何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

万の風がつれてくる「あの日」

2016-08-02 23:25:33 | 
「カメラとご意見番」からのつづき

「カメラとご意見番」で、「カメラマンと犬」(新井満)を今の私に打って付けと書いたが、それは私がワンコを想わない日がないことと、カメラの購入を考えていたからであって、内容は?というと、これが難しい。
スリリングな場面展開があるでなし、綺羅星の如く心を打つ言葉が散りばめられているわけでもなく、離婚によって何もかも失った中年カメラマンが残された犬ハナコと暮らす日常を淡々と描いているいるだけなので、読書備忘録に記すような名言はないのだが、その淡々とした筆致にむしろ味わいを感じるのかもしれない。

ただ、淡々と日常を綴っているからこそ目を引く、「あの日」がある。

主人公は、離婚で家も財産も身ぐるみ剥がされ、唯一の願いの「月に一度だけでも息子に会いたい」も却下されたうえに、会えない息子のために養育費と教育費は払い続けているという、中年カメラマン柊。
柊には、明確に「あの日」といえる「日」があった。
まだ全く無名だった頃に銀座のギャラリーで開いた写真展は、最終日にも人は集まらず閑古鳥が鳴いていた。
店じまいが早い最終日には、どしゃぶりの雨まで降ってきたのだが、この雨が、「あの日」を運んできたともいえる。
老人がギャラリーに入ったのは、もしかすると、雨宿りだったのかもしれない。
だが、ぼんやりとした表情で作品を見ていた老人の眼差しが、やがて真剣なものになり、主人公・柊に写真集の出版を持ちかけるのだ。
S出版社も経営する芸術全般に造詣が深い老人sの勧めに従い写真集を出版したが案の定、売れない。
出版社の赤字が相当に膨らんだ頃、誰もが予想もしなかったのだが、新人写真家の年間最優秀賞を受賞し、これを契機に写真集が売れ始め、その後のカメラマンとしての地位を築いていく、カメラマン柊。

柊にとって、「あの日」とは、どしゃぶりの雨の日、どしゃぶりの雨ゆえにSさんに出会えた日。

本書のもう一人の主人公である犬のハナコの「あの日」は、切ない。
ハナコと柊は、何についてもよく語り合う。
間違い電話から窺い知る男の不実から、自然食品にこだわった食事(エサではない)、人間よりも三年以上もはやく宇宙を飛んだライカ犬についてまで、何でも二人は語り合う。
二人は夢のなかでさえ語り合うのだが、今日二人とも死ぬという夢のなかで、ハナコは柊に「あの日」を語り、感謝する。
ハナコにとっての「あの日」は、柊に出会った「日」だった。

ペットショップに片隅におかれたケージのなかで、その日がくるのを覚悟して、うずくまっている犬がいた。
白くてきれいな犬を買うつもりの柊が、ふと目にした犬を見てペットショップの女主人に「この犬、不細工な顔してるねえ」と声をかける。
すると、女主人は『だから売れ残っちゃって・・・・・。明日が一歳の誕生日だっていうのに。この子ったら、かわいそうにねえ』 と言う。
「誕生日がきて、何故かわいそうなのか」と問う柊に、女主人は『生まれてから一年たっても売れない犬は、処分されることになっているんですよ』 と答える。
これを聞いた柊は、すぐさま白くてきれいな犬を止め、真っ黒けで不細工な犬を買うことを決意する、これがハナコだった。
ハナコは死を目前(夢のなかで)にして、その瞬間への感謝を伝える。
『あの時は、本当に嬉しかった。もし柊さんが来るのがあと一日遅かったら、私の命はなかったんです。
 あの日を境にして、私の世界は一変しました。
 生きることが、どんなに素敵なことなのか、痛いほど実感するようになりました。
 それは、みんな柊さんのおかげなのです。』

こんな場面を読むと、もういけない。
ワンコと私の、「あの日」を思い出して泣けてくる。
生後まだ一月で、耳も立ってないワンコが、まなじりに力をこめて(鼻水を垂らしながら・・・ごめんよ)「僕を選べ」と訴えた、「あの日」。
私にとっては、幸福な「あの日」だったが、ワンコにとってはどうだったのか?
人生において、「あの日」といえる「日」は数えるほどしかないと思うが、ワンコと出会えた「あの日」は間違いなく、私にとって最高の「あの日」だ。

淡々と過ぎる日々に突如訪れる「あの日」。
これからの人生で、「あの日」と云える瞬間が、あと何度あるかは分からないが、ワンコと出会えた「あの日」を大切にしながら、どの瞬間をも「あの日」にできるよう自分を磨きたいと思っている。

ところで、本書には、柊とハナコが亡くなった人を悼み、語り合う場面がある。
「亡くなった人は墓の中にいる」と言う柊に、ハナコは語る。
『あゆみさん(故人)はもう、お墓の中にはいません。
 あゆみさんは風になって、海辺の墓地の天上を吹きわたりながら、この光景を眺めているんです』と。

・・・・・思わず、最近流行りの例のものかと思ってしまったが、何のことはない、本家本元の作品だった。



「千の風になって」は、アメリカの詩『Do not stand at my grave and weep』を新井満氏が訳し、新井氏自身が曲をつけたもので、原詩の3行目 "I am a thousand winds that blow" を借りてタイトルがつけられたのだそうだ(by wikipedia)

ちなみに、週末ごとに家族の誰かがワンコ聖地をお参りしているが、ワンコは「あの日」から、「私の腹の上に乗って」寛いでいる。「星の宝物 ワンコ」

追記
本書には、読書備忘録に記した言葉がないと書いたが、一つ気になる言葉があったので、記録しておく。
新人写真家に送られる年間最優秀賞を受賞したときに、Sさんが柊に言った言葉。
『人のおだてには乗ってあげなさい。それが男の器量というものです。人のおだてに乗れないような奴は、男じゃない。おだてにはどんどん乗ってあげて、実力と才能をどんどん発揮して、せいぜいいい仕事をおやりなさい』

おだてられる事が、そもそも少ない私だが、人のおだてを胡散臭いと疑ってかかる癖があるから、私は器量なしなのだろうか。
どんどん乗るほどおだてられる事が、これからあるとも思えないが、その時にはおだての波に乗ってみようかと、おだてられる予定もないくせに考えている。

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