はじめまして

今回、新しくブログを開設しました。

生きているホシガラス その3

2010-12-25 09:47:07 | Weblog
 12月18日   晴れで暖かい冬です。

 俳句探鳥で横浜市の金沢動物園へ行きます。午前中、園内を見学して午後が句会です。
 大きなミモザの木が有りました。

 

 ナンキンハゼの白い実が青空に輝いていました。


  
 動物はヒガシクロサイです。



 アフリカでは良く見たアミメキリンが枝から下がっている何かの葉を食べています。



 桐の実と来年用の花の芽が混在していました。



 この動物園の目玉的存在であるコアラはガラス張りのコアラ舎の中のユーカリに
生るようにへばりつくようにしがみついて眠ったり遊んだりしています。



 オーストラリアのワライカワセミは大笑いまで行かず含み笑いのような声を出し
ていましたがゲージの中なので綺麗に写りません。



 イロハモミジが燃えていました。



 飛べない鳥のダーウィンレアも大洋州の特産種です。



午後は動物園近くの会場で句会となりました。18名の参加です。
 一人3句提出し5句選句です。私の句は3句とも選ばれましたが1句は講師に気に入られず
2句は特選になりました。まーまーです。

 16時頃終了し有志9名で反省会となりましたが、これが楽しみで俳句探鳥に参加しています。18時頃、散会して一日が終わりました。

 12月19日  薄曇りでうすら寒い日です。

 8時集合で県内湘南地区の体育指導員さんに吹き矢体験のお手伝いをしました。鎌倉2支部
から11名出て指導員さん120名に吹き矢の面白さを伝えました。
 体育指導員さんだけに早くも満点の35点を出す人もいて流石です。

 公認指導員の模範演技です。



 的は21レーン用意し3人が交替でプレーします。我々は2レーンづつ担当し懇切丁寧?に
指導させて戴きました。





 午前中で終了しましたが、吹き矢は必須科目で全員が参加しましたが、この他にも薙刀と弓
道の体験もあったようです。

 おわってから来年1月から3月の間、今まで練習に使用させて戴いていた体育館が耐震工事の為に使用出来なくなるので別の会場を確保するべく最寄りの場所へ使用に先立って必要な団体登録手続きに行き一時間程いろいろと説明を受け登録完了が無事に終わり対策完了となりました。やれやれです。

 こうして何とかホシガラスも生きています。

 

 

 

 

生きているホシガラス その2

2010-12-21 13:13:52 | Weblog
 12月13日   曇り午後から雨

 午後から雨になると言う予報なので午前中にクラス会とOB会の写真と会計報告を
作成してクラス会8名、OB会16名に発送して、ほっと一息となりました。

 午後からは予報通り雨になりました。鳥の会の会報の原稿を作成しメール送信して
一日を終えました。これで三つの宿題が完了しましたが、まだまだです。

 12月14日   昨日からの雨が午前中残りましたが午後からは晴れ間も見える
          ようになりました。

 予定していたグラゥンドゴルフは雨の為、中止となりましたので雑用に費やします。
 地元のタウン誌に9年間104回連載した野鳥の記事と写真を製本化して出版する
話が持ち上がり、その打ち合わせに午後から出掛けました。
 余り気乗りしませんが又、一つ宿題が増えて迷っています。どうなりますか?

 12月15日   気持ちの良い晴天です。

 午前中はスポーツ吹き矢で最初は不調でしたが、後半持ち直して何とか162点を
維持出来ました。
 午後は句会です。これも余り冴えません。提出した5句は低点ながらも選ばれまし
たが講師には2句しか選ばれませんでした。それが総てでは有りませんが、それぞれ
の好みの問題も有りますので佳しとします。帰ってから会報の原稿として8名の句を
送信します。

 12月16日   曇りです。

 グラゥンドゴルフの本年最終日です。前半5Rの練習の後、月例記録会です。
 スコアは散々でした。
 午後は三浦一族の講話最終回受講に出掛けます。
 1239年、三浦一族の大黒柱的存在の義村が没すると一族の結束に緩みが出て
来てやがては北条一族との関係が希薄になっていきます。北条時頼の外祖父である
安達景盛が高野山から突然、鎌倉へ現れると急激に三浦と安達一族の間が険悪にな
り遂に1247年 宝治合戦となり、その後三浦一族は衰退の一途を辿るようにな
ります。1467年の応仁の乱から始まる日本の戦国時代に入る200年前の事で
この頃から北条、後北条、足利の時代を通じて小競り合いが続きますが、国を挙げ
ての戦乱の巷にはならず特に足利時代は絢爛たる文化を創出しました。

