輝ちゃんつれづれに 

最近はインスタ・LINE、スレッズを始めました。楽しかったこと、残しておきたいことを自分の言葉で書き込みます。

悪くない、でも、いいわけではない

2015年04月20日 23時37分07秒 | 日記

憂鬱な空。変な天気だな。一体どうしたのだ。春の嵐?


窓に叩きつける雨


成城・調布のイカリクリニックで。

先日の採血の結果を聞く。悪くない、良くもない。先生は怒ってもいない、でも・・・と言う。検査結果の数値が示している。



ちょっと2月から3月にかけて生活の乱れた時が・・・。

背伸びをしすぎていたな。当たり前のようなことであってもそうでない時もある。自分を見つめ直すいい機会だ。集中することが大事だ。色気を出さない。

ある程度、規律のある生活をしよう。 



 

「わからないもの」を受け容(い)れ、自分の中に未聞の言明や心性をむりやりねじ込んでゆく 内田樹さん(朝日新聞 折々の言葉から)

 

 

市長・市議会議員選挙二日目 春嵐の中を疾風の如く候補者が

 

最近、内田樹さんの本を読んでいる。このように難しい、意味がわからない言葉の羅列である。以前は、だから嫌いで読まなかった。今は逆で、彼は一体何を言いたいのか、私はその言葉をどのように捉えるのかという問答的なことをしながら読み進めている。「好奇心を持ってことを起こさなければ何も変わらない」と今日の私は考えた。それにしても安部総理大臣の脳みそにはついていけない。重厚さがなく、責任と覚悟が全く感じられない。



私は無知だ。NHKの「花燃ゆ」を見ている。面白くなってきた。ということは演じる人も見る人(自分)も時代劇の雰囲気に慣れてきたのかな。初めのうちはセットばかりに目がいっていた。やっと時代の流れや人に目がいくようになった。

いろいろな難しい言葉が出てくる。書き留めているが全てノートできない。調べてみた。

至誠而不動者、未之有也

至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり。

至誠を尽くせば人は必ず動く、変わることができる。

戦国時代中国(紀元前300年ごろ)の儒学者、「孟子」の言葉。

吉田松陰の名言

http://www.yoshida-shoin.com/torajirou/goroku.html 

高須久子とは

http://www.jpreki.com/takasu/ 

 


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好奇心こそ若さの原動力

2015年04月19日 23時38分18秒 | マツンのおもい

宇宙航空研究開発機構調布航空宇宙センターの公開日


今日は、宇宙航空研究開発機構調布航空宇宙センターの公開日。いつもは見られない第二会場。時間がなかったのでぐるっと一周。こんなことをやっていたんだ。空飛ぶ実験室は楽しかった。自分でヘリコプターを操縦している感じ。ここが一番面白いと異口同音にいっていた。本当は、光ファイバー変形計測システムの研究・開発を時間をかけて見たかった。



午後3時ごろになって思い出した。公開日で第二会場に行く予定であった。三鷹支所とでもいうのだろうか。何をやっているのだろうといつも疑問だった。先日、ポスターで公開日を知りカレンダーに記載してあった。天気が心配だったが自転車で行った。調布飛行場の道路一つ隔てた場所。


   


このスタンプラリーは凄い。
車のナンバーを見てびっくり。
愛媛、新潟、千葉などなど。
みんな期待し楽しみにしているんだ。

四つの会場を回る連絡バスがあった。普段では見学できない場所をすべてまわれるというのはすごい。社会見学には最高だ。私も二箇所しか回っていない。

 


宇宙航空研究開発機構
海上技術安全研究所
電子航法研究所
交通安全環境研究所 


調布飛行場の展望デッキに上がってみた。こんなスペースがあったんだ。飛行機が飛んでくればいいのだが。



  



石原ひさし市議会議員候補
4月19日(日)12時
街頭演説 三鷹駅南口広場




先日、お願いした件で素早い対応をしていただいたので、お礼に第一声を聴きに行ってきた。やっぱり、若くて行動力があることが最優先だ。中村都議会議員がサポートしていた。

コミュニティーをつくる
関わっていく
問題意識をもつ
伝える手段
山中通りに事務所を構えた


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自分の力を信じて

2015年04月18日 23時22分11秒 | 日記

春風がやってくる

 


