検証・電力システムに関する改革方針

「自然エネルギーですべての電力をまかなう町」の第2部です。

国民投票で原発の稼動を認めなかった国  小説164

2012年11月28日 | 第2部-小説
  将太は福島第一原発が水素爆発を起し、放射能を広く大気に放出したとき、オーストリアがいまから34年も前の1978年11月、完成した原発1号機の稼動開始の可否を問う国民投票を実施したこと。稼動「反対」が50,47%の過半数を獲得して政府はこれに従い、稼動を見送って以来、原発に頼らないエネルギーで電力をまかなっているのを知った。

 この時はオーストリアはスイスと並んで世界に認められている永世中立の国であることも知ったが非核オーストリア法まで制定しているとは知らなかった。
 原発を推進した政府与党は巻き返しをしたという。しかし国民が稼動反対の多数を占めたその翌年、アメリカ・スリーマイル島原発事故が起こり、それから7年後の1986年4月26日、ウクライナ共和国にあったロシアのチェルノブイリ原子力発電所で大爆発事故が発生した。

 あの時、日本政府は大騒ぎをした。航空機を飛ばして大気のチリを採取して放射性物質が微量ながら検出されたことを大々的に公表した。メディアは反ロシア(当時はソ連)と結んだ論評と共に、日本の原発は安全基準と安全審査が格段に厳重だからロシアのような事故は起きないと安全神話を展開。原子力発電所の新規増設を展開した。
 2011年3月11日の東北大地震と福島第一原子力発電所の水素爆発。日本政府は、原子力発電所が爆発しても時の幹事長は「直ちに健康に影響はおよばない」の談話を繰り返し発表して放射能汚染はないかのようにふるまった。その結果、制限を超える被曝者が出た。

 それから1年8カ月たつ。半径20kmの人は帰るメドはない。農作物の出荷制限は青森、長野、静岡にも及んでいる。
 原発稼動をきっぱり断ち、原発に頼らない発電をめざし、その中心に再生可能エネルギーを据えてがんばってきたオーストリア。その国に来たのだと思うと将太は脱原発のためにもトコトン、見聞しようと思った。今夜から向うギュッシングが楽しみだった。山崎は、今夜の夕食はギュッシング町のレストランを予定しているといった。