生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

美術館への要望/展望

2010年07月16日 11時45分51秒 | 美術/絵画
2010年7月16日-2
美術館への要望/展望

 昨日、星野画廊で入手したのは、

加須屋明子・神吉脩・橋爪節也・原田平作・吉村良夫(編).2010.5.29.『視覚の現場・四季の綻び』第五号.56pp.醍醐書房.[y500]。

 どの記事も2頁(挟み込んであった紙片の「定期購読のお願い」の文言によれば、編集方針である)。

素人学芸課長の美術館考/遠藤貢治
3D立体視覚と2D画像/岡本重温
 〔http://www1.odn.ne.jp/daigo-shobo/contents/sg/sg005.htmlから貼付けました〕
を読んだ。

遠藤貢治.2010.5.素人学芸課長の美術館考.視覚の現場・四季の綻び (5): 10-11.

から、抜き書き改変すると、

  1. 作者として、作品を発表する立場
  2. (作者または主催者として?)、美術館を発表場として使用する立場
  3. 教師として、美術教育を行なう立場
  4. (教育委員会の)指導主事として鑑賞教育の方向性

といった立場があるが、これらの「どの立場とも微妙に違う美術館の立場に困惑した」とある。
 上記に対応して、美術館側に対しての希望または要求は、

  1. 美術館学芸員は、もっと地元作家の発表を見て、評価をしてほしい。
  2. 使いやすく、自由に展示(表現)しやすい場所を提供してほしい。
  3. (鑑賞においては?、)文部省指導要領に添った(展示の?)内容にしてほしい。
  4. (県立美術館の場合、)教育機関と連携して、子供たちが美術好きになるような機関であってほしい。

と書いている。
 そして、予算削減に関連して、企画展を実行委員会方式にすることの損益を論じている。「人体の不思議展」は、「「美術展」ではないという理由で、名義主催も後援もしないが、会場は有料で提供する」ことで決着し、8万人超が入館したが、「素直には喜べない」と述べている。
 一般人(これは何だろう?)が見たいものと、教育的見地(これは何だろう?)あるいは発表者の立場からあるいは学芸員の立場から見せたいものとの差異と、金銭的収支の問題である。
 諸悪の根源は、政府財政と自治体財政の大きな借金・負債であるが、美術館は寄付を募るなどして、財政のやりくりに能力を発揮してほしい。
 そしてやりくり(management)の範囲内で、年に数回のうち、一回は学芸員主体の自由な企画、一回は地元作者中心に招待作家を加えた展示で現地批評を頻繁にするといった企画、というのをなんとかやるといったところだろうか。もう一回は、資金集めのための作品販売をしたらどうだろう(一部は美術館の収入とする)。購入した人を顕彰して、芳名(希望により匿名氏)をウェッブ上または美術館のどこかに出す。
 旭川市の旭山動物園の成功事例のように、(動物)物体の展示方法次第で客を呼ぶことができるかもしれない。しかしまた、物体自体に魅力あれば、客がくるだろう。ならば、面白い作品の開発作製、そして評価と宣伝が肝心。いずれも素敵に設計designすることが必要だ。