検証・電力システムに関する改革方針

「自然エネルギーですべての電力をまかなう町」の第2部です。

帰宅・復興できない原発事故

2013年10月04日 | 栄村の今
  栄村と山古志の復興住宅を紹介しながら7月28日、福島・富岡町を訪ねたことが忘れられませんでした。栄村も山古志も地震で大変な被害を受けました。中でも新潟山古志は全村民に避難指示が出されました。道路がズタズタになったため避難はヘリコプターでした。全員が村に戻るのに2年余りかかりました。避難生活は大変だったといいます。それでも希望がありました。     しかし福島第一原発事故で高放射線汚染され、半径20kmの警戒区域に指定された地域住民に復興の希望はありません。
 その中で、放射線量が低い区域は避難指示解除準備区域、帰宅困難区域、居住制限区域に区域分けがすすみました。富岡町の多くが避難指示解除準備区域になり、車の通行が可能になりました。(地図は福島県HPより)
 警戒区域を福島第一原発から半径20kmの線引きは、科学的ではありません。線量に応じて線引きを見直ししたのは当然です。     とみおか駅(上の写真)に行きました。空間線量は0.67マイクロシーベルトでした。線路レールは津波で流されてなくなり、軌道は雑草に覆われ、駅舎は津波で壊れたままでした。ホームの彼方に海があります。人は住んでいません。   車で走っていると背丈ほどの草に覆われた家が目につきます。田畑に雑草が生い茂り、その中に家があります。多くの家が泥棒被害にあったといいます。
 なんでこんな災害に遭った人たちの家を襲うのか。憤りの気持ちがわく中、原発事故は台風や地震、津波災害とはまったく違うことを肌で知りました。

 原発は耐震性など安全基準を強化すればいいというものではありません。稼動すれば高濃度放射性廃棄物は増えます。その処分に20万年もかかる。最終処分地も決まらない。ひとたびメルトダウンすると止めることができない。福島原発は太平洋に面していたので放射能の大部分は太平洋に拡散しましたがこれが冬季、日本海側の原発であったら放射能は北風、西風に乗ってたちまち日本列島を縦断、横断します。

 匂いも色も痛みもない。空気に混じった空気と同じように振舞う放射能。「絶対安全」と言い切ることができない原子力発電はこのまま廃炉にして、ドイツのように再生可能エネルギーに切り替える。そうしたエネルギー政策に日本もチェンジさせなければいけない。
 その思いを新たにして、来週より「検証・電力システムに関する改革方針」を再開します。



山古志の復興住宅

2013年10月03日 | 栄村の今
 道路はきれいに整備され、がけ崩れ、土石流で崩落した斜面の傷跡はなく、美しい風景が広がっていました。集落のあちこちに養鯉池・イケスが点在していました。闘牛も復活し、定期的に開催していました。

 集落の食堂に入りました。「ここの店は美味しいんだ」といいながら5、6人が入ってきました。てんぷら定食を頼んだ人のテーブルに運ばれた天ぷらの盛りに驚きました。10点はあろうかと思う天ぷらが山盛り。注文した人も「えっ」と驚きの声をあげる量。その天ぷら単品で頼むと500円。

 私は山古志牛の牛丼(700円)を注文。山古志米と山古志牛、食べると牛の味が濃厚。全国チェーンの牛丼店とは雲泥の違いでした。店は比較的、最近できた様子で経営しているのはどうも主婦グループのように思いました。(店の人たちは忙しくしていたので聞くことも遠慮した)
 下の住宅が山古志で出会った「中山間地型復興住宅」と呼ばれる「復興住宅」。つぎのような理念のものに建設されました。 
 集落毎に分散整備した災害公営住宅
1) 山古志らしい住まい:地域の伝統的民家「中門造り」の特徴である腰の高い下見板張り・深い軒・妻面の木組の意匠を継承した外観デザイン、冬は吹抜けを通して高窓から光を取り入れる明るい住まい、夏は風通しの良い住まい
2) 雪と上手に付き合う住まい:豪雪(積雪3 m)に対応できる自然落雪屋根、雪を南に落とさない南北軸の切妻屋根、十分な軒高・軒の出の確保
3) 地域循環型の住まい:土台を除く全ての構造材・造作材・羽柄材・合板に地元の越後杉一等材を活用、地域の大工技術の活用
4) コスト負担を軽減する住まい:材料・設備の共通化・共同購入、地域の住宅生産者・建材メーカーの協力、内装未完成による建設費の低減(早く安く住宅を建て、住みながら仕上げ・住戸内増築)
5) 安全で快適に長く住み続けられる住まい:高断熱、高耐震、高耐久、維持管理への配慮、バリアフリー

