ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(舞踊考3~イジメ、ダメ、ゼッタイ2)

2015-03-05 11:49:32 | babymetal
2014年度末の、MUSIC STATION の『イジメ、ダメ、ゼッタイ』を観直してみた。
率直に言って、やはり「イタ」イ。端的に言って、この曲の感動POINTが蒸発している、という気がする。

前回の区分に即し、この夜「演」奏された部分を確認してみよう。
当夜、カットされたところを消線表示してみた。


パートⅠ イントロ
01:Intro1 はじめから「ルルルー」の後のタメまで(16小節+αタメ)
02:Intro2 激しいリフ、SU-の「X」ポーズYOI・MOAクラウチング・スタンバイ(8小節 → 4小節)、「アー」でYUI・MOAの疾走:2度交差して中央へ(8小節)→1度だけ交差(4小節) 
03:Intro3 ターラ・ラーラというギターに合わせて片手を挙げてジャンプ(8小節)、「X」ポーズでとまり、手を戻す(2小節)


もともと42小節+α(タメ)あったイントロが、18小節に。
Intro1は完全にカット。結果、静→動のダイナミズム、様式美が全く感じられない。ここがメロ・スピのひとつのキモなのに…。
Intro2のYUI・MOAの疾走による交差が一回しかない分、はじめからYUIが右(向かって)MOAが左という変則的スタートになっていた。
観直してみて収穫がひとつ。「ア~」の前に、クラウチングスタートの姿勢のMOA・YUI(この夜はこの順)が、共に、SU-に向かって「OK」「やるぞ」的な腕の振り上げを見せているのがはっきり見える。「赤い夜」ではYUIのみが確認できるが、他の映像ではふたりとも暗くて見えなかったところだ。これがこの曲の「振り」のデフォルトなのだろうか?
Intro3は、そのまま残っている。


パートⅡ いわゆる「一番」の歌詞
04:A 「ゆめをみること~みつめつづけてくれたあなた~」(16小節)前半がいわゆる「駄々っ子ヘドバン」&筆記体の「X」描き、後半がなめらかに腕や手首の交差等で様々な「X」を描く。最後にピッキング・ハーモニクスに合わせて「投げキス」
05:B 「(じし)ん持てずに~じぶんさよならー」YUI・MOAの合いの手。歌詞を「振り」で表現しつつ、カニ歩きで左右チェンジ(8小節)、「ばいばーい」お立ち台へ(1小節)
06:C「(イジ)メ~、ダメ、…」(8小節)いわゆる「×(ダメ)」ジャンプ。「ダメダメダメダメ」のところも腕でつくった「×」を押す。「(キツ)ネ、トベ、…」も、全身で「×」のカタチをつくる(8小節)+「(きみ)をまもる~か~」(2小節


06C、「イジメ、ダメ、イジメ、ダメ、カッコわるいよ~(4小節)」から、
「くるしみも、かなしみも」と、12:C’の終わり(4小節+2小節)にショート・カット。
極めて残念なのが、
04Aの「投げキス」も映像では映っていない(SU-のアップ)のは残念。ピッキング・ハーモニクスと、ふたりの小悪魔の「振り」のユニゾンが再現されていない。
歌詞も「キツネ、とべ、キツネ、とべ」と、「イジメ、ダメ」と韻を踏みつつ、意味を無化する、極めて重要な詞が省略されてしまい、「くそまじめにイジメ撲滅を願うAC的な歌」になりさがっている。いったいこの娘たち何なの?という気味悪さを感じた視聴者も多いだろう。
なお、この夜はお立ち台はなかったので、「お立ち台へ」は「お立ち台がいつもある方へ」ということになる。

ショート・カットの結果として、

パートⅢ 間奏その1
07:D「(か~)らー」(4小節)サム・アップで三姫見つめ合い、敬礼+その場で疾走再現、左右からSU-に手を向ける
08:E ミニ・バトル (4小節)YUI・MOA左右入れ替わり→「×」→組んだ両腕をつきあげる祈り(2小節)


であり(涙…)、

パートⅣ いわゆる「二番」の歌詞
09:F「なみだみせずに~…ひ~と~り~」祈りのポーズ→左右で直角をつくり傾ける(8小節)
10:G「きずつけたのは~…な~か~ま~」「駄々っ子」向き合う(4小節)+「駄々っ子」正面(4小節)
11:H 「(なに)も~いえずに~」YUI・MOAの合いの手→壇上へ「ポイ捨て禁止」「イエスタデイ」(8小節)「バイバ~イ」(2小節)
12:C’「(イジ)メ~、ダメ、…」(8小節)「(キツ)ネ、トベ、…」(8小節)
+「(きみ)をまもる~か~」(2小節)
13:I「(か~)らー」台から降りて歩みよる、サム・アップ「いたみ、かんじて…」で中央へ(8小節)「もう~」「イジメ、ダメ、ゼッタイ」(8小節)


