はじめまして

今回、新しくブログを開設しました。

ホシガラスの9月第3週

2010-09-20 18:17:07 | Weblog
9月13日
 
 夕方、平家物語の講座に出席します。
 平家の総大将であった平宗盛が鎌倉まで連れて来られ頼朝には御簾越しに面接し、話は
比企義員を通じての会話だけで再び京都へ送られる事になり、その護衛は義経が命じられ
宗盛親子と共に東海道を上って行きました。
 宗盛は武士らしからぬ心根で何時斬られるか、びくびくしながら道中を続けましたが
子の右衛門督と共に近江篠原で遂に斬られ、その首は京都に曝されたとの事です。
 義経が付き添った事も景時の讒言によるもので、頼朝・景時ともども早く義経を鎌倉
近辺から追い出したかったのでしょう。

 義経の若さ故の軽挙もあったのでしょうが、この時代の武士に於ける親子親族関係の
何と希薄で命の儚いものであった事を物語っています。
 次ぎも重衛が斬られる条で、後味の良くない話が続きます。

 義経伝説は東北から北海道にかけて多数有りますが、それだけ義経ファンが沢山居た
事になります。この元は室町時代初期に書かれた義経記(ぎけいき)によります。
 人間的には冷酷な頼朝より遙かに温かみのある人だったのでしょう。

 9月14日  

 少し涼しくなったのでグラゥンドゴルフに出掛けました。9ラウンドなので5Km
近く歩いた事になります。結構な運動です。
 
 民主党の代表が従来通り、菅氏に決まりました。このような時代に何故代表者選挙
までして争わなければならないのか不思議に思います。

 夜は日本書紀の講座です。これまで朝鮮との交流の話ばかりで余り面白くなかった
のですが、蘇我氏と物部氏との争いの始まりに入りました。
 仏教が朝鮮から伝来し天皇家も神を祀りながらも仏教を信じはじめた事により疫病
が蔓延し大きな問題となりました。

 9月15日

 午前中はスポーツ吹き矢です。スコアは良く有りませんが珍しく23.27.27.
27.27.27と同じスコアが5回も続きました。

 午後は句会です。5句の中で3句が選ばれただけで終わりました。
 毎日の事ながら平凡な一日でした。

 9月16日 夜来の雨が殆ど一日中降り続き涼しくなりました。

 パリの娘に送ったEMS便が未だに着かないので郵便局に調べて貰いました。
 8月23日に発送し娘の所には26日に着いたのですが日中は不在勝ちの為、
受け取れず、日本と違って不在票をポストに入れていって呉れるサーヴィスは
フランスには無いので、その後何度か配達されたようですが受け取れずにいた
ようでした。普通便の方が簡単にポストに入れられるので善し悪しです。
 そのようなきめ細かいサーヴィスは日本の特技のように感じられます。

 9月17日   涼しい日ですがまだ半袖で出掛けます。

 東京へ行き、まずは目白で鳥切手の仕入れの後、時間があるので久しぶりに上野で
降りて科学博物館の哺乳類展を見学しました。
 5000万年も前の気の遠くなるような時代から、海から陸に揚がった鯨を主にした
哺乳類、また陸から海へ潜った哺乳類の進化の過程が面白く展示されていました。

 今日のメインは東京落語会です。今日の師匠は余り好みの方はいませんでした。
 中トリは円楽で人情噺の鼠穴を五代目張りの口調で演じましたが新鮮みに欠けていた
感じです。
 中入り後のハナは、志らく師匠の新作とも言える鉄拐でしたが、これも談志張りでした。
 トリは可楽師匠の、らくだ でした。最近この、らくだ に凝っていて今日も上方落語
の らくだ のCDを買いました。時間の関係で途中少し端折りましたが最後のオチまで
語って呉れたのは嬉しく思いました。可楽師匠は74歳なのに随分高齢に見えました。
 足腰が不自由なのか珍しく前後に緞帳が下りました。

 いつもの恒例で友人と食事をして、0時25分の終バスに何とか間に合い無事に帰宅
しました。

 9月18日  暑くなりました。午前中は近くの集会所で吹き矢をして、早めに失礼し
町内有志の集まりに参加しました。

 この日は鎌倉坂の下で毎年行われる面掛け行列が有りますので出掛けました。

 神社へ行く途中に酔芙蓉が咲いていました。



神社の拝殿には山頭火の俳句が飾れていました。成る程です。



 お祭りは12時から始まっていましたが既にお神楽は大変な人垣で観られませんので、ひたすら14時半からの面掛け行列に絞りました。
 境内の銀杏には、ぎんなんが生っていました。



独特の幟です。




  参道ではお囃子さんが見事に演じています。参道は大変な人出です。





 14時50分頃になって漸く行列が参道から通りに出てきました。先ず西へ向かいます。女の子の先導です。



 お囃子の山車は小さな男の子が曳きます。



 ぴーひゃらどんどん、お囃子が行きます。


 子供達が一生懸命引っ張ります。



 幼い児は引っ張るより触っているだけですが気分は上々です。



犬も豆絞りの鉢巻ならぬ首輪で参加 します。



 いよいよ面掛けの登場です。
 まずは天狗面を被ったサルタヒコの神です。



 次々と子供達を先導に行列が続きます。



 次が獅子頭二頭で、面を被らず枠だけを担ぎます。



それから色々と面が続きます。















本日の主役とも言うべき、孕みっとの登場ですが、守護する取り上げ役です。



孕みっとのお腹に触ると安産すると言われるので触る人もいます。





 どの列も子供達が先導します。



 宝剣と神社の宝物も捧げて行進します。



 西から東に進んでいますので、写しにくいことです。
 こども太鼓も通ります。先刻最先頭のお姉さんが東から戻って来て見守っています。



 一台だけの御神輿が通ります。 一応、担いでいますが行列の時は車に載せて進みます。



 車に乗ったお囃子です。



 西日を受けてサルタヒコの神が戻って来ました。



 女性の関係者は水色の裃を着ています。



 面掛け行列の面々が揃います。



























 孕みっとと、それを守る取り上げ婆さんならぬ女性です。







 東へ向かった行列が戻って来ます。笙篳篥を厳かに演奏します。







 東へ向かっていた行列が神社へ戻って行きます。



 御神輿は参道に入ると車付きの台座から外され担ぎます。



 参道には江ノ電が走っています。極楽寺のトンネルから出た
江ノ電です。


神社に入る御神輿。



 神社の境内では女性も担ぎ手に参加します。



 お囃子はまだ続いています。陰で孕みっとを演じた男性が休んでいます。



 行列の最後の福禄寿は外人さんでした。可愛い子供さんと。


 約一時間に亘ったイヴェントが15時50分に終了しました。
 幟が西日を受けてはためいていました。



 鎌倉坂の下御霊神社の面掛け行列は別に孕みっと祭とも言われるお祭りです。面を被る家筋は嘗ては、面ごとに決まっていたが最近は人手不足のせいか有志に依っています。
 御霊神社では五穀豊穣を祈念して湯花神楽を奉納しています。
 行列に使われる、お面は境内の嘗て国木田独歩が下宿していた辺りに蔵が造られ保管されているとのことです。

 一説によると源頼朝は当時の武将に違わず本妻以外に夫人を抱えていたが、
妻 政子の手前か醜い女を好んだとの事で、面掛け行列の元になったのも頼朝が指名した頭(現在の警視総監)の娘を懐妊させた事により、その償いの為に、この行列行事が始まったとも言われています。

 何れにしても他所では観られない希祭です。毎年9月18日に行われます。