 建てられたのはモデル住宅2 戸、自立再建住宅19戸、公営住宅36 戸の計57戸。写真の住宅は1棟2戸住宅。
 東北大震災で大きな被害を受けた人たち。福島県だけでも15万人を超える人がいまだに避難生活を強いられています。栄村と山古志のような家。さらに住む人の希望に沿った家が建てられる。そうなって欲しいと願います。

 それにしても9月26日の朝日記事、経済産業省の官僚(51歳)がブログで「復興は不要、もともと過疎」を繰り返し発信していたのには唖然としました。
 以下ブログ書き込みの要点

「もともと、ほぼ滅んでいた東北のリアス式の過疎地で定年どころか、年金支給年齢をとつくに超えたじじいとばあばぁが・・・・(中略)・・・・。復興は不要だと正論を言わない政治家は死ねばいいのにと思う」

 これは「棄民」です。中央官庁の官僚がこんな発言を執拗に繰り返したのは、省内にそうした思想が下地にあるからです。東北の復興はなかなかすすまないのも「そうか!」という思いです。

 だが、さらに深刻で大変なことになっている人たちがいます。福島第一原発事故で住まいを追われた人たちです。その福島の現状を次回お知らせします。


山古志を訪ねる

2013年10月02日 | 栄村の今
 栄村は、新潟県山古志村(現長岡市山古志)の復興住宅を参考にしました。
山古志村(現在・長岡市山古志) をマグニチュード6.8の地震(新潟県中越地震)が襲ったのは平成16年10月23日午後5時すぎ。村内いたるところで土砂崩れが発生。道路の寸断や宅地の崩壊が相次ぎ、中越地方全体で死者68人、負傷者4,805人、家屋の44%(328 棟/747 棟)が全壊しました。 
   山古志へ通じる道や各集落をつなぐ道はずたずたに寸断され、電話も携帯電話も不通、暗闇の中で山古志は陸の孤島となりました。10月24日、山古志の全集落・住民に避難勧告、のちに指示に切り替え。ヘリコプターで長岡に避難。それは住民に家も田も畑も鯉も牛もすべてを置いて村を出ることを強いることでした。長岡市7ヶ所に避難終了(全住民2,167人)。平成17年7月22日、一部集落の避難指示解除。全面解除されたのは地震発生から2年半後の平成19年4月1日のことでした。

 その山古志を2013年9月24日、訪ねました。下写真のような美しい姿を取り戻していました。
  

 復活した養鯉池

栄村の独自事業と考え方

2013年10月01日 | 栄村の今
 山村をかかえるところの最大の課題は、林業と農業収入だけでは生活できないことです。働ける場所がなければ青壮年は村から出て行かざるを得ません。これでは村に残るのは高齢者ばかりになり、年とともに人口は減り、やがては集落を維持することもできなくなります。それを食い止めるためには、地元で働ける場所や収入を得ることができるようにすることが必要です。

 鈴木敏彦村議は、栄村はそのことに知恵を絞って、さまざまな取り組みをしているといいます。
 栄村が考え、着眼したのは農業と豪雪、介護サービスでした。その中で私が「これはどこの自治体でも採用できる」と思ったのは「げたばきヘルパー」です。
 
