刈られた筋骨隆々の馬体。
馬場入りして、みんながキャンターしているのに、何故かつっ立ったままガンとして動かなかったウイン。

月日が流れ、元号が変わり西暦が変わっても、あの時のジャパンカップだけはしっかり脳裏に焼き付いています。

「あの頃君は若かった」・・・・・そんな歌がありました。

郷愁に浸ってます、エドリンです、こんにちは。




    

11月18日、スティングにお別れするために、スティング専属ヘアードレッサーのNさんご夫妻とらすかるさんの4人で静内へ向かいました。
18日の予定は以前から決めていたのですが、その時点ではまさか‘お別れツアー’になるなどとは想像すらしていませんでした。

牧場につき、いつものようにビッグゴールドさんがのんびりと草を食むのを見て、スティングが放牧地で車の音に耳をそばだてている様な錯覚を起こしてしまいました。

スティングの馬房はお花がまた増えて、そこだけ春の様でした。



             

            「俺が死んでもこんなに花、こないだろな」 by 牧場主さん  



「幸せな仔だったよね。」 誰もがそう言います。

出来るだけの幸せをあげたいと、会が出来た時にNさんと約束したことを思い出します。
競走馬時代から、特別な存在になったことなどなかったスティングに、ここでは思いっきり‘オレ様’になって欲しいと願いました。
馬着にネームを入れて、馬具屋さんが‘どんな名馬だ?’と検索したという事もありました。
四季折々にオシャレな無口で彩って貰いたいと、馬具通販サイトを何度も何度も検索しました。
このスティングのお古の無口が、詐欺にあって危ないところだった2頭のお婆ちゃん馬を救ったこともありました。

私たちはすぐ近くにいるから、遠くから見守ってくれている会員さん達のかわりに出来ることをしてあげなきゃ、と思ってやってきていましたが、もうそれが必要なくなったのだと思うと体中の力が抜けてしまったような気がします。
スティングに何かすると云う事が大きなハリになっていたのだと、今さらながらしみじみ思います。

スティングは空に帰りましたが、スティングが繋いでくれた人たちとの絆はこれからも続きます。
そこにはいつでもスティングがいることでしょう。



          
           いつもと変わらずモッヒー君はひたすら草をハムハム。




           
           「来てやったよ」



ゴールドさんは、最初「僕のお客じゃないや」とばかりに奥の方で草を食んでいましたが、何度も呼ばれてやっと、こちらに向かってゆっくりゆっくり歩き始めました。
ところが突然猛スピードのキャンターでやってきました。
私たちの後ろからきた奥さんが持っていた人参バケツが目に入ったからです。
その変わり身の早さにみんな1瞬あっけにとられて、その後、答えがわかって爆笑でした。



           
           「早く例の物下さい」

夏限定の皮膚病も治ってきて、たてがみがモヒカン風に伸びてきました。
“ワイルドだろ!”(ふるっ!すでに死後)


        気持ちをあらたに。

スティングの残していったことにオキテのことがあります。
オキテの育成時代、お世話になった“クラックステーブル”さんに寄ることが今回の目的の1つでもありました。
以前の場所から移動したクラックさんは、スティングのいた牧場さんのすぐ近くでした。
静かで広くて、幼稚園児のような若馬ちゃんの育成には素晴らしい環境です。
そこで、代表さんと、スティングが亡くなった事、これからのオキテのことなどについて話を聞いて来ました。
一応、引退は今のところ回避されましたが、脚もとの不安などがあり何時どうなるかはわかりません。
オキテはクラックさんの第1期生でいつも気にかけて頂いていましたが、これからも引き続き見守って頂きたいとお願いしてきました。

そのオキテですが、厩務員さんから「11月26日の4レースに出走が決まった」と連絡がありました。
またスティングが後押ししてくれることを願います。
どうぞ皆様も応援してやって下さい。



                        


前日まで雨が降ったりやんだり、天記予報もあまりパッとしない空模様でしたが、静内に到着するあたりから青空が広がり、車の中にいると汗ばむくらいの良い天気になりました。
やっぱり、私たちは“晴れ人間”なんです~!!

これから向かうのはお決まりコースの浦河です。
そして、そこにはニューフェイスが入ったのですよね。(まだ、おせーてあげない



まずは、この御大たちにご挨拶です。



      
           
            牧場の女王様、ウラカワミユキ様です。




           
           その相棒、コーセイ様です。



        
           
           お二人ともいつまでも元気でいてね!





