SU-METALの語り
「BABYMETALって、アイドルなんですか?メタルなんですか?って訊かれることが多くて。でも、BABYMETALって、アイドルでも、メタルでもない、ベビーメタルだなってずっと思っているので」
(NHK放映『BABYMETAL現象~世界が熱狂する理由~』)
BABYMETALがヘヴィ・メタルなのかどうか論議される際、否定的に「こんなのはメタルじゃない」と貶されたり、反対に、上記の発言を持ち出して、「すぅがこう言ってるんだから、メタルじゃないんだよ」とヘヴィ・メタルではないことを肯定的に言上げしたりすることがあるように見えるのだが、ここには、言葉・概念の混乱(誤用)があるように思う。
野矢茂樹氏の言葉を引こう。
「どの概念のもとに相貌を知覚するかは、その対象に対する知覚主体の関心に応じている。関心があれば、その概念はより詳細なものとなり、関心がなければ大雑把な概念で済ませてしまうだろう。あるいは、言うまでもなく、自分の手持ちの概念でしか対象を捉えることはできない。「ツグミ」という概念を持っていない人は、ツグミを見てもそれを「ツグミとして」見ることはない。相貌は、関心に応じて、そしてまたどの概念をもっているかに応じて、異なりうるのである。」
(『語りえぬものを語る』「23言語が見せる世界」)
「こんなのはメタルじゃない」という誹謗は、じつは、ヘヴィ・メタルを本格的に聴いたことがない(それほど関心がない)からこその「大雑把な概念」「手持ちの概念」による否定であろう。「ヘヴィ・メタル」という概念のもとには実に多様で様々な「相貌」を持つ音楽が存在する、ということは、本格的にヘヴィ・メタルを聴けば聴くほど痛感されることだからだ。「こんなのはメタルじゃない」なんて言ってられないカオスの中で、僕たちは自分にとって好ましいヘヴィ・メタルの楽曲やバンドに出会うのである。自分の好みに合わないから言って、それを「これはメタルじゃない」なんて言いはしないはずだ。
(ここで進行中の『メタル・エヴォリューション』全11回の考察とは、そんなヘヴィ・メタルのもつ多様な「相貌」の確認でもあるのだ。)
では、冒頭のSU-METALの発言を、どのように理解すればよいのか?
SU-METALの、こんなコメントもある。(CDショップ大賞を受けてのインタビューへの回答)。
(今、本格的なメタルファンまでをも唸らせる存在になっています。メタルという音楽ジャンルについてどう思いますか?)
「正直、まだ私たちも「メタル」というものをちゃんと理解できていないと思います。しかし、BABYMETALの活動の中で新しい自分を発見することができるし、それをメタルファンの方に受け入れてもらえていることはとても嬉しいDEATH!」
(今後の目標や野望、挑戦したいことなどを教えてください。)
「私たちの目標は「BABYMETAL」というジャンルを作ることなので、これからも自分たちにしか出来ない事にチャレンジしていきたいDEATH!」
言うまでもないことだが、BABYMETALはヘヴィ・メタルであることを、まさにその名に負うている。「ベイビーメタル」ではなく「ベビーメタル」という発音に(少なくとも国内では)こだわるのも、自らのアイデンティティがヘヴィ・メタルにあることを、韻を踏むことで絶えず宣言している、ということだ。さらには、メンバーの名・スタッフの名にまで、過剰に「~METAL」を押し出している。BABYMETALとは、まぎれもなく、ヘヴィ・メタルの申し子なのであり、ヘヴィ・メタル史の最先端にいることをこれほどありありと体現しているユニットもない。
だから、冒頭の発言も、ヘヴィ・メタルであることは言わずもがなの前提としてのものとして受け取るべきなのだ。SU-METALの言葉を文字面のまま表面的に受け取って、「ヘヴィ・メタルじゃないって、すぅさんが言ってる」などと言ってはいけないのだ。
けれども、では、「こんなのはメタルではない」と貶されたり、SU-METAL自身が「メタルでもない」と発言したりしていること、これはどういうことなのか?
