はじめまして

今回、新しくブログを開設しました。

ホシガラス渡良瀬遊水池へ行く 他

2010-12-08 16:19:57 | Weblog
 12月4日  朝からの晴れです。

 3時半に起床して5時半に家を出て戸塚へ向かいました。6時半の集合です。
 同行8人が二台のクルマに分乗して出発しました。
 約30分で多摩川を渡り東京都に入りました。7時56分、東北道に入り、8時17分
羽生SAで11分の休憩をして、8時34分館林ICを出ました。

 いよいよ本日の目的地である渡良瀬遊水池の近くですが、その前に本来、九州南部に
多く見られるミヤマガラスとコクマルガラスを遊水池に隣接する板倉地区の東洋大学の
キャンパス周辺で探します。

 遠くに男体山が見えました。



 電線ではノスリの若鳥がカラスにモビングされています。



 二手に分かれて探すうちに私たちのクルマが、これも珍しいケリの群れを見付けました。
 接近は80mぐらいが限度です。それ以下では直ぐに飛び立ちます。殆ど逃げられました。
 後ろ姿ばかりになりました。





 やがて他のクルマからミヤマガラスの群れを見付けたとの電話が入ります。
 それとばかりに急行しますが、広い区域なのでなかなか合流出来ません。目標を決めて
合流し先導して貰い漸く現場に着きます。殆どがミヤマガラス(体長47Cm)です。
 普通に見られるハシブトガラスの61Cmに比べると小型で鴎の仲間のウミネコぐらい
です。



 中に小さなコクマルガラス(体長33Cm)がいますが、2~3羽です。群れの中央
部に一際小さいのがコクマルガラスですが、これは黒色タイプでこの他に白色タイプは
白黒のツートンカラーの個体も有ります。



 随分と時間をかけて、うろうろとし11時過ぎに遊水池に入ります。風が出てきて
次第に強くなって来ました。遠くに筑波山が見えます。



 遊水池内を散策して鳥を探しますが余り見られません。遊水池にはマガモ、コガモ
ヒドリガモなどの普通の鴨ばかりで、カンムリカイツブリ、カイツブリも1~2羽ぐらい
でした。それも遠いので写真にならないので撮りませんでした。

 今日一番の目的はハイイロチュウヒですが、夕方16時を過ぎても現れません。
 出ても遠いので判別が付きません。チュウヒと思われるものを撮って見ましたが遠い
のでボケボケの写真です。恥ずかしながら載せました。





 16時40分、日没です。風も漸く静かになりました。17時になると、とっぷりと
日暮れです。引き揚げます。
 帰りは2時間半かかり19時半、戸塚へ無事戻り期待の一日が終わりました。

 12月5日   晴れて暖かい日でした。

 鳥の会の委員会に出席し、その後ぶらぶらでした。帰宅して昨日の写真を処理すべく
ソフトに入れると昨日は初めてRAW形式で撮った為、ソフトが対応出来ずソフト自体
も壊れて保存してあった写真も一瞬のうちに消失して唖然となりました。

 幸い、3日迄の写真は外付けのディスクに別に保存してありますので助かりましたが
ソフトが壊れたのは痛手です。ソフトの入れ直しやら別のソフトでの試行錯誤で夜遅く
までかかりました。

 12月6日   晴れて暖かいので助かりますが冬がこんな事で良いのか、この先が
心配になります。冬は矢張り寒くあるべくです。

 昨日に引き続きPCにかかりきりです。さっぱり復元しません。
 今やPCは私にとって生活必需品として不可欠の存在になっています。同じ年代でも
PC無関係で平然として居られる人も沢山おりますが羨ましくなります。

 夕方になると、平家物語の講座に出掛けなければならずPCも諦めます。

 義経がいよいよ都落ちの場面です。頼朝が派遣した土佐坊は義経に討たれましたが
それを期に義経は後白河法皇に頼朝追討の院宣を貰い受け軍備を整えます。
 一方、頼朝は妻政子の父、北条政時に6万の兵を預けて義経追討に京都へ向かわせ
ますが、再び都が戦乱の巷と化す事を恐れ、義経は九州を頼って500騎を従えて落ち
延びます。四国に渡る際、強風で散り散りになりやむなく義経は腹心の部下数人と静だ
れを連れて奈良から吉野そして北陸に出て奥州わ目指します。

 平家物語では、ここまでの記載で歌舞伎で演ずる安宅の関の場面や勧進帳はその後の
作り事になっています。
 義経が落ち目になると後白河法皇は朝令暮改も良い処で、今度は頼朝に義経追討の
院宣を授け更に頼朝が欲しがっていた征夷大将軍の称号まで与えます。

 天皇が幼少で名前だけなので後白河法皇の専横ぶりが目立ちますが武士の台頭を手玉
にとった面もあります。

 12月7日   今日も晴れて暖かい一日ですが夕方からは冷え込むようです。

 午前は鎌倉での体操教室 午後は横浜でのADL体操教室に参加しました。
 夜は日本書紀の講座で前回に引き続き崇峻天皇の御代です。
 戦闘集団の物部氏と文民勢力の蘇我氏の争いで、蘇我氏は聖徳太子を擁立して多数を
頼りに遂に物部氏を滅ぼします。
 物部の本家は消えますが分家は後の世まで生き延び要職についています。

 今日は一日家の外でした。

 12月8日  曇ったり晴れたりで段々寒くなって来ました。

 暖かければ心配し、寒くなると暖かさが恋しくなり勝手なものです。
 12月8日 我々の年代ではこの日を忘れる事が出来ません。日本が不幸の道を辿り
始めた日です。軍部による殆ど一党独裁とも言える政治の欠陥であり失態です。
 これは軍部ばかりでなく文民政治でも言えることです。

 然し、現在民主主義と言われても一票でも多ければ過半数と言うことで物事が決められ
る風潮にも問題があります。
 政党は国のことより自党の事だけしか考えない情けない存在になっています。

 こんな日本の将来を憂うのはホシガラスだけでしょうか?

 このような日本になってしまった事については自論もありますが後日纏めて載せる予定
です。

 吹き矢は再び低調になりました。原因がわかりません。それだけに悩みます。

 1~3月は会場の都合で休みになりますので、ゆっくり考えます。