輝ちゃんつれづれに 

最近はインスタ・LINE、スレッズを始めました。楽しかったこと、残しておきたいことを自分の言葉で書き込みます。

感性が鈍ったかな

2016年11月30日 23時38分47秒 | 日記

朝日新聞夕刊の谷川俊太郎の「(どこからか言葉が)小さな花」

読んだがピリッとこない。ということは、ナニも感じない俺の感性が鈍ったのか。詩は有名な詩人の名前が載っていると「いい詩だな」と俺は引きずり込まれる。谷川俊太郎さんの詩は好きなんだが・・・。紹介してみよう。

きみ 道端の草むらに/ぽつんと咲いている小さな花よ/我々ヒトの言葉で書かれた詩というものに/きみは関心がないだろうし/私は私できみの出自も名前も知らないのだが/私はきみに詩を贈りたい

だがヒトの言葉の有り余る語彙(ごい)で/私はきみを飾りたくない/きみを形容するには美しいの一語で足りる

いや本当はまったく足りない/黙ってきみを見つめているのが一番だが/それでは詩人の私の沽券に関わる

地球を私はきみと分かち合っている/きみと私のいのちの源はひとつ/だがこんなにも形が違い色も違う私たちだ

指できみの花弁にそっと触って/私は咲いているきみと別れて歩き出す/青空に雲がひとひら生まれかかっている

またまたLEO君と散歩の話

今日もいつものようにいつものコースを歩いてきた。おや?国立天文台の正門がきらびやかだ。信号を渡って行ってみよう。景色に色に重厚さがある。自宅から数分のところの絶好の紅葉があるとは。

http://www.nao.ac.jp/access/mitaka/ 

  

いつもと反対側の道を歩いてみた。景色がまったく違う。ものの見方は一方だけではダメだね。いろんな地点からの見方・考え方が必要だと散歩を通して感じた。

新元素名「ニホニウム」に…元素記号も決定

アジアからの提案で命名されるのは、近代科学史上で初の快挙

http://www.yomiuri.co.jp/science/20161130-OYT1T50081.html 

この記事は嬉しいね。もっと大きく知らせなければ。

 

 

 

 



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気力充実

2016年11月29日 23時45分55秒 | マツンのおもい

何を張り切っているの?

やっと手に入りました。

青春の門 第一部〜第六部 五木寛之 講談社文庫

 

第七部は重版が出来上がり次第連絡が来る予定。

先日、次のようなニュースを知った。

「青春の門」再始動 五木寛之さん、23年ぶり連載

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG30H8Q_S6A001C1000000/ 

五木さんはコメントで「青春は凄春である。遠く離れて眺めることで、より明瞭になる季節もあるのではないか。主人公の青春のエンディングには、果たしてどのようなドラマが待ち受けているのだろう。作者の胸も期待に膨らむばかりだ」と意欲を見せている。

親鸞を読んで感動した。五木さんの「新 青春の門」を読むためには第一部から読まなければ失礼だろう。と思って文教堂に予約していたがなかなか揃わなかった。真っ白な状態から第一部を開けて読み始めよう。

北風に向かって

俺とLEO君はできれば暖かい場所でぬくぬくしていたい。

ベッドの上で燦々と日を浴びながら川の字で寝るのは最高。今日もやった。

このままではまずい。ともに運動不足になる。

寒いけど散歩に出た。いつものミニ公園でUターンしようと思ったが、勇気をふりしぼり前へ進んだ。「行きはヨイヨイ帰りは辛い」道が待っているが・・・。

いつものように羽沢小学校の横を通り野川に出る。橋本橋で景色を眺める。鴨の泳いでいる姿が三角形で小さな波を立てて進んでくる。おおさわみはらし児童遊園で10月桜を見る。みはらしが無くなってしまった。記念に一枚撮るか。この辺から北風が強くなり冷えてきた。帰りが長い。冷えてくると腰がきつい。

おおさわはら児童遊園では子どもたちの遊ぶ声が聞こえる。

シーソーが空いていた。紅葉をバックに一枚撮ってみた。今日の散歩は寒かった。

 



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学びは継続

2016年11月28日 23時39分35秒 | 日記

情報化社会の学習はテレビ講座を中心に

100分de名著 道元“正法眼蔵” 第4回「すべての行為が修行である」

http://www.nhk.or.jp/meicho/ 

普通は悟りを得るための手段として修行をすると考えられているが、道元はそうは考えない。修行そのものの中に悟りがあり、悟りの中に修行があるとみる。この立場に立てば、行(歩き)・住(止まり)・坐(坐り)・臥(臥す)といった生活の一挙手一投足が修行となり、そのただ中にこそ悟りがあるという。第四回は「洗浄」「諸悪莫作」等の巻を通して、人のふるまいを何よりも重んじた道元の言葉から、人として生きるべき指針を学ぶ。

