「毬を禍にも毒にもせぬように」 「花が選ぶ時 花を手折る時」より
私が、心の病に関心を持ち、本の中の「心の持ちよう」についての記述に注意して読むようになったのは、日本の皇太子妃殿下が長く心の病を患われているからだ。
2004年夏、適応障害と病名が発表された頃「聞いて、ヴァイオリンの詩」(千住真理子)を読んだ。「光は必ずや闇に勝つ」
天才子供ヴァイオリニストとして光のなかで活躍していた千住氏が、心を病みヴァイオリンから離れてしまう過程と、そこからの魂の再生が記された本は私に強烈な印象を残し、それ以後、本の中にある「心の持ちよう」についての記述に注意して読むようになったのだ。
最近読んだ「まるまるの毬」(西條奈加)には、お永(治兵衛にとっては娘であり、お君にとっては母である)が父と娘を大切に思うあまり自分の気持ちを言えず苦しんでいることに、治兵衛が気付く場面がある。
『丸くて白い団子のような、まあるい持ちでいて欲しいと、そう願ったのはおそらく俺だ。だからお永は毬を表に出すことができず、長いこと苦しんできたんだ』
『他人の気持ちに聡い娘だ。お永は己を殺し、父の願った理想の娘を演じ続けてきた。治兵衛には、そう思えてならなかった。だからお永は己の毬を、外ではなく内に纏うしかなかったのだ。その毬はただ己だけを苛んで、お永はたった一人で苦しむより他なかった。』
治兵衛のこの言葉を読んだとき、雅子妃殿下の心の病の原因の一つに自己実現の難しさがあるとする有名女性作家の「国民の思うところの皇太子妃像を演じて下さい」という言葉を思い出した。
その勧めに他意はなさそうだったが、移り気な国民がその時々に良しとする理想像とやらを追っていては、皇室も雅子妃殿下も守らねばならない根っ子そのものを失いかねない。
日本の独自性と世界のなかの日本という視点、歴史の重要性と未来への発展性という視点、その両方を兼ね備えた普遍的価値を有する理想像を国民が望んでおれば、雅子妃殿下は演じるのではなく、誠心誠意それを目指されただろうが、質より量をきらびやかに演じることが求められる風潮に、雅子妃殿下は馴染むことはできなかったのだと拝察している。
また「闇医者おゑん」(あさのあつこ)は、言葉には外に出すべきものがあるという。
『言葉には外に出すべきものと、内に秘めたままにしておくべきものと二通りがあるのだそうです。
秘めておくべきものを外に出せば禍となり、外に出すべきものを秘めておくと腐ります。』
『言葉には命がある。命あるものは生かされなければ腐り、腐れば毒を出すとね』
言葉に出せず、體の深くに疵を溜めこんでいく危険性は「鬼はもとより」(青山文平)にも書かれている。
『體の深くに、無数の(精神的)疵を溜めこんでいく。いまは顎の震え程度で済んでいるが、遠からず、その疵は別の形で、清明を壊すかもしれなかった。内なる疵が重なれば、體の強い者は心を壊し、心の強い者は體を壊す。そうなる前に、いまの席から清明を離れさせなければならない』
心の襞を細やかに描く作家二人が声をそろえて、心のうちを言葉にする重要性を説き、それが出来なければ毒や疵となり體を壊すことになると書いているのを読むと、雅子妃殿下の苦悩の深さに胸がふさがれる。
なかなか子供を授からない寂しさも、御懐妊に向けての治療の苦しさも、男子だけを要求される理不尽さも、雅子妃殿下が訴えられたことは、ない。
せっかく授かった第一子が、朝日新聞の早すぎる悪意のリークのせいで悲しい結果になってしまった時すら、その非道な報道に怒りをぶつけるのではなく、心配した国民に対して感謝の言葉を述べられた。
どれほどの悲しみと苦しみと怒りを内に溜め込んでおられたか、ほんの少しの想像力があれば分かったはずだが、それすらせず、たった一言「生活環境の変化への戸惑い」を述べられた、それを千代田あたりが強烈に批判しバッシングへ誘導し、雅子妃殿下の心を閉じ込めてしまったのだ。
その一言となる平成14年オーストラリア・ニュージーランドご訪問に際しての会見より