 栄村は冬期、2~3メートルの積雪に見舞われます。山里に点在する集落。高齢者率(65歳以上)が45%を超えています。高齢者が住み慣れた郷土で暮らせる村づくりを目指している栄村が考えた独自事業が「げたばきヘルパー」。
 名前は、隣近所なら下駄を履いて真夜中でも雪の中でも駆けつけられる、というイメージから名付けられました。ネーミングが温かいですよね。仕組みは、集落の住民ヘルパー(有資格者)が村社会福祉協議会に登録して、ワーキングチームを構成、24時間ヘルパーが駆けつけ、安否の確認と介護をします。

 「げたばきヘルパー」として登録しているのは116人(24年4月)。村内集落を8地区に分けて担当します。 
  鈴木敏彦村議も「げたばきヘルパー」に登録していました。 ヘルパー登録している人の男女別、年齢別構成は上表の通りです。70歳以上の人が全体の35%を占めています。また女性の割合は93%です。
 ヘルパーの報酬は1時間当たり750円から1,850円。  116人に支払われた年間賃金は24年度で6,872,100円です。
 農業以外、働いて現金収入を得ることはなかなか難しい中で、116人の人が現金収入を得ることができたのです。
 1人当たり平均、年5万9000円。わずかではありますが、働いて収入を得るのは大きです。 
  
同様の考えで取り組んでいる事業に、「雪害対策救助員事業」があります。
 住民の高齢化と過疎化により、自力では住宅等の雪下ろしや排雪が困難な世帯が増加し、除雪作業を依頼できる人材も確保しにくくなってきたことから昭和52年12月に村独自の「雪害対策救助員設置要綱」を制定し、自力での雪下ろしが困難な高齢者世帯等に雪害対策救助員を派遣しています。

 活動期間は、毎年、12月15日から翌年の3月31日まで。15人を村の非常勤特別職員として委嘱。冬季における住民の安全と生活環境向上を図りつつ、村民所得を得る機会をつくっています。集中豪雪等で雪害対策救助員での対応が困難になった時は、応急的に補助員を雇用します。
 救助員の報酬額は下記の通り。  豪雪対策ではこの他に「道踏み支援事業」もあります。
 この事業は、自力で自宅から除雪路線までの道踏みが困難で、他からの支援が望めない世帯に対し、平成12年度から村が道踏み支援員等を派遣し、無料で道踏みを支援します。
 道踏み支援員は40人。23年度は75世帯に派遣し、3,057,440円が支払われました。1人当たり平均7万6,000円です。 冬季のこの他に、道路の除雪作業があります。これは村内の建設、土木事業者に発注され、事業費は約1億5千万円。

 介護と除雪に村民の力を引き出し、賃金を支払って村民所得を増やす。村を守り、村民を守る栄村独自の取り組み。他の自治体でも採用して欲しいです。やろうと思えばできないことはないですよね。みなさん!

 次回は新潟長岡市山古志(旧山古志村)の復興住宅。


栄村の村づくり憲章

2013年09月30日 | 栄村の今
 栄村は前号で紹介した通り、長野県の最北端に位置し、東西19.1キロメートル、南北33.7キロメートル。南部に苗場山など2000メートル級の山岳がつらなり、92.8%を山林原野が占める山村。平地は少なく山すそを切り開いた棚田で稲作。年間積雪は130日から160日という日本有数の豪雪地帯で人口は2,203人、65歳以上高齢者が45.6%(24年)を占めています。

 農家人口は平成17年度調査で2,160人といいますから村民は全員農家と言ってよい。しかし事業所分類によると農林漁業は6事業所しかない。事業所で多いのは卸・小売・飲食が64事業所、サービス業68事業所、これに建設業26が続く。飲食、サービス業が多いのは秘境で有名な秋山郷や栄村の風景を見に來村する観光客が多いから。
 千曲川沿線は年間9万3千人が訪れ、秘境・秋山郷には2万6千人が訪れる。しかし観光客数は年々減少。経営耕作地も減少している。
 その中でいかに村民が元気に生涯を栄村で過ごすか。その理念をあらわしたのが栄村民憲章  
  その村民憲章をはじめに紹介します。

