ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(『メタル・エヴォリューション』01)

2015-03-01 00:01:54 | babymetal
全11話の『メタル・エヴォリューション』(以下『M・E』)の第1話は、いわば導入編で、
テーマA:なぜヘヴィ・メタルがメタルヘッズを惹きつけるのか?
テーマB:ヘヴィ・メタルはどのようにはじまったのか?
について、考察している回である。

実に刺激に満ちた映像やインタビューが満載だが、
その中から特に、BABYMETALについて考えさせられた
ものをいくつか挙げてみる。(青字は、映像の中身からの抜粋

テーマAについて。

ブルース・ディッキンソンの語り
「メタルはカタルシスそのものとなった。あの制御されつつ激しい極限状態を愛し引きつけられる人々による祝宴さ」
 ↓ ジョン・ダンの分析
・連帯感
激しさは人間のどこか奥深いところに響く
 ↓ 結論
ヘヴィ・メタルは、自分の中に存在する凶暴な一面を周りに危害を与えずに解き放つ。


BABYMETALが、ヘヴィ・メタルである、という僕たちの実感は、今までヘヴィ・メタルを聴きながら感じてきたこのような高ぶりをBABYMETALに感じる、ということだ。

そして、<BABYMETALがヘヴィ・メタルの進化の最先端形態である>、という僕の主張とは、傍線を付した、「激しい極限状態」「激しさ」「凶暴な一面」が、今までのヘヴィ・メタルに全くなかった「なんじゃ、こりゃ!」によって実現されている、ということである。
BABYMETALは、「激しい極限状態」「激しさ」「凶暴な一面」を、三姫の舞踊を通して、”Kawaii”という位相で体現している。

凶暴なメタルサウンドに合わせて、可愛い女の子三人がダンスする、のではない。

三姫の舞踊=「振り」が、「激しい極限状態」「激しさ」「凶暴な一面」の劇的な表現、すなわち「演」奏なのである。

このことはテーマBとも深く関わる。

テーマBについての抜粋。

ヘヴィ・メタルには、クラシック、ブルース、ジャズが深く影響している、という内容のなかで、ヘヴィ・メタルの典型である2大シンガーが、どちらもオペラへの傾倒を語っている。
ブルース・ディッキンソン。
「俺が歌う時に意識していることは、いかに頭の中を劇場に変えるか、音楽を通じてドラマを演じる、人のイマジネーションをいかにめちゃくちゃに出来るかってことさ。」
ロブ・ハルフォード。
「オペラのようにメタルにはトラウマや怒り・嫉妬・復讐など全てがある。私たちとメタルっていうのはその力強さで相手を感情的に興奮させるかってことさ。非現実的な視覚体験さ。」(「私にとって神であるパヴァロッティ」という、へ~!という発言もあった。)


もちろん、これらは、BABYMETALのライヴステージ全体にあてはまる発言なのだが、とりわけロブの、「トラウマや怒り・嫉妬・復讐」というところに注目すべきであろう。まさにこの赤字が、ジューダス・プリーストらしさであり、ここを「Kawaii」に置き換えるとBABYMETALなのだ、と。ただし、その「Kawaii」とは、全くなよなよとしたものではなく、何とも力強い、むしろ、凶悪とさえ言えるものだ。それを体現するのが彼女たちの、高速の・緻密な、舞踊=「振り」である。

とりわけ、BLACK BABYMETALでは、その「Kawaii」凶悪さ(BLACKさ)は際立っている。「おねだり大作戦」「4の歌」、ソロの「ちょこっとLOVE-BIG TIME CHANGES ver.-」「LOVEマシーン-FROM HELL WITH LOVE ver.-」など、どれもブルース・ディッキンソンの言う「イマジネーションを」「めちゃくちゃに」されてしまっているメタルヘッズは数多いだろう。罪悪感・背徳感さえ感じさせられながら、気がつけばほほをだらしなくゆるませて、涙までも滲ませている。この凶悪さ、よ!

ブルース・ディキンソンのBABYMETALについての語りをまだ見たことはないが、おそらく「アリ」と言うはずであろうことを確信した。


もう一つ、
ブルースのヘヴィ・メタルへの影響は?と問われて
カーク・ハメットが「リフで感情を表現する」
と述べている。
これもまさに、メタリカらしさだが、
前回に述べたように、三姫の舞踊=「振り」を、リフでもある(ここもいつかきちんと分析したい)と考えると、彼女たちの「演」奏のメタリカとの共通性も確認できそうである。

あと、マーシャル・アンプの誕生の由来など、興味深い回であった。長文になったので、今回はここまで。