『(引用)今回公式の訪問としては8年ぶりということになりまして,ニュージーランドとオーストラリアを訪問させていただくことができることになり,大変うれしくまた楽しみにしております。中東の諸国を訪問いたしました折のことは今でもとても懐かしく本当にいい経験をさせていただいて,その時の思い出は今でも皇太子さまとよく話題にしたりしておりますけれども,その後8年間ということで,そのうち最近の2年間は私の妊娠そして出産,子育てということで最近の2年は過ぎておりますけれども,それ以前の6年間,正直を申しまして私にとりまして,結婚以前の生活では私の育ってくる過程,そしてまた結婚前の生活の上でも,外国に参りますことが,頻繁にございまして,そういった ことが私の生活の一部となっておりましたことから,6年間の間,外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は,正直申しまして私自身その状況に適応することになかなか大きな努力が要ったということがございます。』
これに対して「そんなに外国に行きたかったか」と言い放った輩もいたが、雅子妃殿下は結婚される29歳までの人生のうち半分以上を海外で生活されている。 幼稚園入園は(当時の)ソビエト連邦で小学校ご入学はアメリカだ。高校・大学もアメリカで学び、ハーバード大学はマグナクムラウドで卒業され、職業は外交官だったことを考えれば、物見遊山で海外に行きたがる方ではないことは容易に分かるはずだ。
そもそも、雅子妃殿下が御結婚を決意されたのは、皇太子様の『外交官として働くのも、皇室の一員になるのも、国のために働くという意味では同じではないですか』というお言葉によるものだと巷間言われてさえいる。
地球規模の感覚と能力を活かして国のために働こうとしていた一人の人間が、「男児を産む機械」とばかりに長期間一所に押し込められるという状況は、心身ともに難しいことであったと誰もが容易に想像できる。
それを、物見遊山な海外見物と同レベルに引き摺り下ろしバッシングのネタにされてしまった雅子妃殿下は、口だけでなく心も閉ざされたのだろう。
このちょうど一年後にストレスからくる帯状疱疹に罹り、そのまま適応障害の治療に入られ、今に至られている。
では、毒や疵になりそうな怒りや苦しさは、どうすれば良いのか?
最近読んだ東野圭吾氏の「人魚の眠る家」に、怒りの対処法について語られる場面がある。
「先生でも、人に怒りをぶつけることがあるのですか」と問う患者に、いつも穏やかな医師は答える。
『正確にいえば、怒りをぶつけたくなることがある、ですね。実際には、そういうことはしないほうがいいと思っています。重要なのは、人に怒りをぶつけるわけはいかないから、その選択肢は最初からないくしてしまうというのは、精神衛生上よくないということです。人間には逃げ道が必要です。いついかなる時でも』
「人魚の眠る家」が云うとおり、心の奥底にある本心を曝け出すという選択肢を、最初からなくしてしまうことが精神衛生上よくないのは確かだが、仮に、自分自身で心の奥底にあるものを語らずとも、それを察して、その感情を共有してくれる存在がいれば、どれほど心は救われるかということは、「まるまるの毬」が教えてくれる。
天真爛漫な娘お君は、胸に抱える「屈託」を一切語らずまあるく暮らす祖父と母を見て、二人の分まで怒り二人の分まで大泣きする。
『二人は決して泣きも怒りもいない。文句は一切腹の中に呑み込んで、黙って堪える性分だから』・・・その分泣くという娘お君の存在は、大きな「屈託」を抱える南星屋の希望の星となる。
本の中に答えを探しながら読んでいると、あの時から12年の年月を経て、雅子妃殿下がゆっくりではあるが確実に御回復の階段を登られているのは、皇太子様だけでなく敬宮様へも道が通じたからだと思われてくる。
「七年をみちびきたまふ我が君と語らひの時重ねつつ来ぬ」(平成七年歌会始の儀より)と詠われるほどに、雅子妃殿下は皇太子様を御信頼になり語り合われてこられたのだろうが、敬宮様が御立派に成長されるに従い、語り合いは更に広がられたことだろう。
幼いころから権謀術数の渦中で苦しまれる敬宮様には御自身の苦悩もおありだろうが、それだからこそ母の苦しみを身をもって理解されているにちがいない。その敬宮様が、皇太子様とご一緒に雅子妃殿下のお心を支えるまでに成長されたことが、雅子妃殿下の御回復の大きな力となっているように拝察されるのだ。
今、我が家のシンビジューム・シーサイドプリンセス雅子(昨年お歳暮に頂いたのものではなく)が満開を迎えている。
我家には温室がなく、日当たりは良いが冬場は寒い縁側に置いているからだと思うが、満開を迎えるのが通常よりはかなり、遅い。
かなり厳しい寒気にあたった方が良い花となる我家のプリンセスマサコは、寒い寒い冬をこえ、桜の時期を過ぎた頃に満開を迎える。
これからが皇太子御一家の春だと信じている。
皇太子御一家に温かな光が注がれれば、まわりまわって国民にも光が巡ってくることになるのだと思う。