となってしまっている。「駄々っ子ヘドバン」の<変化しつつの繰り返し>が消えている。
13Iはそのままで、

パートⅤ 間奏その2
14:J バトル(8小節)左右入れ替わる(8小節)(8小節)くるくる(2小節)
15:K「(いと)し~くて~」腕の振りでやわらかく「X」を描く(4小節)「(これ)以上~」(4小節)三人が外を向く祈りのポーズ(1小節)


ここもバッサリ、カット(大涙…)、

パートⅥ エンディング
16:C''「(イジ)メ~、ダメ、…」(8小節)「(キツ)ネ、トベ、…」(8小節)+「(きみ)をまもる~か~」(4小節)


ここはそのまま。ようやく「キツネ、とべ」が出て来たが、時もう遅し、という感じだ。

17:L「(イジ)メ―ダ~メ―、ゼッタイ~」(8小節)首を振りながら(弱駄々っ子)前へ「(イジ)メ~ダ~メ~」お立ち台へ(8小節)台を下りて、三姫が天に組んだ手を伸ばす祈りのポーズで終わる(3小節)


YUI・MOAの「振り」を見ると、「弱駄々っ子」の振りがないから、17Lの前半がカットされて、後半(8小節+3小節)のみが「演」奏された、というかたちになっている。

こうしてみると、『イジメ、ダメ、ゼッタイ』の、主モチーフのごく一部が披露された(だけでしかない)、ということだった。もちろん、地上波にBABYMETALが出ることの意味、は大いにあったはずだが、この曲のよさ、はほとんど伝わらない。
極めて限定された目的のための、メディア出演、ということだったのだろう。

前回述べたような<繰り返しのいわば安心感と、非繰り返しの緊張感とが複雑に組み合わされている>この曲のダイナミズムが失われているし、歌詞とも連動した世界観の広がりが失われ、「いじめは絶対だめだよ」というメッセージソングに堕している。

メロ・スピ、パワーメタル(僕はジャーマン・メタルという呼称になじんできたが)と呼ばれるこの曲だが、実は、その魅力は、プログレ的展開・構成の妙に(も)多くを負っていたのだ、ということが、MUSIC STATION版から逆照射される。

それにしても、YUI・MOAは何をしてるのか?この「演」奏からはわからないだろうなあ。そういうマイナスの意味での「何じゃこりゃ?」を抱いた視聴者は多いと思う。これでは、よく意味のわからない合いの手・ダンス、でしかないもんなあ。
逆に言えば、消線表示したところの、YUI・MOA(SU-)の「振り」が僕たちに与えるものとは何か、ということがBABYMETALの魅力を考えるうえで、決定的に重要だ、ということだ。

1 コメント

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Unknown (名乗るような)
2015-05-29 07:56:59
自分が理解を深めるため、強烈に文章を圧縮してみました。投稿を大変楽しみにしております。

BABYMETALが世界のメタルファンを魅了している。なぜなのか?私は、BABYMETALがメタルの最先端を体現したからだ、と考える。BABYMETALは主に①美少女の舞いと②神バンドの演奏で構成される。これらを進化という概念に当てはめると、①は突然変異、②は環境適合にそれぞれ該当する。

①が突然変異だったことは、男臭さで満たされたメタルの歴史から明らかだ。一方②はメタルファンに、BABYMETALをメタルと認定する理由を提供した。重要なことは①が観客に「なんじゃ、こりゃ!」という驚きを与えたばかりか、その血をたぎらせ酔わせたことだ。ライブビデオに釘付けになった者は当惑し、ほほを緩ませ、また涙を流す。

BABYMETALの曲や舞いは精緻だ。曲が進むに連れて変化する。例えば「イジメ、ダメ、ゼッタイ」で「駄々っ子ヘドバン」は2度表れるが、その前後が違うばかりか、演者の向きが変わる。故に観客に目と耳を通して、繰り返しによる安心と非繰り返しの緊張を与えられる。

それによってBABYMETALは、メタルの必要条件を完全に満たした。観客の激情を喚起したのだ。結局、メタルファンはBABYMETALに二つのことを教えてもらった。一つは、激情がメタルのテーマによくされるフラストレーションの下だけでなく、Kawaiiの下にも存在すること。もう一つは、自らが美少女の舞いという「演」奏によっても感動すること、である。
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