「就職列車にゆられて着いた 遠いあの夜を思い出す」
朝日新聞2015年4月26日 朝刊より <あのとき この言葉>集団就職
1964年、集団就職の情景を井沢八郎が歌った「あゝ上野駅」がヒットする。中学を出て、地方から働きに出てきた若者を指す「金の卵」が流行語だった。
50年代半ばに始まり、70年代半ばに姿を消すまで、東北や九州から臨時列車で若者が運ばれてきた。最盛期には年間8万人に達したとされる。上野駅は、春が来る度に、教師に引率された若者らでごったがえした。都市部への人口集中を加速させた半面、農村部には過疎化の種をまくことになった。
やがて、地方でも高校進学率が上がり、企業も機械を入れて人手を減らす合理化が進む。上野駅では、75年3月を最後に、集団就職列車は姿を消した。
1964年(昭和39年)は工業高校を卒業し仁丹テルモに勤めた年。東京オリンピックが開催され東京が燃えていた。金の卵ともてはやされたが学習意欲なある人は定時制に通学。挫折する人、高卒資格で転職する人。金の卵を確保しようと産学協同が通信制工業高校を考えた。偶然私もこの学校に勤務した。学習の二重負担軽減、高卒資格を得られることで人材を確保した。高校進学率が上がり、企業の合理化などで金の卵の時代は終焉した。私も、何度か上野駅まで迎えに行った。音痴の私に歌える歌は。「あゝ上野駅」。定番となってしまった。不易流行である。
ありきたりの日々1
今年初の夏日だった。30度を超えたところもあるという。
LEO君と散歩。
天文台通りも緑一色です。
その間にツツジが綺麗に咲いています。
スポットガーデンを横に見ながら坂を登ります。いつものように、大沢高台児童遊園で休憩します。ふじ棚が綺麗です。
今日は暑いので、今年初の半そで短パン姿です。
LEO君も、ふーふー言っています。
ありきたりの日々2
LEO君が一日1回は車に乗せろと言います。これだけ暑いとイトーヨーカドーの駐車場で待たせるわけにはいかない(以前、知らない人からこっぴどく怒られた経験から)。高瀬クリーニングに行くことに。受付のお姉さんには会いたいのだが、恥ずかしくタッチさえできません。受付の台でウロウロするのが好きなようです。
ありきたりの日々3
クイーンズISETAN武蔵境店で我慢が出来ずお店にクレーム。レジでのチェッカーというのか、品物をバーコードで読んで買物箱に入れ方がひどいこと。ただ放り込めばいいという物ではないでしょう。牛乳だろうが寿司であろうが重ねるだけ。どんな社員教育をしているのだろうか。こころを込めて笑顔で対応して欲しいものです。ちょっと文句を言ってしまった。
ありきたりの日々4
マイニチサンデー君は継続できることを考えて実行しないと。草むしりを最低30分はやらないと自分に課した。伸び放題は許してはいけない。腰が痛かろうが頑張らないと。やりました一時間。明日は燃えるゴミ。まだまだ敵は手強い。