私が、心の病に関心を持ち、本の中の「心の持ちよう」についての記述に注意して読むようになったのは、日本の皇太子妃殿下が長く心の病を患われているからだ。
2004年夏、適応障害と病名が発表された頃「聞いて、ヴァイオリンの詩」(千住真理子)を読んだ。「光は必ずや闇に勝つ」
天才子供ヴァイオリニストとして光のなかで活躍していた千住氏が、心を病みヴァイオリンから離れてしまう過程と、そこからの魂の再生が記された本は私に強烈な印象を残し、それ以後、本の中にある「心の持ちよう」についての記述に注意して読むようになったのだ。
最近読んだ「まるまるの毬」(西條奈加)には、お永(治兵衛にとっては娘であり、お君にとっては母である)が父と娘を大切に思うあまり自分の気持ちを言えず苦しんでいることに、治兵衛が気付く場面がある。
『丸くて白い団子のような、まあるい持ちでいて欲しいと、そう願ったのはおそらく俺だ。だからお永は毬を表に出すことができず、長いこと苦しんできたんだ』
『他人の気持ちに聡い娘だ。お永は己を殺し、父の願った理想の娘を演じ続けてきた。治兵衛には、そう思えてならなかった。だからお永は己の毬を、外ではなく内に纏うしかなかったのだ。その毬はただ己だけを苛んで、お永はたった一人で苦しむより他なかった。』
治兵衛のこの言葉を読んだとき、雅子妃殿下の心の病の原因の一つに自己実現の難しさがあるとする有名女性作家の「国民の思うところの皇太子妃像を演じて下さい」という言葉を思い出した。
その勧めに他意はなさそうだったが、移り気な国民がその時々に良しとする理想像とやらを追っていては、皇室も雅子妃殿下も守らねばならない根っ子そのものを失いかねない。
日本の独自性と世界のなかの日本という視点、歴史の重要性と未来への発展性という視点、その両方を兼ね備えた普遍的価値を有する理想像を国民が望んでおれば、雅子妃殿下は演じるのではなく、誠心誠意それを目指されただろうが、質より量をきらびやかに演じることが求められる風潮に、雅子妃殿下は馴染むことはできなかったのだと拝察している。
また「闇医者おゑん」(あさのあつこ)は、言葉には外に出すべきものがあるという。
『言葉には外に出すべきものと、内に秘めたままにしておくべきものと二通りがあるのだそうです。
秘めておくべきものを外に出せば禍となり、外に出すべきものを秘めておくと腐ります。』
『言葉には命がある。命あるものは生かされなければ腐り、腐れば毒を出すとね』
言葉に出せず、體の深くに疵を溜めこんでいく危険性は「鬼はもとより」(青山文平)にも書かれている。
『體の深くに、無数の(精神的)疵を溜めこんでいく。いまは顎の震え程度で済んでいるが、遠からず、その疵は別の形で、清明を壊すかもしれなかった。内なる疵が重なれば、體の強い者は心を壊し、心の強い者は體を壊す。そうなる前に、いまの席から清明を離れさせなければならない』
心の襞を細やかに描く作家二人が声をそろえて、心のうちを言葉にする重要性を説き、それが出来なければ毒や疵となり體を壊すことになると書いているのを読むと、雅子妃殿下の苦悩の深さに胸がふさがれる。
なかなか子供を授からない寂しさも、御懐妊に向けての治療の苦しさも、男子だけを要求される理不尽さも、雅子妃殿下が訴えられたことは、ない。
せっかく授かった第一子が、朝日新聞の早すぎる悪意のリークのせいで悲しい結果になってしまった時すら、その非道な報道に怒りをぶつけるのではなく、心配した国民に対して感謝の言葉を述べられた。
どれほどの悲しみと苦しみと怒りを内に溜め込んでおられたか、ほんの少しの想像力があれば分かったはずだが、それすらせず、たった一言「生活環境の変化への戸惑い」を述べられた、それを千代田あたりが強烈に批判しバッシングへ誘導し、雅子妃殿下の心を閉じ込めてしまったのだ。
その一言となる平成14年オーストラリア・ニュージーランドご訪問に際しての会見より
『(引用)今回公式の訪問としては8年ぶりということになりまして,ニュージーランドとオーストラリアを訪問させていただくことができることになり,大変うれしくまた楽しみにしております。中東の諸国を訪問いたしました折のことは今でもとても懐かしく本当にいい経験をさせていただいて,その時の思い出は今でも皇太子さまとよく話題にしたりしておりますけれども,その後8年間ということで,そのうち最近の2年間は私の妊娠そして出産,子育てということで最近の2年は過ぎておりますけれども,それ以前の6年間,正直を申しまして私にとりまして,結婚以前の生活では私の育ってくる過程,そしてまた結婚前の生活の上でも,外国に参りますことが,頻繁にございまして,そういった ことが私の生活の一部となっておりましたことから,6年間の間,外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は,正直申しまして私自身その状況に適応することになかなか大きな努力が要ったということがございます。』
