将太と公平は森林組合の棚橋組合長に貝田(占部林業)の紹介でこれまでに2度会い、林業の現状を教えてもらってきた。その棚橋が静かに話し始めた。
わたしは林業がどうなっているのか。みなさんに知っていただきたいと思って立ちました。占部町は山の恵みを受けて栄えてきた町です。ですから人々は稼ぎを山に注いで子孫代々の繁栄を願い、山と共に生きてきました。
その結果、山に立派なスギやヒノキが育っています。下草刈りや枝打ち、間伐の手入れをしてきたからですが知っていただきたいのはその一つひとつにお金がかかっているということです。
昭和30年、40年代の頃は自伐といって、自分の山は自分で手入れをしていました。枝打ちした枝は薪として売れました。だが今、薪の需要はなくなり、木材価格は最盛期の半分以下の価格です。高齢化がすすみ、自分で山を手入れする人はいなくなりました。今、山の手入れは森林組合の組合員さんからの委託を受けて組合で計画的に行っています。ですから占部町の山は比較的きれいです。しかしそれでも最近、荒れた山が目だってきました。
原因はいろいろあるかと思いますが手をかけるということはお金を使うということ。しかしお金をつぎ込んで将来、戻ってくるのか。その見通しがまったくない。ドブに金を捨てるようなものといったら言い過ぎかもわかりませんが山にお金を注ぐ意欲が起こらない。林業は国土保全の立場から国の監督・管理下に置かれ、市町村は窓口業務が少しあるだけ。それについてわたしたちは問題と思ってこなかった。
国から補助金・助成金をいただくそれで喜んでいたと思います。だが林業経営はますます経営が成り立たなくなっている。どこに問題があったのか。時代の変化といわれるとだれも否定できないが私たちは困っている。
少しでも現状を変える方法があれば教えて欲しい。林業をやる青年が現れ、この占部町で家庭を築く人が現れる。その希望がかなう道があるか。胸の内の構想でも結構です。今、考えておられることを
お聞きかせいただけますか。
わたしは林業がどうなっているのか。みなさんに知っていただきたいと思って立ちました。占部町は山の恵みを受けて栄えてきた町です。ですから人々は稼ぎを山に注いで子孫代々の繁栄を願い、山と共に生きてきました。
その結果、山に立派なスギやヒノキが育っています。下草刈りや枝打ち、間伐の手入れをしてきたからですが知っていただきたいのはその一つひとつにお金がかかっているということです。
昭和30年、40年代の頃は自伐といって、自分の山は自分で手入れをしていました。枝打ちした枝は薪として売れました。だが今、薪の需要はなくなり、木材価格は最盛期の半分以下の価格です。高齢化がすすみ、自分で山を手入れする人はいなくなりました。今、山の手入れは森林組合の組合員さんからの委託を受けて組合で計画的に行っています。ですから占部町の山は比較的きれいです。しかしそれでも最近、荒れた山が目だってきました。
原因はいろいろあるかと思いますが手をかけるということはお金を使うということ。しかしお金をつぎ込んで将来、戻ってくるのか。その見通しがまったくない。ドブに金を捨てるようなものといったら言い過ぎかもわかりませんが山にお金を注ぐ意欲が起こらない。林業は国土保全の立場から国の監督・管理下に置かれ、市町村は窓口業務が少しあるだけ。それについてわたしたちは問題と思ってこなかった。
国から補助金・助成金をいただくそれで喜んでいたと思います。だが林業経営はますます経営が成り立たなくなっている。どこに問題があったのか。時代の変化といわれるとだれも否定できないが私たちは困っている。
少しでも現状を変える方法があれば教えて欲しい。林業をやる青年が現れ、この占部町で家庭を築く人が現れる。その希望がかなう道があるか。胸の内の構想でも結構です。今、考えておられることを
お聞きかせいただけますか。