 夜は鎌倉演劇鑑賞会による演劇鑑賞です。今回は青年劇場による【博士の愛した
数式】です。17年前の交通事故の後遺症で記憶が80分しか続かなくなった数学
博士の家に勤めるシングルマザーの家政婦さんと、その小学生の息子と博士の話で
した。気むずかしい博士が少年に会い数学を教えるとすっかり二人は仲良くなり、
やんちゃ坊主の少年も素直な子になっていくストーリーです。
 この中で博士の好きな完全数は28です。
  28=1+2+4+7+14   28=1+2+3+4+5+6+7

 28の公約数を足すと28になります。
 また友愛数は220とのことです。220の公約数の和は284で284の約数
の和は220になります。

 220  1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284
 284  142+71+4+2+1=220
 220と284は友愛の数と言うことです。

 なかなか面白い発想を元にしたお芝居でした。舞台は変わらず暗転するたびに博士
の部屋になり家政婦さんの部屋になったりするだけで俳優さんは5人だけでした。

 12月17日  晴れの日でした。

 午前中二ヶ月に一回行く近くの病院で診察と投薬です。8時50分に入り出てきた
のは11時近くになっていました。血圧は116 65と意外と低圧ですが気にしま
せん。着替えて東京行きです。

 勤めていた会社のクラブ事務所でカレンダーを戴き、銀座で買い物をして目白へ向
かいます。鳥切手の仕入れで今月は少し入荷していましたので多くなりました。
 然し、整理が三ヶ月たまっています。正月にでも出来るかなとは思いますがどうな
りますか。

 薄暗くなって東京落語会に入ります。
 新真打ちの春風亭鹿の子さんの、袈裟御前 は西行の噺ですが少し固めでした。
 最近は女性の噺家も多くなりました。

 歌春師匠は、師匠歌丸さんの得意芸 城木屋 を独自の演出で語りました。

 中トリは好楽師匠の 小言幸兵衛 でした。小言の好きなと言うより癖の大屋さん
の所へ貸し屋を借りに来る豆腐屋と仕立て屋を小言であしらう知られた噺でした。
 今回、円楽を襲名した楽太郎の兄弟子ですが多少の皮肉と悔しさを交えて語ってい
ました。

 中入り後は、世之介さんの大岡越前裁きを題材にした、三方一両損でした。
 拾った財布に三両が入っていたのを届けたが江戸っ子は一旦自分から離れた金は受
け取らない受け取れと果ては喧嘩になり白州に出て裁きを受ける羽目になります。
 大岡越前は結局自分が一両出し四両にして二両づつを褒美として二人に与えるという
裁きをして終わり、更に膳部まで出して沢山食べろと言うが両人は、おおかわくわねー
と言ってオチる昔からの噺です。

 トリは、さん喬師匠の 夢金 です。船宿の強欲な漕ぎ手が夢の中でも金が欲しいと
寝言を言いある時、夢の中で人助けをして謝礼に大金を戴く事になりますが余りの大金
にびっくりして夢が覚める噺です。
 さん喬師匠の名演を期待してか何時もトリの前で帰る人がいるのに今夜は殆ど残って
聴きいっていました。

 明日が早いので早くと思いつつ結局、深夜バスにも間に合わず帰宅は1時になりまし
た。最近は歳も取ったので帰りはG車にしていますが何時も普通車並みで今夜は大船迄
立ち通しでした。それも満員並みです。殆どが若者ばかりです。ホシガラスの感覚から
見れば若者がG車なんかに乗らなくても良いと思いますが彼らにしてみれば、こんな遅
くまで老人が乗る事自体間違っていると思っているかも知れません。
 G車にもシルバーシートを設置して貰いたいものです。然し、それでも今の若者は占領
して、素知らぬ顔で譲らないでしょう。情けない日本になったものです。