栄村民憲章
一、自然を愛し、環境を整え、美しい村を作ります。
二、生産をすすめ、豊かな、くらしよい村をつくります。
三、子どもをはぐくみ、おとしよりを敬う、温かい村をつくります。
四、体をきたえ、大自然の中で躍動する、活力ある村をつくります。
五、心のふれ合いを深め、礼儀に厚い、連帯感にみちた村をつくります。
六、教育を尊び、知識を求め、創意にあふれた村をつくります。
 こうした憲章を持つ栄村。独自事業を展開した村づくりを紹介します。次回
  栄村の村づくりを話してくれた鈴木敏彦村議

栄村の今、黄金色の風景と土石流

2013年09月27日 | 栄村の今
 9月23日の栄村(人口2,203人、65歳以上高齢人口45.9%)は一面、黄金色。国道117号線に並行してJR飯山線が走り、右手に水量豊かな千曲川が流れています。栄村は新潟県津南町と隣り合わせ。いずれも日本一の豪雪地帯ですが訪れた日は気温29℃。

 立ち寄った森宮野原駅近くのお店で飲み物を買って挨拶代りに店番の女将に聞くと、「台風のせいだ」とうんざりした顔で言葉が返ってきた。いつもは涼しい季節なのだと思った。しかし元気な奴もいた。駅の草むらに棲みついたキリギリス、鳴く季節でないのにあちこちで鳴いているのには驚いた。

  栄村の鈴木敏彦村議さんとの約束時間は午後3時。それまで4時間ほど時間がある。村の秋の風景と地震、台風18号の被害状況を見ておこうと、車を秋山郷に走らせた。千曲川を渡り、秋山郷に向かう道はゆるやかな登り道が続きます。 
   平地は少なく、小さな棚田が山すそから谷に向かって連なり、道はその真ん中を縫って奥に続く。奥は秋山郷。その先は2000メートル級の山が連なり、その先に道はない。秋山郷は秘境中の秘境。

  1つの集落を抜けると山道、そして10戸から20戸の集落が現れる。その中には本家と分家だけの集落もあるとききました。先祖伝来、何代も続く農業を中心とした集落です。栄の米は有名、5キロ3,000円です。現地の道の駅でこの値段ですから都内だともっとすると思う。

  すごいと思ったのはほぼどの田の稲も稲架けをした天日干しだったこと。埼玉で天日干しの稲はめったに見かけない。しかし栄村ではどこもが天日干しをしている。その手間、もともと美味しい米をさらに美味しくしているのだと思った。

  車を走らせていて秩父の中山間地と違うと思った。耕作放棄地、廃屋がないのだ。気がつかなかっただけなのかも分からないが、少なくとも目にした範囲、廃屋はなかったし、耕作放棄で荒れ放題の農地は目にしなかった。

  棚田は稲刈り時期の真っ最中、刈り入れがまだ済まない田の方が多いので集落は黄金色に色づいていました。そして各地で目にするイノシシや鹿よけの防護柵、網がまったく見かけなかった。「この山奥で、熊が出るというところで獣よけの柵や網がないのは」と思ったがよくよく考えると、栄村の積雪日数は年130日~160日。冬眠をしないイノシシ、鹿は棲息できないのだ。

 その厳しさに耐え、育った稲は埼玉で見る稲と比べ、かなり丈が短かい。それは余談として、収穫前の棚田風景は本当に美しいと思った。沢山の人が訪れるというのも納得。心いやされながら、2年半前の地震の痕跡を探しましたが見当たらない。台風18号の豪雨で住民に避難勧告が出たのですがそんな様子もない。ただ道を走り続けると秋山郷につながる道は「通行止め」の看板。災害の痕跡があったのはただそれだけ。それ以外、山の緑と澄んだ谷の水、黄金色の棚田、美しい日本の原風景が詰まった栄村だった。

