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《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

Bunge哲学辞典: もっともらしさ plausibility (1)

2010年07月29日 18時50分48秒 | 生命生物生活哲学
2010年7月29日-3
Bunge哲学辞典: もっともらしさ plausibility (1)
BungeDic2_plausibility

plausibility もっともらしさ (BungeDic2, pp.214-215)
 命題、信念、そして推論の質的な一性質。同義語↑【ほんとうらしさ verisimilitude】、いまだ照合されていないか、証拠が決定的〔確定的〕でない仮説は、或る知識体から見るともっともらしく思えるかもしれない。どうしてもっともらしいのか? テスト〔試験〕が実施されない限り、知るすべは無い。しかし、諸試験がいったん行なわれれば、そして決定的なものであれば、その仮説について、確証された(または反駁された)と言うのである。それで、少なくとも差し当たっては、それは真である(または偽である)と宣言されるかもしれない〔宣言されてもよろしい may be pronounced〕。すなわち、決定的な試験の後では、もっともらしさという概念はもはや必要では無い。そして、試験する前では、もっともらしさの程度に取り組み測定することはできない(あるいは、すべきでない)。この場合、われわれが言える最大のことは、問題としている推量〔conjencture〕は、或る知識体に関して、もっともらしいかもっともらしくないかである。あるいは、一つの仮説は、同じ文脈において、もう一つの仮説よりももっともらしいということである。より精確には、pとqは↑【同一指示的 coreferential】な命題を、そしてBはpとqの両方に関連する或る知識体を指すことにしよう。さらに、Bは、本質的な部分であるEと、非本質的な部分であるIに分割できると仮定しよう。つまり、B = E ∪ I。(典型的には、Bは良い実績をもつ一般化を含むだろうが、Iは経験的データと狭い仮説だけを含むだろう。)
次のように規定できる。〔p.214まで。あと二倍ほど続きます。〕


Bunge哲学辞典: (通俗的概念の)確率

2010年07月29日 11時20分32秒 | 生命生物生活哲学
2010年7月29日-2
Bunge哲学辞典: (通俗的概念の)確率

 メキシコ湾の海底油田での2010年4月20日の爆発事故による原油流出を止めようとして、2010年5月26日に開始された封じ込め作戦は、失敗した(とBPは、2010年5月29日に発表したらしい)。(最近の対策で、少なくとも一応は止まったらしい。)
 この、泥とセメントで栓をするというトップキル作戦の成功する見込み?の確率は60-70%だとBPが?言ったと、その前の朝日新聞の記事があったという記憶がある。しかし、失敗したわけである。その60-70%という数値は何だったのだろうか? 70%成功したというような結果はあり得ない。前とくらべて、3割の流出量に抑え込みましたという意味でもないだろう。そうではないとすれば、成功するかしないかのどちらかである。70%とは、いわゆる主観的確率なのか?

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-15573820100530
に、
  「BPのヘイワード最高経営責任者(CEO)は、油井に泥状の物質を流し込み、セメントで原油流出を封じ込める今回の作業について、深海での試みは初めてであり、成功率は60─70%としていた。」
とある。
 しかし、
http://jp.wsj.com/Business-Companies/node_64532
には、
  「BP幹部は、トップキルについて今回の事故地点ほどの深海で行〔な〕ったことはないが、成功の確率は60%あると述べている。しかし、オバマ政権当局者は悲観的で、10%の確率とみている。」
とある。

 確率って何だろう? 未来に或る事象が生起することについての主張の、何についての指標または表現なのだろうか。

確率、通俗的概念の probability, vulgar notion (BungeDic2, p.227)
 日常言語では、「たぶん probable」はしばしば「ありそうな likely」または「もっともらしい plausible」のどちらかと同一視される。どちらの同定も、正しくない。前者では、「たぶん」は量的な概念を指すのに対して、「ありそうな」は質的である。また、↑【もっともらしさ】を確率と同等に扱うことは、間違い〔誤解 mistaken〕である。なぜなら、一つの命題は、もっともらしくてもそうでなくても、命題に値段をつけることができないのと同様、一つの確率を当てがうことはできない。↑【確率の逆説】。

科学的知識の問いの正答は正しいか?

2010年07月29日 00時47分47秒 | 生命生物生活哲学
2010年7月29日-1
科学的知識の問いの正答は正しいか?