 文字ばかりで余り長くなりますので18日以降は、その3にします。お疲れ様でした。



生きているホシガラス その1

2010-12-20 11:35:16 | Weblog
 良く言われます。ブログは日記と同じで即日に載せるものだと。それならホシガラス
のこれは何でしょうか?
 兎に角、年末ともなれば人並みにそれなりに忙しいのです。気になりながら最近の
ホシガラスは目が疲れるのでついつい後回しになるのです。
 然し、立派に生きています。

 12月9日  晴れの日でしたが午後から風が出て来ました。

 午前中はグラゥンドゴルフ いつものように7+3ラウンドのプレーで5Kmの
ウォークとなりました。

 午後は、三浦一族についての講話、第三回目です。歴史作家の永井路子さんは北条と
三浦は対立していたと解釈していますが、今日の講師は吾妻鑑でもその事実は見当たらず
三浦義村は一貫して北条氏との連携を維持していたと話されました。
 頼朝存命中は政子との関係があっても北条を厚遇していませんでしたが頼朝死去後は
時政が台頭して来ました。三浦一族にとって頼朝亡き後は北条と友好関係を維持せざるを
得なかったのです。然し、この裏にも何かありそうです。歴史の面白さです。

 友人と待ち合わせて寒いので鍋を囲みました。

 12月10日  晴れですが寒くなりました。

 朝、起き抜けにPCを点けるとトラブルです。午前中一杯、修復にかかりました。
 最後はプロバイダーのOCNに助けて頂きました。若い女性がとても親切で長時間
遠隔操作で修復して下さいました。やれやれです。

 それから俳句の同人誌の原稿作成と送信、クラス会の写真プリント、雑用で22時
就寝です。

 12月11日  晴れの日ですが風があります。南風で気温が高くなるとの予報で
したが、それ程でもありませんでした。

 猛禽類の月例観察の日です。8時に集合なので7時半に家を出ました。

 メンバーは13名で四カ所に分かれて観察します。ホシガラスはA地点担当です。
 谷戸は静かに冬の陽を浴びています。



 まずは撥型の尾を翻して飛ぶ鳶です。



 葉を落とした枝にツグミが止まっています。傍を猛禽が飛んでいても平気です。

 

 翼の裏側に丸い斑点を持つノスリです。



 鳩と同じくらいのハイタカですが翼が大きいので鳩よりは大きく見えます。
 まさに雄姿です。



 ふと見るとカラスウリが、ぶら下がっていました。



 ハイタカより大きいオオタカですが、大空に単独で飛んでいると判別が難しい
です。観察者泣かせです。オオタカと信じて掲載しますが間違っていたらご指摘
下さい。







 鳥の識別には大きさ、色、腹部の縞模様、翼端の枚数 尾の縞数などが要点になり
ますが、大空で飛んでいるとなかなか判別出来ません。

 12月12日  晴れです。

 神奈川県内の東海道を歩く会で、今日は鴨宮から小田原経由で箱根湯本までです。

 集合場所の鴨宮は毎月、酒匂川BWの起点地でお馴染みの場所です。毎月見ていな
がら未だに解明していない何故か新幹線発祥の碑です。何時も慌ただしく出発するの
で、ついつい見落としてしまいます。何時かじっくり見ておきます。



 酒匂川から見る富士山もお馴染みの姿ですが、今日はすっきりと晴れて冠雪の富士
は日本のシンボルです。



 秀吉と一緒に北条攻めをした狸親父の家康が陣を張った跡は石碑と説明書きだけです。
 北条方の小田原城から見ると東側です。酒匂川を渡って間もなくでした。





 小さな山王川を渡ると直ぐに山王神社があります。昔は海岸近くに有ったようですが
荒波で崩壊したので北条早雲がこの地に1613年移築されたとのことです。
 海岸近くに有った時は星月夜の井が有り、井戸に写る月を賞でたとの事ですが今は偲ぶ
縁も有りません。



 東海道に出ると日本橋へ83Kmの標示があります。逆に見ると日本橋から83Km
約21里になりますので朝暗い内に日本橋を七つ発ちしても藤沢辺りで一泊しないと、
ここまで来られません。
 当時は品川辺りで遊び過ぎて、ここまでも来られなかった旅人が結構いたようです。



