どうしてこんなに楽しいんだろう!

新しいことをはじめるって楽しいですね!美味しいお酒を飲んで、好きな音楽を聴いて、ヨカバンジャー!!

吾日に吾が身を三省す

2015年05月16日 21時09分21秒 | Weblog
安岡定子先生の「おとな論語塾」第二回。
本日も満席だった。
参加希望者が多いのだろう、
現在60の定員だが次回から90の定員の会場に変わるそうだ。

前回に引き続き一番前の席で学んだ。

学而第一

「子曰わく学びて時に之を習う、また説(よろこ)ばしからずや。」

500章あるといわれる論語の言葉で、何を一番最初に持ってくるか!?
編集に関わった弟子たちの間でも議論があったでしょう・・・
と、先生は想像を巡らせながら解説をする。

「学習」という言葉の元になる章句だ。
習うとは"白"の上に"羽"がある。
ひな鳥が何度も羽ばたき飛ぶことができるようになる様をあらわす。

つまり、学んで、何度も反復し実践すること・会得することを
「学習」というのだ!

一行目から深い。

本日一番印象に残った章句

「曽子曰わく、吾日に吾が身を三省す。
人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、
習わざるをつたうるか」


曽子は孔子より46歳若かったそうだ。
つまり孔子70のとき24だ。
とても実直な弟子だったことが、この言葉からもわかる。

三省堂の三省はおそらくここからきているのだろう。
一日三回反省する・・のではなく、三つの事を毎日反省するという意味だ。

・人の為を思って真心から行動したかどうか

・友達と交わって、うそ偽りはなかったか

・まだ習得しないことを人に教えるようなことはなかったか

2500年も前の言葉が、なぜここまで私たちの心にささるのか。
それは、私たちが"人間"であるという事実を思い起こさせてくれるからだろう。

現代の私たちの生活は
ともすれば機械の歯車のように、心を無くして生きている。
そうしなければ、現代社会の流れについていけないからだ。

しかし、やっぱり私たちは生身の人間なのだ。

生身の人間が生きていくためには、パンのみならず、
心の支えが必要だ。

孔子の言葉には、それを再認識するエッセンスがつまっている。

論語は、人生の栄養分であり潤滑油でありスパイスである。





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