生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

奥に潜むものを表現する、とは?

2010年07月16日 16時54分35秒 | 美術/絵画
2010年7月16日-3
奥に潜むものを表現する、とは?

http://amanogallery.hp.infoseek.co.jp/newpage10.htm
によれば、
「大阪府立現代美術センターの移転計画が、延びそう」だとか。また、

gallerism2010 画廊の視点 9月13日(月)-25日(土)

というのが開催されるとのこと。

 また、画廊主が「アートフェアー京都の意味するもの」と題して書いている。
 「兵庫県立美術館の二つの展覧会」と題する文では、

  「文学が、言葉の奥に潜むものを表現することであれば、具象絵画は、モノの奥に潜むものを表現するものだとおもう。レンピッカにはそういう「奥」がない。」(http://amanogallery.hp.infoseek.co.jp/newpage87.htm)

と書いている。
 モノの奥に潜むもの、とは何なのだろう? それが実在する物ではなくて、人が対象物を見て自分の思いなど(構築体)を投影した、あるいはいわば付着させたものではないのか? あるいは物自体、つまり或る物体という乗り物に住んでいる魂(わが理論体系では、魂や火星人や雪男や座敷童といった怪しげに思えるものも実在物だと仮定する、あるいは登録する。むろん、物質として検出または同定できないが、未来では物質的同定ができるかもしれないし、いつまでもできないかもしれない。そのように扱うことで、領域の広い、かつ、客観的な議論が可能となる。現時点での、しかじかの理論にもとづくしかじかの検出装置で、同定された。あるいは検出されなかった、という主張が記録されるのである)のようなものを指しているのか? そうだとして、絵画的表現上では、どうなるのか?

美術館への要望/展望

2010年07月16日 11時45分51秒 | 美術/絵画
2010年7月16日-2
美術館への要望/展望

 昨日、星野画廊で入手したのは、

加須屋明子・神吉脩・橋爪節也・原田平作・吉村良夫(編).2010.5.29.『視覚の現場・四季の綻び』第五号.56pp.醍醐書房.[y500]。

 どの記事も2頁(挟み込んであった紙片の「定期購読のお願い」の文言によれば、編集方針である)。

素人学芸課長の美術館考/遠藤貢治
3D立体視覚と2D画像/岡本重温
 〔http://www1.odn.ne.jp/daigo-shobo/contents/sg/sg005.htmlから貼付けました〕
を読んだ。

遠藤貢治.2010.5.素人学芸課長の美術館考.視覚の現場・四季の綻び (5): 10-11.

から、抜き書き改変すると、

  1. 作者として、作品を発表する立場
  2. (作者または主催者として?)、美術館を発表場として使用する立場
  3. 教師として、美術教育を行なう立場
  4. (教育委員会の)指導主事として鑑賞教育の方向性

といった立場があるが、これらの「どの立場とも微妙に違う美術館の立場に困惑した」とある。
 上記に対応して、美術館側に対しての希望または要求は、

  1. 美術館学芸員は、もっと地元作家の発表を見て、評価をしてほしい。
  2. 使いやすく、自由に展示(表現)しやすい場所を提供してほしい。
  3. (鑑賞においては?、)文部省指導要領に添った(展示の?)内容にしてほしい。
  4. (県立美術館の場合、)教育機関と連携して、子供たちが美術好きになるような機関であってほしい。

と書いている。
 そして、予算削減に関連して、企画展を実行委員会方式にすることの損益を論じている。「人体の不思議展」は、「「美術展」ではないという理由で、名義主催も後援もしないが、会場は有料で提供する」ことで決着し、8万人超が入館したが、「素直には喜べない」と述べている。
 一般人(これは何だろう?)が見たいものと、教育的見地(これは何だろう?)あるいは発表者の立場からあるいは学芸員の立場から見せたいものとの差異と、金銭的収支の問題である。
 諸悪の根源は、政府財政と自治体財政の大きな借金・負債であるが、美術館は寄付を募るなどして、財政のやりくりに能力を発揮してほしい。
 そしてやりくり(management)の範囲内で、年に数回のうち、一回は学芸員主体の自由な企画、一回は地元作者中心に招待作家を加えた展示で現地批評を頻繁にするといった企画、というのをなんとかやるといったところだろうか。もう一回は、資金集めのための作品販売をしたらどうだろう(一部は美術館の収入とする)。購入した人を顕彰して、芳名(希望により匿名氏)をウェッブ上または美術館のどこかに出す。
 旭川市の旭山動物園の成功事例のように、(動物)物体の展示方法次第で客を呼ぶことができるかもしれない。しかしまた、物体自体に魅力あれば、客がくるだろう。ならば、面白い作品の開発作製、そして評価と宣伝が肝心。いずれも素敵に設計designすることが必要だ。

美術修行2010年7月15日(木)

2010年07月16日 01時05分45秒 | 美術/絵画
2010年7月16日-1
美術修行2010年7月15日(木)

■ Trouble in Paradise/生存のエシックス/京都国立近代美術館/850円。
 出品目録は無し。図録1600円。
 昨日CASOで知ったもの。先端的なものらしいので、予定になかったが、見た。

 幾人かの作者によるものだが、どこまでが、だれの何という表題のものか、境界がわからない。たとえば、切符を切る入口をすぐ入ったところに、宇宙庭、という展示があるが、右の壁のほうにも、一つの作品があり、それはその構成要素である。しかし、そのことは、近くの係員に訊いてはじめてわかった。というのは、それぞれの設置品に表題はないから、てっきりそれは、「蜂」プロジェクト、の構成要素だと思ったのである。表題の位置に近いし、むろん壁を隔てておらず、同じ部屋にある、「蜂」プロジェクトの一部だと思った。それは、蜂が蜜採集する、花の咲いている木だとおもったのである。
 しかしまた、どこまでが、「蜂」プロジェクトで、となりの、未来の家政学だか、わかりゃしない。未来の家政学も、表題が部屋の入り口だと思うが、訊けばそれだけではなかった。