これに対して「そんなに外国に行きたかったか」と言い放った輩もいたが、雅子妃殿下は結婚される29歳までの人生のうち半分以上を海外で生活されている。 幼稚園入園は(当時の)ソビエト連邦で小学校ご入学はアメリカだ。高校・大学もアメリカで学び、ハーバード大学はマグナクムラウドで卒業され、職業は外交官だったことを考えれば、物見遊山で海外に行きたがる方ではないことは容易に分かるはずだ。
そもそも、雅子妃殿下が御結婚を決意されたのは、皇太子様の『外交官として働くのも、皇室の一員になるのも、国のために働くという意味では同じではないですか』というお言葉によるものだと巷間言われてさえいる。
地球規模の感覚と能力を活かして国のために働こうとしていた一人の人間が、「男児を産む機械」とばかりに長期間一所に押し込められるという状況は、心身ともに難しいことであったと誰もが容易に想像できる。
それを、物見遊山な海外見物と同レベルに引き摺り下ろしバッシングのネタにされてしまった雅子妃殿下は、口だけでなく心も閉ざされたのだろう。
このちょうど一年後にストレスからくる帯状疱疹に罹り、そのまま適応障害の治療に入られ、今に至られている。
では、毒や疵になりそうな怒りや苦しさは、どうすれば良いのか?
最近読んだ東野圭吾氏の「人魚の眠る家」に、怒りの対処法について語られる場面がある。
「先生でも、人に怒りをぶつけることがあるのですか」と問う患者に、いつも穏やかな医師は答える。
『正確にいえば、怒りをぶつけたくなることがある、ですね。実際には、そういうことはしないほうがいいと思っています。重要なのは、人に怒りをぶつけるわけはいかないから、その選択肢は最初からないくしてしまうというのは、精神衛生上よくないということです。人間には逃げ道が必要です。いついかなる時でも』
「人魚の眠る家」が云うとおり、心の奥底にある本心を曝け出すという選択肢を、最初からなくしてしまうことが精神衛生上よくないのは確かだが、仮に、自分自身で心の奥底にあるものを語らずとも、それを察して、その感情を共有してくれる存在がいれば、どれほど心は救われるかということは、「まるまるの毬」が教えてくれる。
天真爛漫な娘お君は、胸に抱える「屈託」を一切語らずまあるく暮らす祖父と母を見て、二人の分まで怒り二人の分まで大泣きする。
『二人は決して泣きも怒りもいない。文句は一切腹の中に呑み込んで、黙って堪える性分だから』・・・その分泣くという娘お君の存在は、大きな「屈託」を抱える南星屋の希望の星となる。
本の中に答えを探しながら読んでいると、あの時から12年の年月を経て、雅子妃殿下がゆっくりではあるが確実に御回復の階段を登られているのは、皇太子様だけでなく敬宮様へも道が通じたからだと思われてくる。
「七年をみちびきたまふ我が君と語らひの時重ねつつ来ぬ」(平成七年歌会始の儀より)と詠われるほどに、雅子妃殿下は皇太子様を御信頼になり語り合われてこられたのだろうが、敬宮様が御立派に成長されるに従い、語り合いは更に広がられたことだろう。
幼いころから権謀術数の渦中で苦しまれる敬宮様には御自身の苦悩もおありだろうが、それだからこそ母の苦しみを身をもって理解されているにちがいない。その敬宮様が、皇太子様とご一緒に雅子妃殿下のお心を支えるまでに成長されたことが、雅子妃殿下の御回復の大きな力となっているように拝察されるのだ。
今、我が家のシンビジューム・シーサイドプリンセス雅子(昨年お歳暮に頂いたのものではなく)が満開を迎えている。
我家には温室がなく、日当たりは良いが冬場は寒い縁側に置いているからだと思うが、満開を迎えるのが通常よりはかなり、遅い。
かなり厳しい寒気にあたった方が良い花となる我家のプリンセスマサコは、寒い寒い冬をこえ、桜の時期を過ぎた頃に満開を迎える。
これからが皇太子御一家の春だと信じている。
皇太子御一家に温かな光が注がれれば、まわりまわって国民にも光が巡ってくることになるのだと思う。