次にはその近くにいるこのおぼっちゃま君です。
何故かこの放牧地以外だと落ち着かないのだとか。




           
           「こっちのアングルやめてくれる!」




           
           「そうそう、これが僕のベストアングルなんだよ。 忘れないでね。」



キャプテンベガおぼっちゃま、人参の食べ方いくらかお上手になったようです。



そしてそして、お待ちかねの新人君、トウショウヒューマです。

トウショウヒューマ    1993、3、24生まれ
             父グリーングラス、母ライラトウショウ、母父モガミ

競走馬引退後、警視庁騎馬隊の馬として10年にわたり頑張ってきましたが、今年の10月退厩。
ずっと応援してくれた方達が会を立ち上げ引退馬ネットのサポートホースとなりました。
騎馬隊時代の名前、春風と競走馬時代の名前をあわせて、

“春風ヒューマの会、トウショウヒューマの応援団” としてスタートしました。

この会に関心がある方、ヒューマの余生を見守ってあげたいとお考えの方は、
引退馬協会のお問い合わせフォームからご連絡なさって下さい。




         
         「初めまして。  春風ことヒューマです。」




         
         「これからお世話になります。宜しくです。」



ヒューマ君、他の馬が走っていても決して走りません。 騎馬隊で走ってはいけないと訓練されているからだろうと牧場の奥さんが言っていました。
少し慣れてきて、何歩か走りかける事があるそうですが、すぐに「アッ」と気づいて止まるのだとか。
けな気ですよね。
ヒューマ君、もう走ってもいいんだよ。
もう自由にしてもいいんだよ。
これからの日々は自分の好きなようにしていいんだから。




続いて、浦河でのんびり暮らすテイオー産駒2頭




              
              食べてる時もカメラ目線のヒカルで~す。



              
              そのワル仲間(笑)セイントネイチャ、いつから葦毛になったん?




 
             
             
             ますます美しさに磨きがかかったケイウンコユキ嬢。 ホントに美人です。






最後のトリは、もちろんこの方。 ナイスネイチャです。
すっかり好々爺になった感のある今日この頃。
ミサイル、メテ、と争わず、でも一緒にいる事が楽しいようで、マイペースな日々を過ごしています。




             
             「いらっしゃい。 人参ありがとだよ。」





             
             「あ! あそこに100円落ちてる!!(違)」




             
             ミユキ母さんにそっくりになってきたナイス。 長生きも真似してね。







今年最後のツアーも好天気に恵まれ(ところが帰り、苫小牧付近に来た時、雷と大雨が!)、無事、スティングにもお別れが言えました。

来年からスティングはいませんが、牧場さんにスティングの墓碑をつくる計画もあるので、日高路ツアーは続きます。
繁殖さんと一緒の為、面会期間があるエイシンバーリンさんにも会いに行かなくちゃならないし、まだまだお馬さんとの触れ合いツアーを止めるわけにはいきません。

さあ、来年もあちこち行くぞ~!!




        追記で~す


トウショウヒューマ君のブログご案内

        春風ヒューマの会 ~トウショウヒューマ応援団~


血を繋ぐと云う事   (追記あり)

2013-11-17 | 日記
3日、日曜にスティングが旅立ちいきなり悲しみのどん底に突き落とされ、8日の金曜にオキテが初勝利をあげ、喜びのテッペンまで跳び上がり、と、11月の第1週はまるでジェットコースターのような週でした。
‘禍福はあざなえる縄のごとし’という言葉を実感した日々でした。

やっと落ち着きを取り戻しかけている最近ですが、“もうこの空の下にスティングはいないんだなぁ”と思うと、足もとから寂しさがズンズンと湧きあがってきます。
心が穏やかになればなるほど、寂しさというのはくっきりとその正体を現すものですね。

まだ少し日にち薬が必要なエドリンです、こんばんは。



        競走馬と血統の関係 

サラブレッドの語源、thorough(完全な)bred(交配、飼育)からもわかるように、競走馬は、より一層強く早い馬をつくるために淘汰と交配を繰り返し、今なお、強い血を残していく努力が続けられています。
サラブレッドが“人がつくった最高の芸術作品”と云われる所以です。

私は血統には全く疎くて、とりあえずバイアリーターク、ゴドルフィンアラビアン、ダーレーアラビアンの三代始祖くらいは知っている程度です。

今現在、ダーレーアラビアンからのエクリプス系が世界の競走馬のほとんどを占め、バイアリーターク・ヘロド系は絶滅の危機に瀕しているそうです。

このヘロド系というのはパーソロンやシンボリルドルフ、メジロマックイーンなどの系統なのです。

これが消滅してしまうと云う事は、ルドルフやテイオーの血統が途絶えてしまうということです。

これってチョウ大変なことじゃありません?