ここで、プロトタイプ(典型)という概念を持ちこむと、このへんのややこしさはときほぐしやすくなる。
「アイドルでも、メタルでもない」とは、「典型的なアイドルでも、典型的なメタルでもない」ということだ(それは、裏返しに言えば、「アイドルの異端、メタルの異端」だということの謂である)。ここには、何の齟齬もない。BABYMETALは、「典型的なアイドルでも、典型的なメタルでもない」、「アイドルの異端、メタルの異端」である。まさにその通りだろう。
「鳥」の特徴と言えば、何と言っても「空を飛ぶ」ことだろう。典型的な「鳥」とは、「空を飛ぶ鳥」だ。だから、ダチョウやペンギンを見て、「こんなの鳥じゃないよ」という言い方はある。しかしもちろん文字通りに「ダチョウは鳥ではない」などと言っているのではない。鳥であることを前提にしながら、ダチョウのようなこんな鳥なんて(自分の知っている、いわゆる)鳥ではない、ということだ。正確にいい直せば、「こんなのは典型的な鳥ではない」ということだ。「~らしさ」と言ってもよいだろう。ダチョウやペンギンは「鳥らしい鳥」ではない。しかし、もちろん、ダチョウもペンギンも鳥なのであり、ダチョウやペンギンをも含むことで、「鳥」というジャンルはより豊饒なものとなっている。
「鳥」という大ジャンル(鳥綱)のなかに、「ダチョウ目ダチョウ科ダチョウ属」というサブジャンルがあるように、ヘヴィ・メタルという大ジャンルの中にBABYMETALというサブジャンルがある。それが、「BABYMETALって、アイドルでも、メタルでもない、ベビーメタルだな」「私たちの目標は「BABYMETAL」というジャンルを作ること」という発言の意味だと、僕は考える。
そして、「BABYMETALというジャンルを作る」とは、それが闘いでもある、ということだ。事実、BABYMETALは、そのありようが典型でないからこそのさまざまな抵抗を受け続け、その抵抗を実力でときふせてきた。その姿に僕(たち)メタル・ヘッズは「メタル魂」を感じるのだ、ということはすでに述べた。
そして、MOAMETALが大賞のインタビューで述べているように、僕たち(The Oneたち)もBABYMETALの一員なのである(こうした発言は、やはりMOAMETALがするのだなあ)とすれば、その役割のひとつは、彼女たちを、唯一無二の斬新なヘヴィ・メタルとして楽しむことだ。「典型ではない、ヘヴィ・メタルの異端」として。当たり前だが、「BABYMETALというジャンル」が作られた、というためには、それをそう認める受け手が存在しなければならないからだ。そして、「異端=突然変異」こそが「進化」の原動力であることを、今、このブログでゆっくりと確認しているのである。
BABYMETALを何が何でも盲信する、ということではない(そういう熱狂的なファンがいてもそれはそれでもちろん構わないのだが)。事実として、彼女たちのパフォーマンスは、恐ろしいほど素晴らしいのだから、それを正当に楽しめばよい、それだけのことだ。それが僕たち「~METAL」を名に負うもののいちばん原初的な役割なのだ。
何をごちゃごちゃ言ってるんだ、BABYMETALはBABYMETALというオンリーワンの存在であり、それをそれとして楽しめばよいのであって、ヘヴィ・メタルかどうかなんてどうでもいいんだよ。
これは、それなりに正論だろう。
しかし、そうした態度は、BABYMETALはヘヴィ・メタルではないという考えをも許容することにつながってゆく。そうなると、BABYMETALとは何か、彼女たちが命がけで何をやろうとしているのか、なぜ僕たちメタルヘッズが(いい年こいて、というか、いい年をこけばこくほど)彼女たちの歌や「振り」に涙を流すのか、が見えなくなってしまう。「メタル・レジスタンス」とは、(プロ野球チームが毎年毎年つけるスローガンのような)単なるメタル風味のカッコつけたキャッチ・コピーなのか?そうではないことを僕たちは知っている。事実として彼女たちが「メタル・レジスタンス」を成し遂げ、また新たにチャレンジしていることを、知っているから、涙する、のではないのか?
