ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(「素材」考)

2015-12-22 23:39:46 | babymetal
完璧な素材

横アリ以降の、最近のBABYMETALをめぐる出来事を見聞きしながら、改めてそんな文言が頭をよぎった。

BABYMETALを料理に喩える、なんてことは、あまりにも通俗的で陳腐なのかもしれないが、しかし、通俗的で陳腐だからこそ、わかりやすく鮮やかにBABYMETALの本質を言い当てる、というメリットもあるかもしれない。
今ここで語ろうとしていることは、すでにどこかでどなたかが語られたことなのだろうが、最新の僕の印象として、どうしても「素材」という言葉で(も)BABYMETALの凄さを語っておくべきだ、と感じたので、たいへんベタな内容になるかもしれないが、文章にしておきたい。
(横アリ参戦記は、また次回以降、続きを書きます。次のライヴを体験するまでにはたいへん長い時間がありそうでもありますし)

毎日毎日狂ったようにBABYMETALを観つづけ、聴きつづける
BABYMETALに遭遇した昨年の9月以来そんな状態が、僕の場合は、1年以上続いている。
おそらくこのブログをご覧になっているほとんどの皆さんが同じような症状を呈していることだろう。
そうした「中毒」症状は、何に拠るのか?

BABYMETALを紹介する際の定型句、「アイドルとメタルとの融合」というのは、いわばレシピ(調理法)を言い表わしたものだ。

僕たちがBABYMETALに初遭遇したときの衝撃(よかれ悪しかれ)は、その「レシピ」によるところが大きい。いわゆる「そっ閉じ」という負の反応も含めて、こんな「味」を体験したことがないメタルヘッズには、「なんじゃこりゃ!」という衝撃をもたらすのは、まさにそれだ。

しかし、BABYMETALの魅力とは、「レシピ」によるものだけではない。視聴を重ねるごとに、そのことが身にしみてわかってくる。
もしも「アイドルとメタルとの融合」という「レシピ」がBABYMETALの魅力の「核」ならば、1年以上も、毎日毎日狂ったように観続け、聴き続け、多大な時間とお金と労力をかけてライヴに参加するために遠征するなんて行動を繰り返し、などということを、それなりに人生経験を重ねてきた大のおとながとるはずがない。
(それとも、「包丁人味平」に出てきた”ブラック・カレー”のように、レシピの仕上げとして、BABYMETALには何か麻薬的なものが振りかけられている、とでもいうのだろうか?)

僕たちが、「BABYMETALが成功したのは、アイドルとメタルの融合という斬新さ・ギャップの衝撃によるもので…」というような、したり顔の分析に同意できないのは、それが、単に「レシピ」の指摘にすぎないからだ。

なるほど、「アイドルとメタルとの融合(ギャップ)」というレシピによって、それなりに刺激的なユニットを生みだすことは(これからも)できるかもしれない。BABYMETAL以上に刺激たっぷりの激辛・激甘のユニットをつくる、それは可能であろう(今でも行われているのかもしれない)。

しかし、(BABYMETALに魅せられている僕たちの誰もが)確信をもって断言できるのは、そうしたレシピによって生み出されただけの他のユニットなど、BABYMETALという空前絶後の多次元の魅力がぱんぱんに詰まった絶品料理には及ぶはずがない、ということだ。

それは、KOBAMETALという地獄の底までもかっさらうようなこだわりを持った凄腕のシェフや、MIKIKOMETALという世界一のパテシエが、BABYMETALの楽曲や振り付けをつくりだしている(この辺の喩えは適当ですごめんなさい、でも、まあ、ざっくり言えばこういうことですよね)というところにもあるのだが、それ以上に、何といっても、BABYMETALという絶品料理の「素材」が、SU-METAL、YUIMETAL、MOAMETAL、この、全世界73億の人間のうちのたった3人、まさにこの3人であった、ということに拠る。