春、spring has come

なぜか口から自然と出てくる言葉。なぜかドキドキ感が。

中学校での英語の授業の興奮が頭の奥まで残っている。

高校時代はこの時期になると、「小諸なる古城のほとり・・・」。

http://www.geocities.jp/sybrma/292chikumagawaryojounouta.html 

都立小金井公園の芝生に寝転んで暗唱していたな。

小諸がどんなところかわからないで。

のんびりしていた時代だ。



余計なことを考えちゃダメよ 平常心



今日は勢い込んで三鷹の産業プラザまで自転車で行った。9時からというのでちょっとペダルとハンドルに力を込めて。心も弾ませて。「朝活に参加しない!」という声に誘われて。元々私は集団生活に馴染めない性格。人見知りをし、積極的に意見を言えない。だから出会いの瞬間が行動を決める。今日もドアを開け座ろうとしたら空気が違う。打ち合わせをしているからちょっと待ってと。席を外してもう一度入る。まだ続いている。やる気が失せた。黙って会場を後にした。自分で自分を慰め、朝活に行ったことだけでも良しとしようと。せっかくだから禅林寺、八幡大神社に寄ってきた。新緑が心をなごましてくれる。


   


 

NHKスペシャル 戦後70年 

ニッポンの肖像 日本人と象徴天皇「第1回」


 

日本の“戦後”がどう始まったのか。戦前は、国の統治者であり“神”とされた天皇は象徴とされた。新資料や証言を織り交ぜ、象徴天皇の誕生と国民の歩みを描く。

期待してみたが全く何も得られなかった。天皇を美化しているように思う。310万の人が亡くなり日本全土が焼け野原になり、4人に一人が亡くなった沖縄の地上戦も。


   


この番組の「戦後」という概念は、終戦から始まっている。終戦ではない、敗戦だ。70年も経つと言葉が誤魔化されてしまう。どうして日本は7年間も占領されたのか。どれだけ国民が苦しみもがいて復興をしたのかが欠けていて、天皇の存在が非軍事体制への切り替えを早めたと言っている。巡行が国民の唯一の安定点だったと述べている。敗戦宣言から生きてきた私にとってショックだ。覚えていることを書き残しておこう。自分が正直に生きるために。まっすぐ生きてきた証を。

 


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一生の問題 おもしを背負った子どもたち

2015年04月17日 23時41分51秒 | マツンのおもい

あらためて今、東北の子どもたちを

 

 

『あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである』というガンジーの言葉


 

NHKスペシャル「命と向きあう教室~被災地の15歳・1年の記録~」



震災のつらい体験を打ち明ける友に心を寄せ、涙ながらに作文をつづる同級生。宮城の中学校で行われた命の授業だ。前に進むためにともに命と向き合った15歳の1年の記録。



宮城県の鳴瀬未来中学校の3年生が授業で「命」と向き合った。これまで学校で、ほとんど触れてこなかった震災の記憶。それを毎月作文につづって発表し、感想を伝え合う。親しい人を亡くした悲しみを抱えて苦しんでいた生徒を心配した先生が、児童心理や教育学の専門家と相談して始めた。つらい気持ちを吐露する友に寄り添い、涙ながらに言葉を探す同級生。前に進むために、ともに命とは何かを考え続けた15歳の1年を見つめた。


 

また泣いた!無力な自分に!たたかう子どもたちを見て

1000人以上が津波の犠牲になった東松島市。心に刻まれた深い傷。触れなかった、触れられなかった。あの日から3年。月に一度の命の授業。どうしていいのかわからなくてここまできたが、避けては通れない、アプローチしなくてはいけない。

 

 