 間もなく小田原宿の跡で、これも標識だけです。ああ、そうか と言うだけです。



 唯の丘ですが蓮上院土塁跡です。北条方の防塁で1590年に豊臣・徳川連合軍
に備えたもので昭和34年に国指定の史跡として認定されました。



 北条一族の尊敬の対象となった北条稲荷です。



 庭には蛙石が祀られています。



 由来は説明書きをご覧下さい。



 間もなく小田原市街に入り、先ず名物の蒲鉾屋さんに入り物色します。
 ホシガラスは黒蒲鉾と塩辛と山葵漬けを買い今晩のおかずにしました。



 北条氏綱の時代に海中から出現した十一面観音を祀った松原神社ですが、観音様は
堂の中で拝観は不能です。



 小田原城近くの家並みの中に鐘楼がありました。何か判りません。お昼が近くなり
その方が気懸かりです。写しただけです。



 小田原城のお濠に着きました。深いのか藻が無いのか鴨は皆無でユリカモメだけが
群れていました。





 お濠近くの三の丸小学校は都市景観賞を獲得した綺麗な学校でした。この中の
体育館で小学生の外郎売りの口上を聴きながら昼食になります。楽しみです。



 都市景観賞の玄関です。



 小学校の正門も趣が有ります。



 都市景観賞の由緒書きです。



 校庭から見た長ーい校舎で、これだけの生徒がいるのか疑問になります。
 新型の二宮金次郎の銅像が建っていました。



 体育館に入れて頂き12時20分から外郎売りの実演が始まりました。
 まずは外郎太鼓です。リズミカルで勇壮さも少し入ったユニークな太鼓でした。



 後は本命の外郎売りの口上です。歌舞伎でも早口で9分はかかる難しい技です。
 最初は一人口上で、その後は一人ずつ交替で述べて行きます。
 全員、小学生で中には低学年の生徒もおりました。







 最後は神奈川の宿場を順々にパネルで標示し纏めて裏返すと小田原となり、拍手喝采
です。





 三の丸小学校を出ると近くに大きな藤棚がありましたが季節で無いので棚の藤だけ
です。花の季節には見事でしょう。



 小田原文学館と白秋記念館は紹介だけになりました。



 昔、軽便鉄道で箱根に通じていた鉄道の起点駅の、これも跡だけで国道縁にありました。
 人車鉄道と言われていたようです。



 板橋から風祭への途中に日本の電力王と言われた松永伝左右衛門氏の別荘跡を現在
松永記念館として開館していましたが、これも今回は紹介だけで興味あれば後日再訪
することになりました。建物はもとより紅葉が綺麗でした。







 9時半から歩き初めて、15時を回りました。冬の一日は短く陽は箱根の山に沈んで
います。風祭、入生田を過ぎると15時40分です。

 間もなく湯本の三枚橋を渡ると小田急の湯本駅が見えてきてほっとします。



 河原に下りるとアオサギ・ハクセキレイ・キセキレイ・セグロセキレイの姿が見られ
ました。
 16時近く終点で筋肉ほぐしの体操をして解散しました。来月は湯本から旧街道を歩き
箱根関所までです。全部山道とかで大変です。



 16時8分、湯本発の小田急で帰途に就きました。疲れました。

 



 


 

 


 

ホシガラス渡良瀬遊水池へ行く 他

2010-12-08 16:19:57 | Weblog
 12月4日  朝からの晴れです。

 3時半に起床して5時半に家を出て戸塚へ向かいました。6時半の集合です。
 同行8人が二台のクルマに分乗して出発しました。
 約30分で多摩川を渡り東京都に入りました。7時56分、東北道に入り、8時17分
羽生SAで11分の休憩をして、8時34分館林ICを出ました。

 いよいよ本日の目的地である渡良瀬遊水池の近くですが、その前に本来、九州南部に
多く見られるミヤマガラスとコクマルガラスを遊水池に隣接する板倉地区の東洋大学の
キャンパス周辺で探します。

 遠くに男体山が見えました。



 電線ではノスリの若鳥がカラスにモビングされています。



 二手に分かれて探すうちに私たちのクルマが、これも珍しいケリの群れを見付けました。
 接近は80mぐらいが限度です。それ以下では直ぐに飛び立ちます。殆ど逃げられました。
 後ろ姿ばかりになりました。





