先日の、大濠公園の写真データを
整理してる中、制作した写真を
ふるさと松浦への想いと大濠公園の松をコラボして
みた。
それが、次です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/1d/db4e4595ce74c377dbec29bd42fdea6a.jpg)
句は 「こんな松 いっぱいあったな 松浦に」
昭和30年代後半まで、松浦には、大浜海水浴場という遠浅の美しい海水浴場が
存在していた。
家から近くにあったので、近所の子は、私もであるが、
海水パンツとタオルをもって、そのままの姿で、通ったものである。
いま、考えると、人も車も少なく、恥ずかしさなんて、
全然なかった。
いわゆる、自分の庭感覚で、泳ぎにいったものである。
帰ると、家の井戸水で身体を洗い、家の中にはいった。
昭和の良き時代であった。
大浜の海水浴場は、夏になると、臨時列車も停まるといった具合で、
多くの人々が涼を求めて、訪れていた。
駅を降りると、歓迎するかのように、写真のような大きな松並が
砂地にでんと根をすえ、たちはだかっていた。
唐津の虹の松原までとは、いかないが、良き風景であった。
海を前にして、松の木は、成長していき、美しい地形を
静かに創り上げていった。
元寇の時代には、防人となって石垣とともに、その街を守り、
嵐の日々は、防風林としての役目をはたした。
松の木々は、狭い島国にあって、生活と歴史文化の証人であり、
護りの実践者でもあった。
新産業進出(工場団地)とともに、美しき海水浴場は消えはて、
広大な埋立地には、後退させられた産業がひっそりと生き延びて
いる。
この風景は、けっして、松浦の地だけではない。
いまなお、この日本列島に見られる風景群のひとつである。
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