只管打坐 しかんだざ

喫茶去 きっさこ

洗浄 せんじょう

諸悪寞作 しょあくまくさ

四摂法 ししょうぼう(布施・愛語・利行・同事)

八大人覚 はちだいじんかく「少欲」「知足」「楽寂静」「勤精進」「不妄念」「修禅定」「修智慧」「不戯論」

http://members3.jcom.home.ne.jp/tenbou/1page/213oc.htm 

11月の放送は、「正法眼蔵」道元だった。あっという間に4回が過ぎた。

テキストの表紙に書いてあった、「生きることが修行である」「あるがままの世界に、自分を投げ入れよ」という意味が少し理解できてきた。

永平寺は友人の結婚式を利用して行ってきた。ただの田舎の中に自分が置かれ、お寺・永平寺街に飲み込まれてしまった感じがした。たんなる観光で終わってしまった。でも足を踏み入れた経験は大きい。「すべての行為が修行である」ということ振り返ってみて理解することができた。

今、「大乗の仏道」仏教の概要(東本願寺出版)を読みつつ、仏教学入門講座を受講している。なんとなく入り口に入ったようである。


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けっして忘れてはいけないこと

2016年11月27日 23時31分35秒 | マツンのおもい

「“ベガルタ”~サッカー、震災、そして希望~」

ドキュメンタリー映画

http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92409/2409224/index.html 

この春、英国で完成したドキュメンタリー映画。ディレクターは、東日本大震災後の東北で、復興への願いをサッカーに託す人々を記録した。Jリーグの「ベガルタ仙台」。J1残留さえ危ぶまれたチームは震災後、世間の予想を覆す快進撃を見せた。震災によって、地域があってのクラブだと気づいた選手たちと、チームの勝利こそが苦しい日々の支えとなった被災者たち。「故郷を取り戻すまで」と誓ったチームと地域の闘いを追った。

 

涙が出た。サッカーとはなんぞや。神ってる?

こんな強い気持ちを持ってサッカーに夢中になっていたんだ。

たったひとつのボールに何が?

ベガルタが復興のシンボルになるんだと。

私たちが忘れかけていたようなキーワード。

東北人魂。故郷。被災地のチーム。勇気づけている。復興。復興の使命。東北の力。希望のシンボル。恐怖を忘れさせるプレー・結果を。当たり前のようなことができるようになるのが復興ではないか。

外国人から見た映画で東北を気づかされた。

 


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ふと思うことば

2016年11月26日 23時20分48秒 | マツンのおもい

私が綴る、未来に伝える物語。わたしの遺産。

私も70という人生の区切りを迎えた。よく生き抜いたものだ。一つ書き残しておこう。これは自分にとっての再生でもある。小さい頃をほじくり出して400字でまとめてみた。誰かに校正してもらってからと思ったがやめた。自分の生きざまを忘れないためだけだ。

http://www.smtb.jp/personal/watashi-isan/about/ 

私の遺産

連合軍による占領

 生まれてから小学校に入るまでの7年間の占領経験。

 立川軍事飛行場が近く、五日市街道も拡張され軍事街道となった。空には輸送機が爆音を響かせ、道路は凸凹道をトラックやジープ、アメ車が我が物顔で走っている。子ども心に進駐軍にいつも見張られてる思いだった。

 怖かったのはジープでMPのマークをつけた兵隊。公園に来るとガキどもは我先にと兵隊を取り囲み、「ヘイ、ギブミーチョコレート、チューインガム」と行く。見せびらかせて兵隊が配る。嫌だったね、あの光景は。

 鉄条網の中は別世界。芝生があって白い家。兵隊の性欲が事件を起こした。無法地帯だった。パンパンガールの存在も嫌だった。でも結果としてGIベビーが誕生した。

 進駐軍が私たちの日常を圧迫した。力でもモノでも心でも。砂川事件もそうだ。今となって押し付け憲法だと改憲論者は言う。じゃあ、あの時あなたはなぜ闘わなかった。闘えなかったのが占領という事実だ。

傷むことば 日野原重明

http://digital.asahi.com/articles/DA3S12673939.html 

変えられないと思うものでも、自分を変えれば変わる

変えることのできるものと変えることのできないもの。それを冷静に見極めた上で、変えることのできるものは、勇気をもって変えてほしい

新しい出会いと学び

今日は10時から武蔵野プレイスでファシリテーター養成講座自主学習会。9名が参加。

    

新しい人との出会いは楽しい。考え方・発想の切り口の違いが勉強になった。また、それぞれの考えにもそった行動も参考になる。なにげない一言「うん、石巻に行ってきた」にその方の運動の深さを感じる。点と点の学びを糸で、光で、目で結びつけていかなくては。支えあうとは薄っぺらいところから始まる。





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