サミュエル・ウルマンの「青春」が大好き
心の持ち方をいう
初めて聞いた時の、ドキドキ感、ワクワク感はどこに行った!
昭和62年(1987年)11月8日(日)、カーラジオから流れてきたこの詩を知った。
以来。何があっても大事にしてきた詩である。私だけではない。色々な人が座右の銘にしている。私が尊敬している全私学新聞の背戸邦夫さん(故人)もそうだった。みんな熱い人。
ここ最近、自分らしくない日が続いてきた。自分が悪いのだ。
もう一度この詩を読んでみよう。
青春とは人生のある期間ではなく、
心の持ち方を云う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。
青春とは臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持を振り捨てる冒険心を意味する。
ときには20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない
理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情は失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。
60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、
驚異に惹かれる心、おさなごのような未知への探求心、
人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美・希望・喜び・勇気・力の
霊感をうける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ
悲嘆の氷に閉ざされるとき、
20歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、
80歳であろうと人は青春にして已む。
俺がこの詩を知ったのは41歳。働き盛り。バリバリ、そして突っ張っていた。嫌われようが何を言われようと真っ直ぐ進んだ。出る杭は打たれるのは当然。心の中にはいつも青春。60歳の時しみじみ思った。全く変わらない自分がいた。今、69歳。変わらない自分でいよう。
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こんにちは。
温かくていい天気ですね。
叔父さんの命日なので御墓参りにLEO君と来ています。
東小金井にある長昌寺です。
桜が咲き始めました。
また、垂れ桜、木蓮が綺麗です。
蒼空がよりきれいに魅せてくれます。
一年なんて時間はあっというまですが、その一刻一刻はもがき苦しむ事ばかりなんですね。みんな過去の塵となって消え去ります。
今日はいい写真が撮れました。leoくんをだましながら生き物に近づいていった。息をしているのを感じた。息づかいと言うのだろうか。亡くなった叔父さんが伝えてくれているのだろう。でも嬉しいのは今年初めてチューリップが開花した瞬間と出会えたところ。