もう少しお付き合い下さい
話は、白紙撤回佐野エンブレムに戻ります。
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2016年4月8日 日刊ゲンダイ 一部抜粋
旧エンブレムの白紙撤回後には「永井氏は入選3作品のうち、
1位の佐野研二郎氏と3位の葛西薫氏のデザインを猛批判していた」と
関係者の間で取り沙汰された。
前回次点の原研哉氏(58)はデザイナーの肩書の他に「㈱日本デザインセンター」の
代表取締役社長というビジネスマンの一面を持つ。
同社は従業員244人、年商約70億円の広告制作会社で、
現在の最高顧問は永井氏だ。彼自身、1975年から86年まで社長を務め、
原氏は83年に入社。2人は長年の上司と部下の関係である。
同社は従業員244人、年商約70億円の広告制作会社で、現在の最高顧問は永井氏だ。
彼自身、1975年から86年まで社長を務め、原氏は83年に入社。
2人は長年の上司と部下の関係である。
センターの出資会社にはIOCのトップスポンサーのトヨタ自動車をはじめ、
アサヒグループHD、野村HDと東京五輪のスポンサーが名を連ねる。
大会組織委は「エンブレム委員会の人選に永井氏は関与していない」(戦略広報課)と回答。
永井氏が特別顧問を務める日本グラフィックデザイナー協会は
「組織委からメンバー推薦の協力要請があった」(事務局)と認めた上で、こう答えた。
「内部でも、やり直しコンペに関わるべきではないとの意見はありましたが、
より良い作品が選ばれるのに力を貸せたら、と候補をリストアップしました。
永井さんと関係の深い人に偏っている? よほど若い人でない限り、
永井さんと関係のない人はいません」
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管理人
面白い記事です。
永井氏は佐野のデザインも葛西氏のデザインも反対だった本当かも知れませんね
騒動後のリークは永井氏からでした
ではなぜ無理にでも権限で、二位の原研哉氏に決めなかったのか?決められなかったのです。
経済産業省から電通まで一丸となった佐野ありきのコンペでしたから
エンブレムの商品化の具体案も出来ていたのでしょう
「㈱日本デザインセンター」は1964年東京五輪エンブレムの亀倉雄策氏らが中心となって
何社かの企業の共同広告代理店として発足したようです。
「日本グラフィックデザイナー協会」(JAGDA)は
日本全国に約3,000名の会員を擁する、日本で唯一のグラフィックデザイナーの職能団体です。
その両方に、影響力がある永井氏がゴリ押し出来なかった佐野のバックって。。。
新エンブレム選考に際して、組織委からの要請があったにしろ
(JAGDA)から審査員が送り込まれ、その方々が永井氏や「武蔵美」の関係者なら
今度こそ、流れを変えるぞって思うよ、それは
そして、選ばれたA案「組市松紋」野老朝雄氏
繰り上げデザインではないとすると、13票を集め最後は全員一致だったのだから
商標調査前の候補4作品の内の、唯一商標調査が通った1作品がこのAだろう
後の2作品は元々補欠で、このA・B・C・Dの作為的並べ方を見てもDの朝顔デザインが
繰り上げだろう、国民の意見を聞くふりをするのに4点は最低必要だった
しかも、朝顔がうけるのを見越した投入だ
私的結論・・・・
予想ではプロの作品を避けて選ぶと思っていたが完全に外れた
こんなに膨大な数のデザインが集まっても、商標登録の壁に阻まれ無機質な
デザインに落ち着いた。巷では見れば見るほど、いいデザインだ日本的だとの声が出ている
建前は公平な審査員とオープンな選考過程、国民の声も聞いた
そのじつ、極めて専門的なデザインのプロによる、透明性を装ったお芝居だった
A案・野老朝雄氏しか残らない審査結果なのだ
どっかのコラムで、デザインのプロで有名なら尚更、ケチがついたエンブレムに挑戦
しようとは思わないって書いてあった、関わりたくもないのが本音だそうだ
この野老氏は父親に「ところ」と名前を読んでもらえる様になれと言われたとか
亡き父の教えを守り、挑戦したんだね
「組市松紋」は好きになれないが、佐野と違いところさんはいやな感じがしない
風貌もさほど佐野と違わないのにネ