生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

Bunge哲学辞典: 科学/科学性/科学技術

2010年07月28日 17時11分28秒 | 生命生物生活哲学
2010年7月28日-2
Bunge哲学辞典: 科学/科学性/科学技術

 ものごとの議論は、或る語で指示される内容がどのようなものであるのかが、或る程度は相互に了解されていなければ混乱する。出発点としてでも、なんらかの定義が必要である。
 科学的営為についても、まず、科学とはなにか、を一定程度は明示しておく必要がある。ここでは、(様々な用法を検討して考えられたであろう)かなり明快に定義している、Mario Bunge氏による哲学辞典Philosophical Dictionary, Enlarged Edition (2003)を参照しよう。
 以下に、相互に関連する、「科学」、「科学性」、そして「科学技術」の試訳を掲げる。

science 科学 (BungeDic2, p.259)
 諸観念、自然、あるいは社会におけるパターン〔模様=物事のありさま。ようすや経過;様式;x類型〕の批判的探索または利用。或る科学は、_形式的formal_か_事実的factual_であり得る。構築体だけを指示する場合は形式的であり、事実の諸問題を指示する場合は事実的である。論理学と数学は、形式的科学である。つまりそれらは、概念、そして概念を組み合わせたものだけを扱う。したがって、推論における諸問題または助けの源としてを除けば、経験的手順またはデータには無用である。対照的に、物理学と歴史学、そしてそれらの間のすべての諸科学は、事実的である。つまりそれらは、光線とか商社とかの具体的な物についてのものである。したがってそれらは、計算といった概念的手順とともに、測定といった経験的手順を必要とする。事実的科学は、_自然的natural_(たとえば、↑【生物学】)、_社会的social_(たとえば、↑【経済学】)、そして_生物社会的biosocial_(たとえば、↑【心理学】)に、分割できる。実践性からは、科学は、↑【基礎的】または純粋的と、↑【応用的】に分割できる。なお、いずれも、↑【科学技術 technology】と間違えてはならない。


scientificity 科学性 (BungeDic2, p.262)
 科学的であること.『進化生物学は科学的である』や,『現在の進化心理学は科学的でない』のようにである.いくつかの科学性の規準〔criteria〕がある.或る事項(仮説,理論,方法とか)が科学的である必要条件は,それが概念的に精密〔precise [=exact]〕で,かつ経験的テストが可能なことである.この条件によって, 効用関数〔utility function〕を特定しなかったり,主観的確率評価に頼る,合理的選択モデルは失格となる.しかし,その条件は十分ではない.というのは,無からの物質の創造という仮説を満たすからである.これを失格とするのは,物理学の大部分,とりわけ一組の保存則と両立しないことである.次の基準はこれらの問題に答える.つまり,仮説や理論が科学的であるのは,(a) それが精密で,(b) 関係する科学的知識の大部分と両立可能で,かつ(c) 副次的仮説と経験的データを合わせれば,経験的にテスト可能な帰結を内含する〔entail〕場合である.↑【基本科学】.


technology 科学技術 (BungeDic2, pp.289-290)
 人工物の設計とプロセス、そして人間行為の規格化と計画づくりに関わる知識の分野。伝統的科学技術(あるいは技功〔技術学〕technics、または職人性〔技能性、熟練性〕craftsmanship〔原著ではcraftmanship〕)は、主に経験的であり、よってときには無効であったし、またある時には非効率的かあるいはもっと悪かったし、そして試行錯誤によってのみ完成することができた。近代の科学技術は、科学にもとづいている。よって、研究の助けによって完成することが可能である。主な種類:物理学的(たとえば、電子工学)、化学的(たとえば、工業化学)、生物学的(たとえば、農学〔agronomy〕)、生物社会学的(たとえば、規範的疫学)、社会学的(たとえば、経営科学)、認識的(たとえば、↑【人工知能】)、そして哲学的(↑【倫理学】、↑【方法論】、↑【政治哲学】、↑【実践学〔praxiology〕】)。科学技術は、応用科学と混同されてはならない。応用科学は実際には、基本↑【科学】と↑【科学技術】との間の橋である。なぜならそれは、実践的潜在性をもつ新しい知識を捜し求めるからである。科学技術者は、機械や産業的または社会的プロセスといった人工物を設計し、修理し、あるいは維持することが期待される。またかれらは、顧客や雇い主のために働くことが期待される。また、顧客や雇い主は、さらなる経済的または政治的利益に対して、科学技術者の専門的技術を得ようとするのである。(内部告発者は少なく、また、たやすく使い捨て可能である。)これが、なぜ科学技術が、善、悪、あるいは相反〔両面〕価値的であり得るかの理由である。↑【科学技術倫理学 technoethics】。

 マーナ・ブーンゲ『生物哲学の基礎』での言及については、
  技巧 technics は、245頁、
  技術 technique は、96, 129頁、
  科学技術technology は、244頁からの5.5.4節 応用科学と科学技術、
を見よ。

 なお、技術 techniqueは(一般的に対しての)特異的方法であるが、技術が科学的であるための条件とは、
  a. 間主観性条件
  b. 試験〔テスト〕可能性条件〔試験testとは、経験に照らして試すことである〕
  c. 正当化条件
である(マーナ・ブーンゲ『生物哲学の基礎』96頁を見よ)。