些末なことに思えるかもしれないが、「BABYMETALはヘヴィメタルである」、ここを確認しておくことは、BABYMETALの本質に関わる、極めて大切なことであると僕は考える。このブログをしつこく書きつづける原動力は、そこにある。
「BABYMETALって、アイドルなんですか?メタルなんですか?って訊かれることが多くて。でも、BABYMETALって、アイドルでも、メタルでもない、ベビーメタルだなってずっと思っているので」
(NHK放映『BABYMETAL現象~世界が熱狂する理由~』)
BABYMETALがヘヴィ・メタルなのかどうか論議される際、否定的に「こんなのはメタルじゃない」と貶されたり、反対に、上記の発言を持ち出して、「すぅがこう言ってるんだから、メタルじゃないんだよ」とヘヴィ・メタルではないことを肯定的に言上げしたりすることがあるように見えるのだが、ここには、言葉・概念の混乱(誤用)があるように思う。
野矢茂樹氏の言葉を引こう。
「どの概念のもとに相貌を知覚するかは、その対象に対する知覚主体の関心に応じている。関心があれば、その概念はより詳細なものとなり、関心がなければ大雑把な概念で済ませてしまうだろう。あるいは、言うまでもなく、自分の手持ちの概念でしか対象を捉えることはできない。「ツグミ」という概念を持っていない人は、ツグミを見てもそれを「ツグミとして」見ることはない。相貌は、関心に応じて、そしてまたどの概念をもっているかに応じて、異なりうるのである。」
(『語りえぬものを語る』「23言語が見せる世界」)
「こんなのはメタルじゃない」という誹謗は、じつは、ヘヴィ・メタルを本格的に聴いたことがない(それほど関心がない)からこその「大雑把な概念」「手持ちの概念」による否定であろう。「ヘヴィ・メタル」という概念のもとには実に多様で様々な「相貌」を持つ音楽が存在する、ということは、本格的にヘヴィ・メタルを聴けば聴くほど痛感されることだからだ。「こんなのはメタルじゃない」なんて言ってられないカオスの中で、僕たちは自分にとって好ましいヘヴィ・メタルの楽曲やバンドに出会うのである。自分の好みに合わないから言って、それを「これはメタルじゃない」なんて言いはしないはずだ。
(ここで進行中の『メタル・エヴォリューション』全11回の考察とは、そんなヘヴィ・メタルのもつ多様な「相貌」の確認でもあるのだ。)
では、冒頭のSU-METALの発言を、どのように理解すればよいのか?
SU-METALの、こんなコメントもある。(CDショップ大賞を受けてのインタビューへの回答)。
(今、本格的なメタルファンまでをも唸らせる存在になっています。メタルという音楽ジャンルについてどう思いますか?)
「正直、まだ私たちも「メタル」というものをちゃんと理解できていないと思います。しかし、BABYMETALの活動の中で新しい自分を発見することができるし、それをメタルファンの方に受け入れてもらえていることはとても嬉しいDEATH!」
(今後の目標や野望、挑戦したいことなどを教えてください。)
「私たちの目標は「BABYMETAL」というジャンルを作ることなので、これからも自分たちにしか出来ない事にチャレンジしていきたいDEATH!」
言うまでもないことだが、BABYMETALはヘヴィ・メタルであることを、まさにその名に負うている。「ベイビーメタル」ではなく「ベビーメタル」という発音に(少なくとも国内では)こだわるのも、自らのアイデンティティがヘヴィ・メタルにあることを、韻を踏むことで絶えず宣言している、ということだ。さらには、メンバーの名・スタッフの名にまで、過剰に「~METAL」を押し出している。BABYMETALとは、まぎれもなく、ヘヴィ・メタルの申し子なのであり、ヘヴィ・メタル史の最先端にいることをこれほどありありと体現しているユニットもない。
だから、冒頭の発言も、ヘヴィ・メタルであることは言わずもがなの前提としてのものとして受け取るべきなのだ。SU-METALの言葉を文字面のまま表面的に受け取って、「ヘヴィ・メタルじゃないって、すぅさんが言ってる」などと言ってはいけないのだ。
けれども、では、「こんなのはメタルではない」と貶されたり、SU-METAL自身が「メタルでもない」と発言したりしていること、これはどういうことなのか?
