2020東京五輪を考える・ミネラルランチの部屋

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オリンピックにまつわる疑問を偏見と思い込みで書いています

「神宮の杜」は神聖か?競技場歴史でふりかえる

2016-01-16 | 都市開発

東京都心をGoogleで見ると案外、緑が多いと思う

皇居、赤坂御用地、明治神宮外苑、新宿御苑、明治神宮からの代々木公園
特に、明治神宮を囲む森は代々木の杜「神宮の杜」と呼ばれ
ひと際神聖な場所とされる




明治神宮に初詣に行かれた方もいるでしょう

私は、2011年にたまたま明治神宮に参拝に訪れたら
丁度、「白鵬」の奉納土俵入りを目にしました。
すごい人混みでしたが、相反して澄んだ空気と静寂を感じる事が出来ました。

そしてガラにもなく、世界平和を100円でお祈りしました。
でも、その年の3月地震が来たけどね

ご存知でしょうが、明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后を御祭神とする神宮で
明治天皇は崩御後、京都の伏見桃山陵に葬られたが
東京に神宮を建設したいとの運動が東京市民から起こり
1914年(大正3年)に天皇に縁の深かったこの地への神宮建設が決定したそうです。

境内の木々は全国より集められ植えられたもので
いわゆる「神宮の杜」と言われる代々木の森林は
100年かけて育てられた人工の森なのです。

この地は、かつて近江彦根藩井伊家の下屋敷のあった場所で
明治維新後に井伊家から政府に対して献上されたもので
彦根藩の前は加藤清正の屋敷だった。
そうです、だから明治神宮に清正の井戸がある



さらにくぐってみると面白い、

この彦根藩は、幕末に藩主となった直弼が
安政5年(1858年)に大老に就き
勅許を得ず、「日米修好通商条約」に調印
「安政の大獄」といわれる強権の発動を行った

そして(1860年)に「桜田門外の変」で水戸藩浪士らに暗殺されている

その後、彦根藩は長州征討にも参戦し幕府の軍事活動に協力したが
「大政奉還」後、新政府支持に転向
「戊辰戦争」では明治政府に加わって戦った

桜田門当たりも、ホテルニューオータニあたりも井伊家の下屋敷だった。

さて、明治天皇と言えば陰謀論者にはお馴染みの天皇すり替え論です。

明治天皇は暗殺され、大室寅之祐と言う人物がすり替わったと
この人物は長州の田布施(たぶせ)、現在の山口県熊毛郡出身で
その祖先は後醍醐天皇で、南朝を継ぐ者だった
孝明天皇までは、天皇は北朝の血筋であったが
明治天皇が大室寅之祐に置き換えられたことで
天皇家は南朝の血筋に移ることになった。とかとか

もし本当に明治天皇が長州の大室寅之祐だったら
長州征討にも行った藩が寝返った証に、土地を献上した
いや、させられたと想像すると面白い、まあ真実は闇の中ですが

土地の歴史を探ってみるとまた違う見方が出来るものです。

新国立がある、神宮外苑の千駄ヶ谷付近は

お江戸の頃は、弓や鉄砲を専門とする
下級武士たちの屋敷や火薬庫、砲術調練場があり
維新後は、陸軍の演習用施設である青山練兵場でした。

関東大震災の翌年、大正13年(1924年)に明治神宮外苑競技場ができ
これが国立競技場の前身です。
その後、幻となった東京五輪(1940年)(1938年返上)
外苑競技場を改修して使うはずが、駒沢に新競技場建設となった
昔も今もやっぱもめたんだね

そして外苑競技場は「学徒出陣式」の舞台になり
戦後は、進駐軍によって接収され
1958年「アジア大会」のために国立競技場が同じ場所に建て替えられたんですね

こうして、ザット歴史をふりかえっても
この地が、平和の祭典に相応しい聖なる場所なのか考えてしまいますが

明治維新後、明治天皇を祀る聖なる場所として
頑張って、木を植え

戦後は復興のシンボルとして、スポーツの聖地として整備し

近代の日本人の手によって、100年かけて
聖なる場所にしようと、はぐくまれて来たのかもしれません

先人の思いを無駄にしない為にも
新国立競技場建設が、頓挫しないことを願います。








渋谷再開発がスゴイらしい!