私には、ナンチャラ系とかはさっぱりわかりませんが、父や母父の欄にルドルフやテイオーの名前があるだけで、そのお馬のファンになってしまいます。

大方の馬好き、競馬ファンの方はその程度ではないでしょうか。

自分が大好きだったお馬の仔だとか、孫だからとかいう思いで馬券を買ったり、応援したり、それが一般的な血統に対する見方だと思うのです。

いろんなお馬の仔や孫たちが走っているから競馬はブラッドスポーツというのですよね。

だから、一つの系統に偏ってしまう事は競馬をつまらなくし、ますます馬券離れをおこしてしまう様な気がするのです。


        守るべき血脈

2010年生まれの1頭の馬がいます。
父・トウカイテイオー、母・オーロラテルコ、母父ミスターシービー
馬名・・・・・・・クワイトファイン

なんとこの仔の体内には3頭の3冠馬(ミスターシービー、シンボリルドルフ、シンザン)と、5頭のダービー馬(トウカイテイオー、ミスターシービー、シンボリルドルフ、シンザン、タニノムーティエ)の血が流れているのです。
私の様な単純なミーハーおばさんには、その名前を聞いただけで鳥肌ものです。

ところが、神様は意地悪で、この仔走らないんですよね。

デビューは2012年5月、門別競馬場、408キロという牡馬としては小さい体でついて行くのがやっとの状態でした。
それから17戦、走っても走っても後ろの方から数えた方が早い着順。
ついにその年の12月、福山競馬に移籍になってしまいました。
そこでも似たりよったりの成績。
チームテイオーでも、真剣にこの仔の先行きに不安を感じ、心配していました。
そこへ持ってきて、福山競馬廃止の決定。

どうしたら良いのか途方に暮れていた時、やっと神様が重い腰をあげたかのように、ファインに光がさしました。
1人のオーナーさんが、ファインを引き取って下さったのです。
それも、ルドルフ、テイオーの血を絶やしてはいけないという、営利抜きの理由からです。
世の中捨てたものじゃないと、感動しました。


そして名古屋競馬へ移動して8戦目、オーナーさんの熱い思いに応えるかのように、ついにクワイトファイン初勝利です!!

それからは、ランクが上がっても掲示板を確保するなど、ジワジワと力をつけてきました。
そこでオーナーさんは南関東への移籍を考えました。
中央に近い競馬場で知名度をあげて、ファインの種牡馬への道を切り開いてあげたいという思いなのではないかと勝手に推測しています。

オーナーさんとファインの2人3脚(?)の始まりです。

たとえ、ファインの成績が父や祖父にはとうてい追いつかないもので終わっても、彼の体には間違いなく強い馬達のDNAが流れているのです。

この血を埋もれさせてしまうのは、未来の競馬界の大きな損失になるのではないかと私のスカスカ脳が言っております(爆)。

古くはタニノムーティエ、シンザンファンの方、そして、ミスターシービーとルドルフファンの方、テイオーファンの方、プラス、クワイトファインのファンになった方、みんなでこの血を守っていきませんか。

いつかこの中の誰かのDNAが花開いて、とてつもない大物名馬が誕生するかも知れません。

どんなに科学が発達して遺伝子の操作ができるようになっても、それで、強くて人々に愛されるようなスター馬が生まれるとは私には思えません。

神様はきっとそこまで人間をのさばらせはしないと思うのです。

強くて、早くて、人の心を魅了してやまないスターと呼ばれる馬は、ある日突然、誰もが予想さえしなかった馬から出てくるような気がします。

その馬の父、母父、または父父にクワイトファインの名があったら最高ですね!!

そんな可能性を秘めた馬、それがクワイトファインです。


       
                           


11月21日、2レース、いよいよファイン浦和デビューします。
まずは環境に慣れることを先決に、無事走ってくれる事を願います。

      頑張れ~ファイン!    



          
           新聞にも載りましたよ!!



          
           浦和競馬トレセンにて(オーナー様撮影)



          
           祖父、ルドルフに良く似ています。  息子のツルマルツヨシも似ていますが、孫で似てい           るのは彼とクインズプレイヤーだと思います(あくまで私の感覚です)。



クワイトファイン、偉大なDNAの宝庫です!




