ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(『メタル・エヴォリューション』03の1)

2015-03-08 16:24:49 | babymetal
『メタル・エヴォリューション』の第3回は、「アーリー・メタル・UK」についてであった。つまり、ヘヴィ・メタルを生んだ本流である、ブリティッシュ・ミュージック・シーンについての考察である。

そして、この回も、BABYMETALとは何かを考えるための刺激・問題提起・ヒントが満載であった。以下、その中からいくつかとりあげて、BABYMETALについて考えてみたい。

番組の前半は、ヘヴィ・メタルを生む原動力となった3つのUKのバンド、レッド・ツェッペリン、ブラック・サバス、ディープ・パープルについて語られた。

レッド・ツェッペリン(番組内では誰もが「ゼッペリン」と発音していたのだが、なぜ日本では「ツェッペリン」と表記するのだろう?)はサム・ダンのインタビューには応えてくれなかったが、サバスやパープルのメンバー数人が登場し、色々と興味深い話を聞かせてくれた。その中で、まず興味を惹かれたのが、ジョン・ロードの次のような語りだ。

「初めてハモンド・オルガンで何が出来るかって気がついたのが、「ハード・ラヴィン・マン」のソロさ。スタジオで何も考えずに感情に任せたら、あの楽器はどんな風に応えてくれるか試したんだ。ハモンドで一番好きなのは順応性かな。元々教会の楽器だったものがジャズやブルースのミュージシャンに対応し、そして私がハード・ロック・バンドにねじ込んだようなものだ。ただ単なる飾りの楽器としてじゃなく、自由に解き放ってやりたかったんだ。」

今では、「ハモンド・オルガン」の入った曲は、いかにもヘヴィ・メタル(ハード・ロック)らしいものとして受け取られるはずだ(近年では、僕的には、ハロウィンの「バーニング・サン」のボーナストラック・ヴァージョンが滅茶苦茶かっこいいハモンド・オルガン入りの曲だ)が、これすら、ヘヴィ・メタルの進化の過程の中で、新しく生まれてきたものなのだ。
(以下、しつこくこのブログで繰り返していることだが)BABYMETALの「振り」=舞踊は、いわば、2010年代のハモンド・オルガン(ヘヴィ・メタルの進化における新たな発現形態)なのだ、と僕は考えるのである。これから30年後、「へえ、昔はメタルで舞踊する「演」奏なんてなかったんだって…!」なんて語られる日が来るのかもしれない、と。

また、イアン・ペイスが、「史上最も有名なギター・リフ」、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のリフの部分の演奏が出来上がったときのことを語っているのも面白かった。

「用意していたのか、その場で思いついたのか、リッチ―が突然リフを弾きだしたんだ。それに皆でアレンジをしていった。たった4分程の出来事さ。」

へえー!と感嘆しながら、ここで僕は、BABYMETALの「4の歌」の成立過程を思ったのである。とりわけYUI・MOAに対して「やらされている感がハンパない」なんて揶揄する書き込みを眼にしたこともあるのだが、「4の歌」についてよくよく考えてみたら、YUI・MOAの自分たちのアイディアが曲・振りとして具現化されて、それを自分たちがライヴで「演」奏すると、それに呼応して国内・国外のメタラーたちが狂喜する、というのは、凄い経験ですよね。これを「スモーク・オン・ザ・ウォーター」にダブらせるのは、さすがに贔屓の引き倒しだと自分でも思いつつ、それでも、構造としては同じなのではないか、と思ったのです。
彼女たちの「振り」(もちろん完成させたのはMIKIKOMETALの力もあってなのだけれど)も、30年後には、「史上最も有名な「振り」リフ」なんて呼ばれていたりして…。

話を『M・E』に戻すと、
そうした、ヘヴィ・メタルのいわば源泉となった3バンドだが、どのバンドも「俺たちはヘヴィ・メタルではない」という強い態度を示している。

例えば、
ブルース・ディッキンソンは、
「もし1つのバンドと1枚のアルバムがヘヴィ・メタルというムーヴメントを推し進めたとしたのだとしたら、それは間違いなくブラック・サバスの1stアルバムだ。」
と語っていて
、確かに、
特に楽曲「黒い安息日」の、それまでにない不吉でダークなサウンド(『M・E』第1話で、ホルストの「惑星」の「火星」に触発されてあのリフが生まれたことがすでに語られていた)が、間違いなくヘヴィ・メタルというジャンルの先駆であったはずなのだが、
インタビューに答えて、ギーザー・バトラーは、
「俺たちはハード・ロック・バンドだ。ヘヴィ・メタルというのは、俺たちを理解できない評論家による蔑称だったんだ」
という主旨のことを語っている。

ツェッペリンも(番組では伝聞のかたちでの報告だが)、パープルのメンバーも同様だ。

まあ、当時のシーンにはまだヘヴィ・メタルという概念はなかったのだから、これは当然だろう。聴き手の僕(ら)からしても、この3バンドはとりわけブルーズ色が濃く感じられる(現状のヘヴィ・メタルからすると)という点で、やはり、ヘヴィ・メタルではなくハード・ロックと言ったほうがしっくりくる。

そして、70年代以降、上記3バンドはそれまでのヘヴィ・ロックから次第に離れていき、UKでも、グラム・ロック等が全盛になっていく(と、番組では語られている)。「世界を変えたい」という欲動を根底にしたシリアスなロックから、パーティーを楽しもうぜ、という音楽へとシーンの主潮がうつってゆくのだ。

そんななか、今のヘヴィ・メタルへとつながる大きな影響力を与えるバンドが登場する(と、番組でも語られているし、僕の実感からもその通りだと思う)。

レインボー、だ。

バッハや16世紀の中世音楽とハードロックとの融合という側面は、ディープ・パープル時代からのリッチー・ブラックモアの音楽的志向(嗜好)が大きいのだろうが、そこにさらに、ロニー・ジェイムス・ディオの歌詞が、「ファンタジーとハード・ロックの融合」をもたらした。(レインボー自体は(とりわけロニー時代は)、まだヘヴィ・メタルではなく、ハード・ロックと呼ぶべきだろうが)。

これも、例えば「ドラゴン」や「騎士」は、ヘヴィ・メタルの進化史のなかで「突然変異」として登場し、「自然淘汰のなかで生き残り」、今に至っている、ということを改めて確認した。

「本来のヘヴィ・メタル」などというものは存在しない、のである。
(ただし「典型」的なヘヴィ・メタルというものはある。「ジャンルとサブ・ジャンル」ということと絡めて、できるだけ近いうちに考えてみたい)。

ロニー・ジェイムス・ディオの語り
「人が皆、イマジネーションを使って自分の龍を作り出して欲しいんだ」


この、「イマジネーション」についてのフロントマンの発言は、『M・E』01の考察でも紹介した、ブルース・ディッキンソンやロブ・ハルフォードの語り(まさに「典型」的なヘヴィ・メタルのフロントマン)へとつながる。

そして、ロニーといえば、看過できないのが、メロイック・サインである。
これは、ヘヴィ・メタル進化史におけるBABYMETALを考えるうえで極めて重要なトピックなので、『M・E』第3回の考察の途中にやや脱線をはさむかたちになるが、回を改めたいと思う。