2015-10-26 | 都市開発


2012年に「渋谷ヒカリエ」が開業した。東急建設と大成建設による
渋谷再開発の先駆けだった。

新しい物好きな私はオープン早々に行ってみた

連絡通路もまだ工事中で、足場が悪く無理やり「渋谷ヒカリエ」だけが
渋谷東地区にドントお出ましになったそんな印象だった。

ビルの中のプラネタリウムも映画館も劇場もまだ利用した事がないが

8F のアートギャラリーはゆったりしたいい空間だ
でも、レストラン以外で
目的のない人がぶらっと行っても何にも楽しくなくて
細長く不便なだけのビルだ

これが、「大人の町渋谷計画」の始まりで

さらに、南地区、道玄坂地区、桜丘口地区と渋谷の駅をぐるっと囲んで全方位で

再開発が進んでハチ公まで移設するとか?

渋谷の駅自体も、銀座線やJR線の駅改良も行われ

銀座線のホームは東に約130m移動し完成は2021年度の予定で

これまで移動に時間がかかった埼京線ホームは北に約350m移動し

山手線ホームと並列化するらしい





2027年までにこの50年いや100年に一度の大規模再開発が行われる

そして、無機質な複合商業施設の大きなビルがあといくつ出来るのだろう

渋谷ってごちゃごちゃしているから、いいんじゃないの?

ぶらぶらして、入り込んで食べて飲んで買い物して

何にも買わなくてもそれはそれで楽しいみたいな・・・

それが、綺麗なホールで海外ミュージカルを渋谷で見る時代になった

2000年に惜しまれて幕を下ろした小劇場・渋谷ジァン・ジァンが懐かしい

美輪明宏も、忌野清志郎も所ジョージも、坂本龍一も出演した
私はイッセー尾形をよく見にいっていた。

せまくって、席がないと地べたに座って見ていた

ジャンジャンを過ぎればPARCO劇場

渋谷公会堂から~~の、NHKホール

渋谷の駅から目的別に、文化も人も流動していた

そして渋谷公会堂も、

2015年 10月2日3日4日 沢田研二の公演を最後に

施設の老朽化のため、渋谷区役所庁舎及び渋谷公会堂を解体し建て替え工事に入った。



ーーー渋谷公会堂HPよりーーー


渋谷公会堂は昭和39年東京オリンピックの重量挙げの会場として竣工し、
翌年渋谷公会堂としてオープン後50年が経ちます。
その間ご来場者、ご利用者の皆々様には「渋公」の愛称で親しまれ、
可愛がって頂きました。今までの皆様のご愛顧には
深く感謝申し上げます。

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ハイ私もどんだけ通った事でしょう
お世話になりました。

一時は「CCレモンホール」になっていましたね

昭和39年東京オリンピックに建てられ、2020五輪を前にそのお姿がなくなり

やっぱり、複合商業施設の中に組み込まれた姿で生まれ変わるらしい

寂しいな~~

町が綺麗に便利になる事と、人の思考や文化が円熟する事は

イコールにはならない気がするのだが・・・




最後の渋谷公会堂


















東京五輪は東京臨海副都心計画の副産物だ

2015-08-28 | 都市開発


東京臨海副都心は東京都7番目の副都心で特別区だった。

「お台場」は石原氏がそう呼んだのが一般に広がった。

1989年 バブル期に臨海副都心開発が始まった。
1995年 都知事が鈴木氏から青島氏に変わり
      青島氏は臨海副都心地区で開催予定だった
      臨海開発の目玉 「世界都市博覧会」を中止にした。

その後バブル崩壊
1999年 石原慎太郎氏が都知事になると
      凍結されていた、公共事業が次々に再開され
      東京湾岸地区は開発が進み今の姿になってゆく
      この頃カジノ計画も浮上する
フジTVのFCGビルが建った当時の風景を覚えていますか
      ゆりかもめからの見晴の良かったことを