村議と約束している場所へ。
  村議の鈴木敏彦さんから1時間ほどお話を聞く中で分かったのは、2年半前の地震で被害が大きかったのは秋山郷周辺でなく、栄村役場を中心とした地域でした。そして台風18号の豪雨で避難勧告が出たのも地震被害が大きかった青倉地域。
 土石流が襲った中条川の現場に鈴木村議さんの案内で行った。(写真) 
 (土石流は谷を埋め道路にあふれ、事務所を破壊)   2年前の地震で上流の山が崩落して土石流が発生。その後、3つの砂防ダムが造られた。完成したばかりの3つの砂防ダム、これが再び発生した土石流ですべて埋まり、谷からあふれた土石流は道路にまで達して、事務所を直撃して破壊した。谷底から道路まで50メートルはあるかと思う深さ、それが土石で埋まり、川幅は数十倍の広さになって荒々しい姿に一変。

 上流を見ると、彼方に土石流の原因となった山の緑が消え、崩落の跡をさらしていた。土石流は集落の手前でかろうじてとどまったが山に亀裂が入っている。再び、土石流発生の恐れがあるという。そうなるとどうなるのか。不安は尽きない。

 土石流は一瞬にして襲ったという。「危険」と言われている地域に住んでいる場合、避難勧告が出たら、早く避難する。様子を見て、判断するのでは間に合わない。土石流の現場に立って、自然の破壊力の恐ろしさを実感。

 おだやかな集落と自然の破壊力にさらされている集落。関係者のみなさんのご苦労を推察しました。

  土石流が襲った中条川の下流にかかる橋の真ん中に役場職員が川の様子を見に来ていました。
「この川も暴れ川になったなあ」。職員のつぶやきが聞こえました。地震前まで中条川は渓谷美が自慢の美しい川だったという。その川が一変したのです。急流の下に集落(青倉・中条)があります。

  職員は川の様子が気になり休日にもかかわらず様子を見に来たのです。村を思い、村民を思う気持ちが伝わりました。そうした職員がいる栄村は村づくりでいろいろ知恵を出し、創意的な取り組みをしていることで有名です。次回

栄村の復興住宅

2013年09月26日 | 栄村の今
  突然ですが、上記の写真は長野県栄(さかえ)村の復興住宅(村立住宅)です。
 栄村は東北大震災が発生した翌日、3月12日未明、震度6強の地震(長野県北部地震)が発生、全壊33棟、半壊169棟など大きな被害が出た村です。
 地震発生のあと、一度訪れましたがその後、復興がどうなったのかこの9月23日、訪ねました。

 鈴木敏彦村議さんに教えてもらった場所に行くと、あったのが写真の復興住宅です。軽自動車と比べると大きさがわかると思います。一戸建てです。村立住宅ですから家賃を払います。その家賃は所得に応じて違いますが8000円から2万円です。
 下記の住宅も村立の復興住宅(賃貸)です。

 写真の建物は一つの家に見えますが一棟2戸の造りです。2世帯が入居しています。素晴らしいと思ったのは一戸一戸が集落や住宅の中に建てられていたことです。1か所に集中して建てていなかったことです。これは本当に良かったと思います。
 仮設住宅は仕方ないとしても生涯住む「復興住宅」はやはり家として、周りと比べても見劣りしない家であって欲しいです。

 その点、栄村の復興住宅はそうしたことにも十分配慮しているように思いました。
東北3県の復興住宅も栄村のような家が建つようになって欲しいと思います。

 しかし残念なこともありました。「設計がすべて同じ」です。同じ家が建っているのです。鈴木敏彦村議は「一つ一つ変えるべきだと主張したが「届かなかった」と残念がっていました。これは村の意向だけで決めることができず県や国の意向が大きく影響しています。お金を出すところの意向が大きい。経費の削減、緊急ということで同一仕様になっています。

 そうではなく、やはり一戸一戸設計が異なる。入居者の希望を取り入れた復興住宅にしなければいけないと思います。いかがですか、みなさま。