 基礎的な科学技術の知識を問う共通13問について、EU、合州国、そして日本それぞれの平均正答率を比較した図が、渡辺(2008: 116頁)に載っている。
 しかし、科学技術の関する問いは、科学技術の範囲を広く解釈しても、「放射能に汚染された牛乳は沸騰させれば安全である」と「抗生物質はバクテリア同様ウイルスも殺す」と「レーザーは音波を集中することで得られる」と「すべての放射能は人工的に作られたものである」であろう。他は、科学に関する問いだと思う。

 さて、いくつかの問いについて、わたしの見解は、おそらく不勉強のためであろうが、記されている正答とは異なる。

 「地球が太陽の周りを回っていますか、太陽が地球の周りを回っていますか」は、「地球が太陽の周りを」が正答とされている。しかし、運動は相対的で、観測点を地球にすれば、太陽が地球の周りを回っている。これは観測される事実である。それに対して、太陽にまで行って、太陽が地球の周りを回っていることを本当だと観測した人はだれもいないだろう。科学的主張はテストされ、確証confirmまたは反確証disconfirmされなければならない(理論を反証するfalsifyということはあり得ない)。確証されたこととは、「太陽が地球の周りを回っている」の方である。
 あるいは、どちらがより楕円軌道に合うかどうかで、どちらが中心かをきめるのであろうか。むろん楕円軌道とは、幾何学的述語を使用した仮説である。
 より静止している点から言うのであれば、銀河の中心に対しては、どちらがどうとも言えないのではないか?
 天王星の観測される軌道がニュートン力学からの予想とはずれて、それゆえ天王星の軌道の外側にまだ未知の惑星があると予測され、実際に海王星が発見されたことは、ニュートン力学の信憑性を高めたであろう。確かに、存在物を予測して当たったというのであれば、その理論を信じたくなる。これはなぜだろう? やはり、未知の存在物を言い当てたというのは、なぜだかわからないが、感心してしまう、評価せざるを得ないということによるのだろう。
 しかし、ニュートン力学は、どちらがどちらを中心として回っているかの判断基準を内含するものだろうか?
 なお、
クーン,トーマス. 1957.(常石敬一訳,1976)コペルニクス革命:科学思想史序説.382pp.紀伊國屋書店.
を見よ。

 「ごく初期の人類は恐竜と同時代に生きていた」を誤りとするのも、或る理論による推論であろう。だれも観測してはいないだろう。人類とは化石種(数属数種に分類されているが、果たして現生人類も含めて一種ではないと言えるのだろうか?)ではどこまでを指すのか不明だが、その誕生が数百万年前だとして、そのころに恐竜はいなかったと言えるのか? (たとえば小型化した生物体の)化石が出ていないだけではないか? そして、数百万年前の恐竜の化石が未来に発見されないとは言えない。むろん、或る理論から主張することはできるが。
 また、或る鳥類は恐竜の子孫であって、それゆえ鳥類とは実は恐竜であるという主張が成立するとすれば、おそらく、ごく初期の人類と恐竜は同時代に生きていたというのも、誤りとはできない。

 「大陸は何万年もかけて移動し続けており、これからも移動するだろう(正)」とある。「何万年もかけて」と書かれている意味がわからない。一年でも、大陸は移動し続けているだろう。ただし、「何万年もかけて移動し続けている」ことを観測した人はいないから、テストされて確証された主張ではない。あくまで、様々な、根拠とされる資料と整合的で、それゆえそこそこ確証された理論にもとづく推論である。「これからも移動するだろう」も、或る主張の外挿または未来投射であって、未来はわからないというのが、科学的態度というものだろう。移動には、行ったり来たりというのも含まれるのか? 数mmくらいの地点間距離は、大きな地震で変化することもある。これは移動というのか? 精確な文章の問いではない。

 「赤ちゃんが男の子になるか女の子になるかを決めるのは父親の遺伝子である(正)」とある。「決める」と「遺伝子」の意味がわからない。
 科学は現象の差異とそれをもたらすと思われる差異を対応づける。そして差異をもたらす物または事を原因だと言ったりする。しかし生物体においては、それ自身がシステムであるから、なにごともシステム的な反応の結果である。
 もし遺伝子をDNAと同一視するのならば、DNA自体は不活性な物質(の種類の一つ)であり、「決める」といった作用をするのはシステムであり、もっと特定すれば、DNAではなく、働くのはRNAや蛋白質などである。そして、RNAや蛋白質などを働かせるのは、結局システムだと言うほかない。
 一般に性決定の問題だと捉えれば、間性intersexを無視した性差別的な問題ともいえるかもしれない。そして、たとえばXYYという染色体になることを決めるのは、父親の遺伝子ではないだろう。

 「地球の中心部は非常に高温である(正)」も、地球の中心部の温度を実際に測定したことは無いと思うから、その主張は多くの仮定を重ねたうえでの推論である。この主張が正しいかどうかわからない、というのが正しいと思う。

 なお、「科学技術に関する意識調査- 2001年2~3月調査 -」という資料が、
http://www.nistep.go.jp/achiev/abs/jpn/rep072j/rep072aj.html
に、掲載されている。

[W]
渡辺政隆.2008.9.一粒の柿の種:サイエンスコミュニケーションの広がり.8+197頁.岩波書店.[y1800+] [OcL]