深夜だよ、13時半から14時半まで。食い入るように、テレビにかじりついた。テレビに集中することが少なくなった今、メモを取ることも惜しんで子どもたちのたたかう姿を見た。地震、津波、原発事故は終わっていない。子どもたちの声をしっかり受け止めよ!子どもたちは助けを求めるのは迷惑をかける。また、自分のことを知られたくない。そんなに簡単にはまとめられない。絞り出すように、一言でまとめると、「強くて弱くて美しい輝き」なんのために生きる。夢があるから。命がないとできない。母・姉を亡くしたゆうまくんは泣きながら作文を書いた。想いが伝わればいい、考えることで何かが変わることがあればと。両親を亡くし本音を出さなかったあみさん。頼りにすると、相手が困ってしまう、頼っている自分が嫌になる。夢に出てくる、一生懸命手を伸ばし、届くことがないのにそれでも続ける自分と本当の気持ちを語った。みんなに助けてといってもいいのではないかとゆうまくん。さりげなく助けてあげればいい。あみさんがつぎのようにまとめていた。作文なんか書く必要ないと思っていた、自分のことを知られたくない。でも、書くことによって自分を見つめ直すことができた。自分が知らない自分を知ることができた。


 

この授業を通して、津波だけでなく違う悩みを打ち明けるようになった。親に捨てられた、小さいころ両親が離婚した、生きている意味がない。

やっと本音を言うなかで共感が生まれ、感謝ということを知った。みんなは強い、乗り越えて今を生きている。きれいごとじゃ意味がない、他人事になってしまう。


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つねに生活者の目線で

2015年04月16日 23時50分42秒 | マツンのおもい

三鷹市長、三鷹市会議員選挙がもうすぐ始まる

 


何?三鷹市長選 告示直前、急きょ差し替え

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20150415/CK2015041502000128.html 

告示五日前、異例の候補差し替えとなった。三鷹市長選(十九日告示、二十六日投開票)に出馬表明していた新人で前副市長の河村孝氏(61)が、十三日に脳疾患を発症したため出馬を取りやめ、引退表明していた現職の清原慶子氏(63)が十四日、急きょ四選を目指し出馬を決めた。

 

三期12年勤めればもうたくさんだ。外部の人は、三鷹市は緑があり住みやすくいい街だという。私は、1978年(昭和52年)4月22に日三鷹市北野三丁目に引っ越してきた。閑静な住宅街で緑も豊富で新宿まで近く、芸能人・スポーツ選手にも人気のある土地だった。大沢に引っ越して6年目。宅地開発の拡大に驚くばかり。古い家や畑がなくなっている。そんなに必要なのかな。先日、鯉のぼりを探した。以前は農家の家に颯爽とおよぐ鯉のぼりがあった。どこに行ってしまったのか。日本美、三鷹美が喪失してしまう。

 

 

 

当時は長男を保育園に預け共稼ぎをしていた。新川保育園のストライキには参った。自分たちだけが労働者じゃないんだよと怒っていたのを思い出す。時代の先駆けみたいなことを外部に発信しているが実態はそんなもんじゃない。ネットワーク、教育の三鷹等々。すべて市長の責任とは言わないが、取り巻きが「ひらめ」ばかりだから。やっぱりそうさせた市長の責任か。

 

最近腑に落ちないというか三鷹市全体の弛みが見られるような気がする。一つは市民への窓口対応。本庁舎2階でガムを噛んで膨れっ面しながら対応。待ってくれよ!その場で怒ろうとしたが大人気ない。すぐ家に帰って抗議のメールを入れた。担当課長から謝罪の電話とメールがあったが。それで済む問題か。三鷹市の形骸化の一端だ。

 

 

教育センターに行ってがっくり。人見街道を横切っての第二庁舎。階段上がって二階。暗くて汚い。市民は相談事や悩みでセンターに来る。絶対窓口はあって欲しい。「ようこそ!」という一言と笑顔が必要だ。三鷹の教育と誇らしげに言っているが、市民レベルで見れば最悪。同じ目線ではなく上から目線での対応。一度足を運んでいただきたい。なかなか用事がないと入れない場所でもあるが。

 

 

 

三鷹は緑化対策に力を入れているというが現実はどうだろう。自然破壊を目にするたびに怒りを感じる。大沢1丁目の国分寺崖線が削り取られ宅地開発された。高射砲跡の並びだ。国や都の許可が下りたと言ってもなんとかならないのか。広島の土砂災害を思い出す。富士山ビューの隠れた穴場の「大沢みはらし児童遊園」からしっかり見られる。ルーテル学院大学でも再開発で桜等の伐採が計画されているという。


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