郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

「不審者対応避難訓練」で感じたこと

2024年07月10日 | 日記
2001年に大阪の小学校でおきた出来事から、全国の学校で行われるようになった「不審者対応避難訓練」です。

しかし、最近、この種の避難訓練が、あたかも「今そこにある危機」のようにして、訓練するのは違和感があると思います。

警察の人を呼ぶのも一つの方法ですが…。
警察の方は「防犯」という職務から、児童に対しても、「不審者への注意喚起」をするのは、当然です。

だから、必要かそれ以上に、児童に対して「人を見たら不審者と思え!」的なものになっても、仕方ないと思います。



しかし、私は大阪のこの事件は「門がしまっていなかった」「不審者を想定していなかった」などという、ある意味でそんなレベルでの反省ではいけないと思うのです。

「元死刑囚T氏を生み出してしまった。」、という「社会全体の反省」が抜けていると思うのです。

そこが抜けているから、「人を見たら不審者と思え!」などという、短絡的かつ極端な指導が行われてしまうこともあると考えます。



正直、警察の方が児童に講話している場面は、あたかも
「この児童のなかに、将来不審者になる人物が必ずいる。」
という「断定」のもとで行われているとさえ、思いました。



それと「教師」として、警察の人の話を聞いていたら、
「あなた達教師が、将来の不審者予備軍をつくりだしている。」
とも、言われているようで、嫌でした(やはり、警察の人は原則、事件でもなければ、「学校」にはお越しにならないほうがいいと思いました)。



私の場合、あくまでも「学校」で関わっている「6歳以上13歳未満の児童」に対する責任はあるけど、それ以降の出来事についての「法的責任」は問われません。

「小学校のときの先生が悪かったから、大人になって犯罪を犯した。」といっても、小学校時の先生に法的な責任は及びません。

(しかし、「道義的」には、どうでしょう。私は関わった児童のその後に何かが起きても、そこから目を背けてはいけないと思っています。)



関わっている児童に、将来の犯罪者になってほしくないのは、どの教師も同じく思っていることです。
しかし、関わった児童が、その後、どうなるかの責任は、「社会全体」で考えるべきでだと思います。

そう考えると、少なくても元死刑囚T氏に刑を執行したのは、これでよかったのか、考えさせられます。


死刑には処されたが、今のこの状況を見たら、T氏は
「オレのしたことで、こんなに世の中がおかしくなったのか…。」
そう思っているのではないか…。


「人が人に優しくするのが当たり前の世の中」…事件が起きる前の当時、世の中がそんな方向に向かっていっていたら…。


理想論かもしれないけど、この事件をみんなで反省して、行動することが一番の「防犯」だと考えるのは、おかしいでしょうか?

「〇〇はそういう被害にあっていないから、そんな空論が言えるのだ。」

そうですね。でも、被害にあっていなくても、みんなを相互不審にさせるような話をするよりは前向きにいきたいですよね。




-K.O-

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