 図録あるいは解説書は1600円。読みにくくて、ほとんど読む気にならない。たとえば、光・音・脳の頁は、濃い色の地に相対的にめちゃ読み取り困難な色で印刷されている。他も、活字の大きさと文章の配置とあいまって、とにかく読みづらい。2穴のバインダーでまとめているが、バインダーが大きすぎて、かさばり過ぎ。機能的感覚と美的感覚は、わたしの基準とは相容れない。

 未来の家政学の看板の外の展示物は面白い。しかしそれも、鑑賞者がしかるべき位置に立って、カメラに向かって、微笑んで?歯を見せるその程度によって、ブラインドみたいに開閉の程度が対応するということも、解説者?からいわれなきゃほからない。
 一枚の見取り図を作って、どこからどこまでが何の展示なのかを囲って一目でわかるようにするとかの案内図があるとよかっただろう。

 少し体験型のものは、一つ。三角形の板で作られた、角角した山。凹みになっている部分もあるから、靴と靴下を脱いで、居心地の良いところを探すという趣向らしい。(盲目のクライマー、とあるから、眼をつぶって登るのかな?)

 かなり体験型のものは、二つ。しかし、回転するらしい円盤上に乗って体験する展示物は、胡椒で機械の鼻が詰まったのか、火曜日に修理されるまでは動かない。残念。

 それにしても、だんだんと寒くなって、薄手のジャンパーを着た。何度の設定になっているのかと訊いたが、不明。作品の保護のためというのは、考えられるが、今回はコンピュータの保護か(多くのiMacが使われていた)。東京も新幹線車内も大阪も、車内や建物内は寒すぎる。二酸化炭素削減の政府家紋が見えぬのか~。
 光・音・脳を体験した。前頭葉の8カ所で赤外線で脳血流測定をする装置をつけて、CRスキャンの装置のようなトンネル型の装置のなかに、仰向けになる。実験データになること、赤外線は害が無いとされていること、いちでも実験を中止できること、などを同意した書類を書く。快い状態を前頭葉の血流測定で判定するらしいが、或る箇所に血流増加が見られれば、快いとしているのか、どのように判定しているのかは、係員は知らなかった。
 リラックスして、色彩が連続的に変化する天井を見つつ、ヘッドフォンで高周波生物の多いいわば雑音を聴く(最初と最後は、水がちょろちょろと流れるような自然な音)。急に橙にかわったときは、天井からのその色彩に包まれたというか、飲み込まれたような感じになった。青紫は快いなぁ。
 バイオフィードバック・システムとしての芸術体験だということだが、実感はできなかった。一つは、額につける測定装置をつけてくれる係員が香料粒子を少し発散させていたからかもしれない。結果を印刷したものをくれると良かったのだが。

 手打ち蕎麦の店で今度こそと思うも、前回と同じく、支度中。午後5時までは、15分。近くの画廊4軒を回った。少しすぎて入り、よか。京都新聞には、木村某が逮捕されたとか、IMFが消費税を15%にしろとか。日本政府は、IMFへの出資の1.8兆円と米国債を売り払うべし。それにしても、大手新聞で、アルゼンチンや韓国に対してIMFがやったことの詳細を報告し分析したところはあったのだろうか? むろん、国民がどんな生活を強いられたかについてである。債務不履行になったときにアルゼンチンにいた或る邦人の話では、アルゼンチン人は送金されることもできずに困って、その人に(何だったかを)頼んだとか(最近訊いたのに、これらについての記憶はすでに怪しい)。

 画廊でもらった、京都画廊案内新聞みたいなのを見ると、すでに日本画展をやっていた。17:35。京都文化博物館に電話すると、6時まで、入場も6時まで。最寄り駅は烏丸御池。間に合うか。外に出ると、にわか雨。少し躊躇してから、傘を取り出して、地下鉄へ急ぐ。蕎麦屋からは20mくらいだし。

■ 2010京都日本画家協会選抜展/京都文化博物館5階。
 17:56入場。退場したのは、18:03(thanks)だったので、見た時間は7分間。小綺麗という尺度では、数点ほどが少し良かった。一つだけやや大胆な構図のものはあったが、目新しいものは無し。迫力あるものも無し。。

■ 祇園祭にぶつかった
 この際、ついでに、まだ行ったことのない、なんだったか、明倫小学校を改造したところへ。雨の中。歩行者天国があった。iPhoneが示す京都芸術センターのあたりにたどり着くも、わからず。開いた門のなかに、大きなテントを張ったところに、机が並んで人がたくさん座っている。訊くと、そこが芸術センターだった。表示は門と右端のほうにあった。わからぬのも当然。祇園祭のため、三日間は休館。
 人混みのなかを逆戻り。大きな通り、烏丸通りに出た。ここも歩行者天国になっていて、左右に屋台が並ぶ。
 四条へ下ったあたりで、長刀鉾らしいのを撮影。祇園祭は予期せず、はじめて(ごく一部を)見た。


 雨はほとんど止んでいるが、地下へ。警官に訊けば、この地下道で河原町まで行けるとのこと。いつもは地上を歩いて、この地下道を歩いたことは無かった。
 高島屋美術画廊はガラス工芸。透明性の効果とは何か。