        追記です   

ファインのブログです。

        クワイトファイン号応援ブログ ~トウカイテイオーの血統を守る会~


応援、宜しくお願いしま~す。



                            Hオーナー様、画像ありがとうございました。  



    

★ スティング劇場は終わらない!!★

2013-11-08 | 日記
冷たい雨が降っています。
今晩は札幌も雪予報です。
明日の朝、目覚めたら銀世界かも・・・・想像するだけで眉間にしわです。
じわじわと押し寄せる冬の大軍に、すでに戦意喪失しているエドリンです、こんばんは。



    

スティングが旅立って5日がたちました。
日がたつにつれ、スティングがいないという寂しさが増して、スティングの存在がどれだけ心を占領していたのかを思い知らされています。

天気もスカッとせず、重苦しい日々を過ごしていた中で、いきなりLED電球があちこちで一斉に点灯したようなニュースが飛び込んできました。

名古屋競馬第1レース、スティングが教育係を仰せつかった第1号のお馬、オキテ君が・・・・勝ちましたァ!!!

デビュー戦2着、その後も掲示板は確保し、次は勝てる、次こそは・・・・と期待している内に骨折。

半年の休養後は20キロ近くの馬体減。
なかなか馬体が戻らず、成績もどんどん落下。
脚の方もなかなかすっきりせず、最近は強い追いきりもかける事ができなくなり、レースも休み休みしか使えない状態でした。

実は、引退も決まりかけていました。

まだ、これから先どういうふうになるのかは分かってはいません。

でも、待って、待って、本当に待ち焦がれていた初勝利、やっとゲットできました。

その勝利を知った時、みんなが同じことを言いました。

「スティングだよ~!!」

オキテの事を一番心配していたと思われるスティング。

なんと云っても、スティングが初めて得た仲間であり、相棒であり、息子のような存在です。

お相撲をとったり、追いかけっこをしたり、ずっと1頭で過ごしていたスティングにとっては楽しい時間だったことでしょう。



         





        





        





        
                    
画像は2011年、オキテがまだ1才君と呼ばれていた頃です。




スティングありがとう!!

オキテ、おめでとう!


スティングはまたまたみんなに喜びを与えてくれました。


オキテをここまで大事にケアし、見守って下さったS厩務員さん。

手を変え品を変え、オキテの能力が復活するように努力して下さった調教師さん。

そして、怪我をしたオキテを辛抱強く待って下さったオーナー様。

すべての方に感謝いたします。

これからもオキテの事を宜しくお願い致します。

そして、“1才君を見守る会”あらため、“オキテ君を見守る会”、会員さんの募集もしております。


スティングの忘れ形見ともいえるオキテのこれからを一緒に見守っていきたいと思う方、もっと詳しく知りたい方はコメント欄でお知らせ下さい(非公開にします)。



オキテ、3才8か月、デビューから16戦目で初勝利です。

 



  


                                 カト吉さん、画像お借りしました

スティング、天へと還っていきました。

2013-11-05 | 日記
3日の夜からほとんど眠らないまま、朝一番のバスに乗りスティングの元へと行って来ました。

スティングの訃報に、沢山の方からのメール、コメント、そして私の体調にまでお気遣いくださって本当に有り難うございました。
こんな名も無い馬のささやかなブログに、優しい思いを寄せて下さった皆様に、故スティング共々心から感謝いたします。


   

いつもはバスで行くにしろ、車で行くにしろ、走りだした途端から気持ちはワクワク、気分はルンルンでした。
でも、昨日はバスが揺れるたびに、閉じ込めていた目の扉を開けて涙が落ちてきそうで、こらえるのに必死でした。

定刻より20分も早くバスは静内駅に到着です。
迎えに来てくれたカト吉さんの車で、スティングを乗せたトラックと待ち合わせの場所へ。
スティングの遺体を、いつまでも手術後のそのままにしておくのは忍びないからと、早めに火葬場に運ぶこととなったのです。

S牧場長さんが運転するトラックの荷台にはブルーシートで覆われたスティングが・・・・・。
年齢もかえりみず、荷台にとび乗って(自力ですから)スティングの顔を見ました。
冷たくなったスティングの鼻筋を、生きている時には絶対に触らせてくれなかったおでこを、何度も何度もなでました。
「これは○○さんの分、これは○○君の分、これは・・・・・・・」と思いだす人たちの分も何度も・・・・・。

心から有り難うとスティングの顔に頬を寄せました。
そして、ずっとスティングが心配していたであろう1才君の事も“絶対に守るからね”と約束しました。
スティングの顔は冷たいままだったけど、この想いはきっと伝わったと私は信じてます。

