今回もオリンピックとは関係ない話ですが
古舘さん番組降板までに、卒業旅行よろしく思い出作りしているみたいです。
拓郎さんの熱烈なファンみたいですね
私も思うところあって、文字にしてみました。
2016年2月11日放送 「報道ステーション」
一部抜粋、文字書き起こし
間違い省略ご容赦下さい
吉田拓郎×古舘伊知郎
拓郎 : 緊張するー久しぶりだからテレビとか
随分ね、シャットアウトぎみだったんですよじっとしてたいとか
そうゆう心境だったんで、1年2年弱、家に居たんですよ
今日は妙なハイテンションがあるんです自分の中に
古舘 ; あまりにも有名なテレビに出ない宣言
僕なんか衝撃的でカッコいいなーという印象が蘇るんですよ
拓郎 : 僕のテレビの始まりが良くないんですよ、僕は不幸な人でして
初めてテレビ番組に出た時が、すごく冷たくされたんですよそれは民法で
その次がNHKのオーディションでブザーがブーと鳴って帰れって
テレビ局で居心地の悪い嫌な思いが僕のテレビの始まりでして
古舘 : 民法もけんもほろろだったんですか
拓郎 : すごっい冷たかったです
僕をバカヤローって
古舘 : バカヤローな態度を取ったんじゃないですか?
拓郎 : 一生懸命 やってたつもりだったんだけれど
ワンハーフコーナーに出てたらしいんですが
自分は全曲フルコーラス歌うつもりで演奏がワンハーフさびから元にもどちゃった
何処を歌うか解ん無くなって司会の人にバカヤローって
その時に泣こうと思った22か23才だった
古舘 : ちなみに、曲は何だったんですか
拓郎 : 「 マークⅡ」
古舘 : お体の方は
拓郎 : 体の方は普通ですよ
年齢的にも今年70を迎えちゃうんですよ
古舘 : 4月5日で古希ですよね
拓郎 : 最近は食事が好きで
若いころは食事が嫌いで飲んでれば幸せでも今は食事が幸せな時間で
晩御飯を妻と「うまいね」と言って食べてる時間が
これほどの幸せあるかっていうくらい幸せハッピーなんです
古舘 : 私も還暦を超えまして今年62になります
吉田拓郎の歌を聴き直す事が「育て直し症候群」なんです
拓郎 : (笑い)
古舘 : 60年代安保とか学生運動華やかな頃、団塊の世代が作ったムーブメントは
死でもいいぐらいの熱さがあったそんな時
そう成りきれないと思った時、拓郎さんが〝福音"だった
拓郎さんがいいよと言ってくれるあまり
本気で戦わなくていいと、自分が思っていると
「これでいいんだよ」と言って下さったあの世界が今を予見している
拓郎さんによってみんな戦わなくなったとゆう反発も出てきた
拓郎 : 「イメージの歌」が世代にどんな印象を与えたか僕の方は解らない
誰でもそう書けたんじゃないのってそう思う
俺がやらなくても誰かがやっていた、俺でなきゃって曲は一曲もない
・・・省略 ・・・
古舘 : 鈴木ヒロミツさんも安井かずみさんも作詞家の岡本おさみさんも
縁ある方が旅立っていかれて
拓郎 : 寂しいし悲しい
拓郎 : 安井かずみさんはフォークソングが大嫌いで、でも吉田拓郎は好きだったらしいんです
安井さんは生前
「あんた達が出て来たおかげで芸能界がめちゃくちゃになったのよ」
「歌の世界はもっと綺麗でチャーミングあんた達がダメにした」
「ジュリーを見て」と言われた
拓郎 : それからみょーに沢田研二を意識するようになった
今でも、沢田研二さんとはメールするんです
ジュリーが頭の中から消えない音楽人生なんです
あっち側の方芸能界側が居心地良かったし楽しかった
こっちの、フォーク、ニューミュージックとゆう集団は
正直楽しくないし美しくもない
古舘 : なんで楽しくないんですか
拓郎 : 同じ様なヤツらだからなんじゃないですか
拓郎 : 今日は断言しておきます
僕はこっちに居るべきじゃ無かったんですよ
僕は沢田研二を追いかけて行けば良かったなってつくづく思う
タイガースに入れてもらえば良かった
古舘 : 確かにカリスマでアイドルではありました
だけどこっち、むいてない?
拓郎 : 僕がギターを持つとフォークって言われたけどそうなのかな?
岡林信康さんが「私たちの望むものは」って歌ってた頃はフォーク
吉田拓郎からはフォークって言えない
わたなべプロに入って、タイガースがダメなら「なんとかズ」作ってもらい
そっちで売り出してもらうべきだったと最近本気で考えるんです
古舘 : ウソでしょ!
拓郎 : 本気ですよ!
古舘 :ショックですよ!
金返せ状態です、「つま恋」の人達が金返せって怒ってると思います
拓郎 : だから今時効だから言える
当時は俺フォークじゃないとは言えなかった
「人間なんてララーラーラの中になべプロに行きたかった」とか
入れときゃ良かった
古舘 : 今年コンサートして下さい
拓郎 : やります、関東近郊日帰りで歌いたいですがもう少し足のばさないって
一泊する勇気がでるかどうか?
古舘 : 「旅の宿」歌ってるんですから~~
拓郎 : 僕の限界は一泊 北は埼玉から南は横浜まで
古舘 : 待ってますよ全国でファンが
同窓会で拓郎さんのコンサートみんなで行かないって話になったら
一人が頻尿でって
拓郎 : 頻尿の人は来ないでほしい
古舘 : ぼくらも紙オムツ持って行きますよ
拓郎 : 僕は二十歳の時にこんな自分になるって思っていなかったな
頻尿と紙オムツの人の前で歌う自分を想像してなかった
拓郎 : ジュリーになれって言われたんだから!!
古舘 : わかりますでも本当のジュリーになるんです
拓郎さんの 標榜(ひょうぼう)したものはそこに
責任感としてしょうがないです
吉田拓郎が世の中をかき乱した以上、皆さんがもっと安らかになれる様
「祭りの後」を歌った責任けじめとってもらわないと
拓郎 : あの歌は絶対歌わないと思ってる
古舘 : なんでですか?
拓郎 :あの歌は怖い
若いころは解らずに歌っていた、最近は解りすぎちゃって怖い
拓郎 : フォークソングの連中は老生してた
20代の若者が「祭りの後」なんて歌うべきじゃ無かった
拓郎 : ごめん!<(_ _)>
~~以上~~
前にもTVで拓郎は沢田研二になりたかったと明言していた
ジュリーの方もそっと拓郎のコンサートを見に行っていたらしい
見た目も経歴でもジュリーの方が先輩と思いがちだが
ジュリーは1948年生まれ
吉田拓郎は1946年生まれ
拓郎がなべプロに売り込みに行ったのが1965年広島の大学生だった
その頃ジュリーは「田園」にいた
ジュリーのデビューは1967年ザ・タイガース
拓郎はアマチュア時代からカリスマだったが
レコード会社に所属したのは1970年以降
その時すでに、ザ・タイガースでジュリーはアイドルになっていた
なんとも、うまい具合にすれ違っている
一緒のお仕事は拓郎が作った、富士フィルムのCMソング
TVの共演は数えるしかない
かえって良かったと思うけど・・・
ファンにとってはお二方とも、唯一無二の存在ですから!!
古舘伊知郎さんのお名前を書き違えておりましたスンマセン