73億ぶんの3

決して単に「偶然」に集まったわけではなく、SU-METALを軸にしてこの3人でBABYMETALが生み出されることには、それなりに筋の通った道すじがあったのだが、それにしても、この、人間としての素晴らしさを持った、相互の絶妙のバランスを保った、3人の邂逅、これは、皆さんが感じているように、「奇跡」と呼んでよい事態だと思う。
(僕の人生の過去・未来を通して遭遇する、最大の「奇跡」だろう。だから、これを「奇跡」と呼ばずに、いつ「奇跡」という言葉を使うのだ!という気がするのでこれからも、BABYMETALを語る際には「奇跡」という言葉をためらいなく使うのである)

歌や舞踊や、というステージ上のことについての「素材」性も(とんでもないレベルで)そうなのだが、それらのみを見るならば、世界にはもっとすごい才能をもった人材はいるだろう。
しかし、最近見聞きした、オフステージでの3人の言動の生き生きした姿、その「地」の人間性には、「ああ、これは、他の誰も敵わないだろうなあ」、と思わせる、「素材」の最高ぶりがあらわれている。

その、ひとつ。
武藤彩未さんの活動休止宣言に対して、SU-METAL(中元すず香)が誰よりも早く言葉を送った、という記事を目にした。私の憧れは彩未さんです、と。
涙が湧いてきて困った。仕事の途中に立ち寄ったスタバでの出来事だったので、何とか必死にこらえたのである。
SU-METAL(中元すず香)の送った言葉は、憐憫とか形式的な励ましとかでは全くなく、心の底からの真摯な言葉だ、と僕には感じられる。
ド直球の思い、だと。
そう、これが、SU-METAL(中元すず香)なのだ。
このことから、改めて、彼女の人柄の「まっすぐさ」(や、さくら学院のメンバー同士のこころの繋がり)に、胸を打たれたのだ。
昨年の年末のMステで、Perfumeの楽屋を訪れて、あ~ちゃんに握手を求めたSU-METALの手がぶるぶる震えていた、というエピソードにも、彼女の人柄があらわれていて、今こうやって思い出すだけでも、涙が湧いてくる。
こんなピュアな心の持ち主が全霊を籠めてまっすぐに歌う(しかも圧倒的な声量と唯一無二の魅力的な声質で)歌、それは言葉の壁を超えて世界中の多くの人の心を揺さぶる。それは当然だ、と改めて思ったのだ。

これは、「アイドルとメタルの融合」という「レシピ」とは別の次元にある、「素材」の素晴らしさだ。
もちろん、SU-METAL(中元すず香)という「素材」の魅力が、このとんでもない「レシピ」によって超絶的な次元の味わいを帯びて引き出されていることは間違いないのだが、そもそもそこにSU-METALという素晴らしい「素材」(今回は、歌い手というよりも、人間としてのピュアさのことが言いたいのだが)があったからこそ、天下無双の絶品料理として成立しているのだ。

逆にいえば、「アイドルとメタルの融合」などといういわば”あざといレシピ”は、生半可な「素材」であれば、その味わいが殺されてしまう、危険なものでもあるはずなのだ。

初期のBABYMETALに対する感想(さすがに最近はとんと目にしなくなったが)に、「やらされている」感を述べるものがあったが、これはまさに、「レシピ」のために「素材」そのものの味が消えてしまっている、という印象の吐露だろう。
僕は、そうは感じたことはないが、例えば初期の映像作品のYUI・MOAの表情や動きには、今から振り返ればそう感じられるところもある、と言えなくもない。

しかし、どうだ。
2015年末の今のBABYMETALを観て・聴いて、SU-METAL、YUIMETAL、MOAMETALの3人が、やらされている、すなわち、その「素材」が「レシピ」に負けて本来の持ち味が消えてしまっている、などと、思う人はいないはずだ。

そう、この3人は、「素材」としてとてつもなく勁い(つよい)のである。
「アイドルとメタルの融合」というとてつもなく奇妙なレシピで料理されても、平気で「地」の「味」をだし、オッサンたちを泣かせる「魔力的なピュア」とでもいうべき魅力を醸し出すそんな(ありえない)たくましさをもった素材なのだ。

