経済同友会「文化の街づくり委員会」主催の現場学習会
今回は「覚王山」
明治の覚王山は名古屋の郊外・別荘地だった。そのなかでひときわ目をひいたのが「揚輝荘」だ。
揚輝荘は、松坂屋の初代社長:伊藤次郎左衛門祐民によって
覚王山日泰寺の東側に隣接する1万坪の森を切り開いて築かれた別荘である。
NPO法人揚輝荘の会:田中さんの案内で現存する3,000坪の庭園をまわった。
大正から昭和初期に建てられた建物が並ぶ・・・時代を感じる。
このような建物の維持管理はお金がかかるようだが、残すべき価値のある文化遺産だと感じた。
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後半は日泰寺の参道を歩いた。
参道の商店組合には80店が加盟しているそうだが、その理事長のお店
「サブリエ・ド・ヴェルエ(砂時計の店)」へ行きオーナーの和田さんから覚王山のまちづくりについて話をきいた。
地域の歴史を知ること・・・そしてその歴史や文化と共存すること・・・まだまだ勉強しなくてはいけない。
≪揚輝荘は明智光秀が築いた:揚輝荘の会siteより≫
今回は「覚王山」
明治の覚王山は名古屋の郊外・別荘地だった。そのなかでひときわ目をひいたのが「揚輝荘」だ。
揚輝荘は、松坂屋の初代社長:伊藤次郎左衛門祐民によって
覚王山日泰寺の東側に隣接する1万坪の森を切り開いて築かれた別荘である。
NPO法人揚輝荘の会:田中さんの案内で現存する3,000坪の庭園をまわった。
大正から昭和初期に建てられた建物が並ぶ・・・時代を感じる。
このような建物の維持管理はお金がかかるようだが、残すべき価値のある文化遺産だと感じた。
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後半は日泰寺の参道を歩いた。
参道の商店組合には80店が加盟しているそうだが、その理事長のお店
「サブリエ・ド・ヴェルエ(砂時計の店)」へ行きオーナーの和田さんから覚王山のまちづくりについて話をきいた。
地域の歴史を知ること・・・そしてその歴史や文化と共存すること・・・まだまだ勉強しなくてはいけない。
≪揚輝荘は明智光秀が築いた:揚輝荘の会siteより≫