科学についての基礎能力〔読み書き能力〕science literacy

2010年07月28日 13時00分48秒 | 生命生物生活哲学
2010年7月28日-1
科学についての基礎能力〔読み書き能力〕science literacy

 おそらく現在も、科学交達science communication論の教科書として使われているではないかと思う、『科学コミュニケーション論』を読み進めている。

 89頁の註で、理論篇である第II部の第4章「科学コミュニケーション」では、

  <科学リテラシー science literacy、
   科学的リテラシー scientific literacy、
   技術リテラシー technology literacy、
   技術的リテラシー technological literacy、
   科学技術リテラシー、
   サイエンスリテラシー、
などを厳密に使い分けすることはせず、基本的に科学技術リテラシーという表記に統一した。>

 〔<>は、その内部の記号配列が改変的に引用されたことを示す。ここでは見やすいように、改行して一単語とその英語に一行分を割り当てたり、句読点を変換(・→、;.→。)したりした。
  なお、わたしの原則的な使い方は、自分が要約した文章による引用である。それな対して、「」の場合は、忠実な引用である。〕

とある。まずは影響範囲の広いと思われる使い方を列挙して、できるだけ体系的な理論を構築しつつ、少なくとも概念分析をきちんと行なって用語を整理し、適切な訳語を提案してほしい。一つ言えば、technologyは技術ではなく、科学技術にもとづいた技術という意味で科学技術と訳したい。science and technologyならば、科学と科学技術である。また、工学 engineeringとの関係を明きらかにすべきところである。
 第1章と第2章は、英国と欧米での当該問題についての歴史的概観である。歴史を書くことは、様々な出来事eventまたは事象event(この本ではイヴェント〔要引用頁、23頁ではイベント。他に、テクノロジーアセスメント。〕とカタカナ書きがあったが、そこは行事としたらよい。固有名詞以外はカタカナ書きをしないという心意気でやってもらいたい。アウトリーチ、)からなんらかの観点から選び出し、そしてそれらを関係づけるわけである。したがってどのような観点を立てるかでその内容は変わる(系統推定あるいは系統再構築なるものも同様)。
 科学交達が言われるようになった大きな契機は、英国での牛海綿状脳症 BSE: Bovine Spongiform Encephalopathy をめぐる事件である(8頁)らしい。

  「政府や政治家がBSEの人間への感染を否定する際に根拠としたのは,専門家の報告であった.……専門家委員会は,1989年2月,政府に報告書を提出し,人間へのBSE感染の危険性はきわめて少ないと結論づけた23).
 専門家委員会の報告は,当時の限られた知識をもとにくだされた判断であったが,行政関係者や政治家はこうした制約を無視して牛肉の安全性をアピールする為に報告を使い続けた.」(8頁)。

 はてな? 「人間へのBSE感染の危険性はきわめて少ないと結論づけた」のであれば、その結論を出した専門家委員会は4人の科学者から成るわけであり、「市民は、政府や政府機関ではたらく科学者に対して強い不信感をもつようになった」(9頁)のは、当然である。

  「報告は,さらなる研究が不可欠だと述べ,BSEが人の健康に何らかの影響を与えることはほとんどないとしつつも,こうした評価が誤っていれば結果はたいへん深刻なものになるであろうと警告した.」(8-9頁)。

というのが、理解できない。これらの記述内容と、「人間へのBSE感染の危険性はきわめて少ないと結論づけた」ことが矛盾するように思われる。専門家委員会がこのような主張をした根拠(とその評価)が問題であって、そこを詳説して解明すべきである。ここでは歴史なので、そこでは避けたというのならば、他のどこかで事例研究的に解明されているのだろうか。

 (脱線。或る統計的モデルを立てて、それにもとづいて、Aであることは確率xである、という結論が出たとする。しかし、Aではないであることの確率は1-xではなかろう。決定的な結論が出ないときは要するに、「どちらとも言えない」が結論であるべきである。
 そして予防原則を採用する場合は、或る対策を取った場合の不利益や不便を明記して判断に供するべきである。)

 そこで、BSEの索引を見ると、8, 50, 93, 118, 252, 253, 268の頁である。これらの頁においては、議論はされていない。小林傳司『トランス・サイエンスの時代』に詳説されているのだろうか?


=== 以降での話題となるかもしれないための覚書

コンピテンスcompetenceとは、
 意思決定能力
 行動能力
らしいので、


 紹介があるのを辿ると、わかったこと。

http://www.project2061.org/publications/sfaa/sfaajapanese.htm
のウェッブ頁の「To download the Japanese translation of Science for All Americans, click here」のclick hereのところをボタン押しすると、240頁からなる「すべてのアメリカ人のための科学」と題した「Science for All Americans」(1989)の日本語訳(2005)のpdfが入手できる。


例題:
 一汁十菜または一汁一菜
 例:日の丸弁当と味噌汁
  [ただし、味噌汁を台所で廃棄すると、浄水への負荷は大きいらしい。単位はたとえば味噌汁1 ml当たりのBOD要求量。ただしこれも一側面の指標である。]

[F]
藤垣裕子・廣野喜幸.2008.10.科学コミュニケーション論.xv+284[+1=執筆者および分担者一覧]頁.東京大学出版会.[y3000+] [OcL]

[K]
小林傳司.2007.7.トランス・サイエンスの時代:科学技術と社会をつなぐ.NTT出版.[y]