 やがて他のクルマからミヤマガラスの群れを見付けたとの電話が入ります。
 それとばかりに急行しますが、広い区域なのでなかなか合流出来ません。目標を決めて
合流し先導して貰い漸く現場に着きます。殆どがミヤマガラス(体長47Cm)です。
 普通に見られるハシブトガラスの61Cmに比べると小型で鴎の仲間のウミネコぐらい
です。



 中に小さなコクマルガラス(体長33Cm)がいますが、2~3羽です。群れの中央
部に一際小さいのがコクマルガラスですが、これは黒色タイプでこの他に白色タイプは
白黒のツートンカラーの個体も有ります。



 随分と時間をかけて、うろうろとし11時過ぎに遊水池に入ります。風が出てきて
次第に強くなって来ました。遠くに筑波山が見えます。



 遊水池内を散策して鳥を探しますが余り見られません。遊水池にはマガモ、コガモ
ヒドリガモなどの普通の鴨ばかりで、カンムリカイツブリ、カイツブリも1~2羽ぐらい
でした。それも遠いので写真にならないので撮りませんでした。

 今日一番の目的はハイイロチュウヒですが、夕方16時を過ぎても現れません。
 出ても遠いので判別が付きません。チュウヒと思われるものを撮って見ましたが遠い
のでボケボケの写真です。恥ずかしながら載せました。





 16時40分、日没です。風も漸く静かになりました。17時になると、とっぷりと
日暮れです。引き揚げます。
 帰りは2時間半かかり19時半、戸塚へ無事戻り期待の一日が終わりました。

 12月5日   晴れて暖かい日でした。

 鳥の会の委員会に出席し、その後ぶらぶらでした。帰宅して昨日の写真を処理すべく
ソフトに入れると昨日は初めてRAW形式で撮った為、ソフトが対応出来ずソフト自体
も壊れて保存してあった写真も一瞬のうちに消失して唖然となりました。

 幸い、3日迄の写真は外付けのディスクに別に保存してありますので助かりましたが
ソフトが壊れたのは痛手です。ソフトの入れ直しやら別のソフトでの試行錯誤で夜遅く
までかかりました。

 12月6日   晴れて暖かいので助かりますが冬がこんな事で良いのか、この先が
心配になります。冬は矢張り寒くあるべくです。

 昨日に引き続きPCにかかりきりです。さっぱり復元しません。
 今やPCは私にとって生活必需品として不可欠の存在になっています。同じ年代でも
PC無関係で平然として居られる人も沢山おりますが羨ましくなります。

 夕方になると、平家物語の講座に出掛けなければならずPCも諦めます。

 義経がいよいよ都落ちの場面です。頼朝が派遣した土佐坊は義経に討たれましたが
それを期に義経は後白河法皇に頼朝追討の院宣を貰い受け軍備を整えます。
 一方、頼朝は妻政子の父、北条政時に6万の兵を預けて義経追討に京都へ向かわせ
ますが、再び都が戦乱の巷と化す事を恐れ、義経は九州を頼って500騎を従えて落ち
延びます。四国に渡る際、強風で散り散りになりやむなく義経は腹心の部下数人と静だ
れを連れて奈良から吉野そして北陸に出て奥州わ目指します。

 平家物語では、ここまでの記載で歌舞伎で演ずる安宅の関の場面や勧進帳はその後の
作り事になっています。
 義経が落ち目になると後白河法皇は朝令暮改も良い処で、今度は頼朝に義経追討の
院宣を授け更に頼朝が欲しがっていた征夷大将軍の称号まで与えます。

 天皇が幼少で名前だけなので後白河法皇の専横ぶりが目立ちますが武士の台頭を手玉
にとった面もあります。

 12月7日   今日も晴れて暖かい一日ですが夕方からは冷え込むようです。

 午前は鎌倉での体操教室 午後は横浜でのADL体操教室に参加しました。
 夜は日本書紀の講座で前回に引き続き崇峻天皇の御代です。
 戦闘集団の物部氏と文民勢力の蘇我氏の争いで、蘇我氏は聖徳太子を擁立して多数を
頼りに遂に物部氏を滅ぼします。
 物部の本家は消えますが分家は後の世まで生き延び要職についています。