ここで、プロトタイプ(典型)という概念を持ちこむと、このへんのややこしさはときほぐしやすくなる。
「アイドルでも、メタルでもない」とは、「典型的なアイドルでも、典型的なメタルでもない」ということだ(それは、裏返しに言えば、「アイドルの異端、メタルの異端」だということの謂である)。ここには、何の齟齬もない。BABYMETALは、「典型的なアイドルでも、典型的なメタルでもない」、「アイドルの異端、メタルの異端」である。まさにその通りだろう。
「鳥」の特徴と言えば、何と言っても「空を飛ぶ」ことだろう。典型的な「鳥」とは、「空を飛ぶ鳥」だ。だから、ダチョウやペンギンを見て、「こんなの鳥じゃないよ」という言い方はある。しかしもちろん文字通りに「ダチョウは鳥ではない」などと言っているのではない。鳥であることを前提にしながら、ダチョウのようなこんな鳥なんて(自分の知っている、いわゆる)鳥ではない、ということだ。正確にいい直せば、「こんなのは典型的な鳥ではない」ということだ。「~らしさ」と言ってもよいだろう。ダチョウやペンギンは「鳥らしい鳥」ではない。しかし、もちろん、ダチョウもペンギンも鳥なのであり、ダチョウやペンギンをも含むことで、「鳥」というジャンルはより豊饒なものとなっている。
「鳥」という大ジャンル(鳥綱)のなかに、「ダチョウ目ダチョウ科ダチョウ属」というサブジャンルがあるように、ヘヴィ・メタルという大ジャンルの中にBABYMETALというサブジャンルがある。それが、「BABYMETALって、アイドルでも、メタルでもない、ベビーメタルだな」「私たちの目標は「BABYMETAL」というジャンルを作ること」という発言の意味だと、僕は考える。
そして、「BABYMETALというジャンルを作る」とは、それが闘いでもある、ということだ。事実、BABYMETALは、そのありようが典型でないからこそのさまざまな抵抗を受け続け、その抵抗を実力でときふせてきた。その姿に僕(たち)メタル・ヘッズは「メタル魂」を感じるのだ、ということはすでに述べた。
そして、MOAMETALが大賞のインタビューで述べているように、僕たち(The Oneたち)もBABYMETALの一員なのである(こうした発言は、やはりMOAMETALがするのだなあ)とすれば、その役割のひとつは、彼女たちを、唯一無二の斬新なヘヴィ・メタルとして楽しむことだ。「典型ではない、ヘヴィ・メタルの異端」として。当たり前だが、「BABYMETALというジャンル」が作られた、というためには、それをそう認める受け手が存在しなければならないからだ。そして、「異端=突然変異」こそが「進化」の原動力であることを、今、このブログでゆっくりと確認しているのである。
BABYMETALを何が何でも盲信する、ということではない(そういう熱狂的なファンがいてもそれはそれでもちろん構わないのだが)。事実として、彼女たちのパフォーマンスは、恐ろしいほど素晴らしいのだから、それを正当に楽しめばよい、それだけのことだ。それが僕たち「~METAL」を名に負うもののいちばん原初的な役割なのだ。
何をごちゃごちゃ言ってるんだ、BABYMETALはBABYMETALというオンリーワンの存在であり、それをそれとして楽しめばよいのであって、ヘヴィ・メタルかどうかなんてどうでもいいんだよ。
これは、それなりに正論だろう。
しかし、そうした態度は、BABYMETALはヘヴィ・メタルではないという考えをも許容することにつながってゆく。そうなると、BABYMETALとは何か、彼女たちが命がけで何をやろうとしているのか、なぜ僕たちメタルヘッズが(いい年こいて、というか、いい年をこけばこくほど)彼女たちの歌や「振り」に涙を流すのか、が見えなくなってしまう。「メタル・レジスタンス」とは、(プロ野球チームが毎年毎年つけるスローガンのような)単なるメタル風味のカッコつけたキャッチ・コピーなのか?そうではないことを僕たちは知っている。事実として彼女たちが「メタル・レジスタンス」を成し遂げ、また新たにチャレンジしていることを、知っているから、涙する、のではないのか?
些末なことに思えるかもしれないが、「BABYMETALはヘヴィメタルである」、ここを確認しておくことは、BABYMETALの本質に関わる、極めて大切なことであると僕は考える。このブログをしつこく書きつづける原動力は、そこにある。