葉加瀬太郎とのラジオ出演、ほんとうに楽しかった。
皆さんおっしゃっているように、耳が幸せ、だった。
3人とも、声がとんでもなく魅力的だ、と感じさせるのは、ワールドツアー等の経験と鍛錬のたまものなのかもしれないが、それ以上に、番組中、3人ともが本当に「自然体」でBABYMETALの活動を語っていることに、聴いていてこちらもたいへん幸せになった。

今まで日本人の誰もが経験したことのない、想像すらできない挑戦・経験をつぎつぎと重ねながら、それとまっすぐに向き合い、等身大の感想を抱き、それを素直な言葉で語ることができる。

こんな女子高生がいるか?なんて言い方はたぶん無意味であって、3人は年齢を超えたモンスター級の「ピュアな素材」なのである。
(「世をしのぶ仮の姿」考で探究した、幼い頃からの芸能活動によって培われた、というところも大きいのだろう)

「売れたい」「人気を獲得したい」「もてはやされたい」といった欲望・渇望を抱く間もなく、まさに天から降ってくるように、とんでもないレベルでの活動規模やファンの数の拡がりが起こった、ということ(いわば「育ちのよさ」)も、彼女たちの人間性のピュアさが失われない要因なのかもしれないが、ここは、そうした理由づけでは説明しきれない、「人間性が天才」である3人が集まった、ということなのだ、と言うしかないと思う。

もちろん、「人間性が天才」といっても、例えばマザー・テレサのような3人だ、などと言っているのではない。
ステージ上でのパフォーマーとしての「人間性が天才」、いや、もっと正確に言えば、BABYMETALの「素材」としての「人間性が天才」ということだ。

同義反復のようだが、そうではない。

「素材」のための「レシピ」、「レシピ」のための「素材」、それが「奇跡」的に出逢ったマジック、それがBABYMETALなのだ。だから、空前絶後、唯一無二、と断言するのである。こんなことはもう絶対にありえない。

ロックの本場イギリスでの、ガチのメタルフェスや、由緒あるロックフェスの、メインステージ。何万人もの、自分たちを受け入れてくれるかどうかわからない、ひょっとしたら大群衆のヘイターとなるかもしれない、外国人の観客の前に登場し、「完璧」以上のステージングを見せる。
僕には想像すら及ばないが、「繊細」と「大胆」とが絶妙にバランスのとれた性格でないとこんなことはなしえない、と思う。いい意味での「天然」と、常人には持ちえない「気遣い」との、最高レベルでの共存
それを、SU-METAL、YUIMETAL、MOAMETALの3人ともが持ち合わせ、二等辺三角形的な美しいバランスを保ちながら、明るく楽しく切磋琢磨し続けてきた、ということ。

冒頭に述べた、「中毒」症状。
ハマるきっかけは「レシピ」なのかもしれないが、噛みしめても噛みしめても(噛みしめれば噛みしめるほど)深く、そのピュアな「素材」の味わいが出てきていつまでも飽きないのは、3人の人柄という「素材」の味によるものだ。
知れば知るほど、抜けられないというか、止められないというか。
飽きる理由がまるでないのである。


そうそう、最後に、(調子に乗って比喩語りを重ねるならば)神バンド(による演奏)とは、いわば、濃厚な激辛ソース、だ。
これも、よほどの「素材」ではないと、ソースに負けてしまい、単にソースだけの味になってしまう。
また、いくら絶品のソースであっても、ソースだけでは、料理として人々に提供され、舌に喉に腹に幸せを与えることはできない(BOH氏がいつか語っていたのはこのことだろう)。まあ、たまには、ソースだけをぺろんと舐めて「美味しい!」と言うこともあるのだが。
神バンドを「バック・バンド」として従えて、全くその魅力を損なわないどころか
それによっていっそう魅力を増幅している3姫は、そんな意味でも、とんでもない「素材」なのだ



Mステ、ほんとうにほんとうに楽しみですね。
BABYMETALの剛速球を体験してみろ!という期待でワクワクします。
(「ギミチョコ!!」は、剛速球ではなく、超高速スライダーでしょうか?)
できれば、お茶の間で初遭遇した音楽好きの中学生とか高校生が「きゃはは」と笑ってしまい、「何これ、楽しい、かわいい…でも、何かカッコイイ…」なんて思ってくれたらいいな、と期待しています。

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