2002年 都市再生特別措置法によって「都市再生緊急整備地域」に
東京都心・臨海地区が定められた
私はこの当時から石原氏には
      この地で五輪開催の野望があったのではと思う

      他の指定地区の場所を見ると
      またまた、文句を言いたくなるがとりあえず置いといて
2006年 から本格的に2016年開催の五輪招致活動が始まる

      国立競技場は改修し新たに、臨海に陸上競技場を建設する予定だった。
IOCはその競技場が海風の影響があるからと難色をしめしたらしい
2009年 結果はブラジル・リオに決定

      招致活動に使った多額の公費は多方面で叩かれた
笑えるのが2010年になってなお
東京中央区晴海のオリンピック施設予定地に常設飛行船発着場を整備している

      結局、鈴木都知事時代からの世界万博の目論見がスポーツに姿を変え
      ズーット出番を待っていた訳ですね
      石原氏の相棒、安藤忠雄氏の
      2016年五輪の青写真がまたすごい
      代々木の森から東京湾まで元の地形と既存の競技場を生かしつつ
      人工の緑地帯と道を作りつなげてしまうという代物
      さすがに実現出来るとは思っていなかったとしても
      総工費は想像出来ない?
      今も、安藤氏は諦めていない「海の森」プロジェクトをただ今展開中
      埋め立て地を緑の森に変えるそうだ、募金で木を植えている
      それだけ聞くといい事しているみたいだが
      全体像は私には断念した五輪のコンセプトの、縮小版に思える。
      どうしても、東京を作り直したいらしい
      悪評の東急渋谷駅も安藤さん作

さて、やっと2020五輪招致、当所石原氏は乗り気ではなかったらしいが

2011年 再選された石原氏は4月12日五輪招致に立候補した。
      なんと言うことでしょう~~
      3.11からずっと 日本は喪中だったのに
      この頃の記憶が私には無いTVを見るのも辛かった
      五輪で日本を元気にってか?

2012年 猪瀬氏が都知事になる あとは皆さんご存知の展開
これは私の妄想だが、石原氏は今回の五輪招致は本気じゃ無かったと思う
震災後の建設バブルを見越して、
東北だけでなく公共事業を都内にも回すのが目的だったのでは?
本気になったのは猪瀬さん、なに本気出しているのっと
あっという間に、降ろされた。
隙を見て、森登場、実権も利権も森の思いのまま
猪瀬氏はコンパクト五輪を歌い文句に招致したが実際は怪しい
2014年 舛添氏が都知事になってから
      フジのカジノ計画もなりをひそめ
      スタジアムの建設費問題が表面化
      「都の税金をムダに出来ない」といい人発言まさかね~
      
要するに親分が変わったのよね、親ガメコケればみなコケる!
私は正直言えば、東京五輪に反対だった。お偉方も騒いでいたが実際招致しようとは思ってなくて、
騒ぐことで、土地の値段をあげ、お金を動かすのが目的だろうぐらいに。
IOCもまさか汚染の日本に決めないよねって・・・
でも、決まったからには5年後本当に安心できる日本・東京で
東北の地域にも何らかの、景気の恩恵がある事を願っていた。
それなのに、フタを開ければこのていたらく、

一つ思い出したことがある、むかし美術館で有名建築家達の企画展があって安藤氏の模型があった。
東京湾に巨大な橋が架けられ、横浜から千葉沖までを結んでいた。
レインボーブリッジやアクアラインなんて規模じゃない巨大水上都市が出来上がっていた。
その衝撃は鮮明に覚えている。その資料を探したが見つからない、バブル期、それ本気だったのかも
今は地に足つけて考える時代ですよね、東京を作り変える意味ってあるのかな、
そりゃあキチンとした選手村や練習場、プレスステーション勿論スタジアムも必要だけれど
今渋谷の大開発をやっているし、都内の駅あっちもこっちも工事中だと思うのは私だけ?
税金が打ち水みたいに消えずに、使われるべき所に使われる様に
もう、あとは祈るだけ・・・


下は安藤氏の2016年五輪都市計画モデル