 今日は一日家の外でした。

 12月8日  曇ったり晴れたりで段々寒くなって来ました。

 暖かければ心配し、寒くなると暖かさが恋しくなり勝手なものです。
 12月8日 我々の年代ではこの日を忘れる事が出来ません。日本が不幸の道を辿り
始めた日です。軍部による殆ど一党独裁とも言える政治の欠陥であり失態です。
 これは軍部ばかりでなく文民政治でも言えることです。

 然し、現在民主主義と言われても一票でも多ければ過半数と言うことで物事が決められ
る風潮にも問題があります。
 政党は国のことより自党の事だけしか考えない情けない存在になっています。

 こんな日本の将来を憂うのはホシガラスだけでしょうか?

 このような日本になってしまった事については自論もありますが後日纏めて載せる予定
です。

 吹き矢は再び低調になりました。原因がわかりません。それだけに悩みます。

 1~3月は会場の都合で休みになりますので、ゆっくり考えます。


師走を迎えたホシガラス

2010-12-06 15:01:40 | Weblog
 12月1日  遂に師走の月となりました。この間、正月を迎え初参りに行き
それから桜を見て、急に暑い四ヶ月を過ごし朧気ながら秋を感じたと思っていたら
もう12月のカレンダーを眺める時期で気持ちばかり慌ただしくなりました。

 吹き矢の日です。相変わらず好調を維持しています。我ながら不思議でなりません。
 但し、時々変なスコアが出て安定しないのが難点です。これを克服しなければなり
ません。

 午後は句会なので、そのまま直行します。馴染みの台湾料理の店へ行くと今月一杯
で台湾に帰るとのこと。かれこれ10数年の付き合いでした。
 句会は吹き矢に反して不調です。5句のうち3句が辛うじて、それも1~2点で選ばれた
だけでした。何事も好調とは行きません。

 12月2日   暖かい冬です。

 グラゥンドゴルフでは汗ばむほどでした。10ラウンドのプレーでは5Km歩く事にな
ります。

 午後は、三浦一族の講演を聴きに行きます。頼朝は三浦一族を大事にしていました。
 妻、政子の里の北条氏は冷遇していました。この辺が頼朝の死後、比企の乱や畠山滅亡
に繋がったようです。
 頼朝は兎に角、大将軍の肩書きが欲しかったとのことです。それで征夷大将軍の称号を
貰い有頂天になっていました。
 三浦一族は讒言家の梶原景時は嫌いでした。尤も誰からも好かれなかったでしょう。
 義経の鵯越にも裏が有り、本当にあの急坂を下ったのか、それも義経でなく三浦一族の
武士が先行したと言う説もあります。本当に歴史は奇々怪々です。

 12月3日  日中は暖かくても夜は冷えるとの予報でしたが、それ程でもありません
でした。

 15年前に初めてアフリカ旅行をした時のツァーリーダーが、毎年春秋に開催する旅行
客の撮影した写真を展示する写真展に当時ご一緒した人と誘い合って出かけるのが恒例に
なって今年も出掛けました。
 我々は46回の時に参加し私はその後二回アフリカのケニア・タンザニアへ出掛けまし
たが、リピーターの中には10回ぐらいはざらで中には33回と言う女性もいます。
 この会は現在140回を迎えています。それだけ好評のようです。
 今日ご一緒した中にも10回と言う70台の女性がいます。

 然し、何時もご一緒して私とも二人であちこち旅行していた74歳の人が先月16日に
亡くなられたので今回は3組4人だけになり寂しい限りです。



 ケニアのTシャツやアフリカの特産物も展示即売されています。



 毎回10~15人くらいの参加で、その人たちが撮った写真が各20~30点展示
されるので全部で250~400点ぐらいの数になります。
 大体、ねらう所は同じなので毎回見に行くと見る側からは余り新鮮味が薄れます。



 何時も2~3時間お邪魔して帰りは食事を一緒にして歓談して別れます。

 今日も鍋料理を注文して温まりました。

 明日は3時半に起きて5時半には出掛けるので少し早めに引き揚げました。
 それでも帰宅は22時近くになりました。