火葬場の方にスティングを託し、私たちは静内の街へ戻りました。
火葬が終わるのが夕方の5時過ぎとか。
やはり大型動物は時間がかかるのですね。 

それまでの間にスティングの昨日の様子を伺いました。

昨日3日は何故かいろんな方が、それぞれの用事で静内に集まりました。
引退馬協会のN代表と事務局スタッフの方、カト吉さん、マイネルスティングの会員さんとそのお仲間達。

そしてスティングの状態がおかしくなったのは夕方、カト吉さんが待ち合わせの場所に着いたまさにその時でした。
その後、スティングのいる病院にS牧場のご夫妻をくわえた全員が揃っていました。
その中でスティングは手術し、そして旅立って行ったのです。

まるで、みんなが集まるのを待っていたかのように、みんなに見送って貰うのを期待していたかのように・・・・。

特に、千葉に住むN代表がいるというのは殆どあり得ないことです。
それが何とも不思議で、でも、スティングらしいといえばラシイとS牧場ご夫妻やカト吉さんと話していました。

スティングには何度かそういうことがあったのです。
それが顕著だったのは、オーナーさんにアクシデントがあり、スティングの命が危うかった時です。
引退馬協会のツアーの日、スティングが見せた一世一代のあのパフォーマンス。
あれがなかったら、または、ツアーの日がずれていたらスティングはどうなっていたのか。

あの強烈なアピールで、ツアーにきていた人たちの心をがっちり掴み、何としてもこの命守らなくては!と思わせたスティング。

ずっとスティングを見てきた人が「あんなスティング初めて見た。いつもはボケーっと牝馬をみていて、呼んでも来もしないのに」という言葉が何かを伝えている気がします。

“スティングの会”設立後初めてのミニツアーでみせた、1人1人への‘有り難う’とでも云う様なあいさつ。

そして最後の時までスティングはみんなが集まる時を選んで逝ったような気がするのです。

今まで病気らしい病気もせず、長患いもせず、1度だけの病院行きでさっさと旅立っていった潔さ。

マイネルスティングという馬は、中央1勝馬で、目立つ流星もなく、コロンとした体型で、特にイケ面でもなく、極めて普通のそこらへんにいる馬の1頭でした。
でも、その存在感は強烈で、自分が何をすべきか良くわかっていて、会った人を惹きつけてしまう何かをもった馬でした。


                  
      主のいなくなった馬房、ただただ寂しいです。



スティングをお迎えに行く時間がきました。
すっかり暗くなった道を走りながら、何故か心は朝と違って軽くなっていました。
スティングは自分でピリオドを打つ日を決めたのですから。
スティングの心の声が聞こえたような気がしました。
「おいらはもう十分幸せもらったねん。 だから今度は他の仔を幸せにしたってや。 ありがとな。」

スティングと出会い、スティングを幸せにしてあげたいと思ったけど、本当は私たちが幸せを貰っていました。
たくさんの素敵な方たちとの出会い、そして素敵な思い出を分かち合えた事、全部スティングのプレゼントです。
ありがとうはこちらが言う言葉です。
スティングの姿は消えましたが、スティングが残してくれたものを大切に、1頭でも多くの第2、第3のスティングをつくっていけたら、と思っています。

これからも“名も無い馬・マイネルスティングと共に”を見守って頂けたら幸いに思います。

今まで、スティングを愛して下さってありがとうございました。
11月4日、マイネルスティング、天に還って行きました。




            




            
             マイネルスティング   享年21歳    

緊急報告! (追記あり)

2013-11-04 | 日記
先ほど、午後10時過ぎに‘マイネルスティングの会’発起人カト吉さんから連絡があり、スティングが疝痛の為
緊急手術をすることになりました。

今、手術室に入っているとのことで、聞いてる私も驚きまくってしまい詳しいことは良くわかりません。

ただ、決して予断を許さない状態だと云う事は理解できました。

明日、朝一のバスで静内に向かいます。

帰ってきたらすぐに状況をご報告します。

どうか、皆さんのパワーをスティングに送ってあげて下さい。

スティングが元気に私たちの前に戻って来るように、どうか祈って下さい。

宜しくお願い致します。


スティング、頑張れ~~~~!!!





   追記

マイネルスティング、3日午後11時50分虹の橋へと旅立ちました。

腫瘍が脾臓に見つかり、腸を圧迫しているだけでなく、癒着が酷い状態で腸の流動障害が起きていたそうです。

今日、最後のお別れに行って来ます。

あまりにも突然で、あまりにも早くて、心がついていきません。

とにかくスティングの顔をみてきます。