はじめまして

今回、新しくブログを開設しました。

動き出したホシガラス本文。

2011-03-28 18:27:36 | Weblog
 3月27日 晴れのち曇り一時小雨あり

 気晴らしも兼ねて月例の酒匂川へ出掛けました。まだ寒い風が吹いています。
 富士山はすっぽりと雲に覆われています。それでも14人が参加して下さいました。嬉しいことです。

 堤防に出て吃驚です。ダムの下流両岸ともブルトーザーが入り、草も木も刈り払われています。これでは川の鳥は兎も角、小鳥類は隠れる場所もなく安心して棲めません。

 噂に聞くところによると花園にするとか。単なる噂で有ることを願って止みません。

 僅かに残った小さな木にモズが止まっていました。



 隠れ場所の無い原でもキジ♂がうろうろしていましたが、それ以上ののろまのホシガラスには、ちらっと見えただけで写真も撮れません。動かない植物は楽です。
 春の日射しを浴びて菜の花が満開です。



 酒匂川の川面にオオバンが泳いでいました。



 何時も鳥がいないので見過ごしていた浄水場のドックに珍しくヨシガモの番いが見られました。♂だけ撮りました。雌は離れていたのでカットしました。決して野暮な計らいでは有りません。


 
 種類は判りませんがサクラも咲いていました。花の世界には春が訪れています。



 オオバンが見られた後、バンも見られオオバン・コバンと何か裕福になったような気分です。ハクセキレイが横切って行きます。



 藪椿が可憐な花を付けています。



 鳥が少ないので予定行程が早く進み、早すぎるかなと案じていると幸いにもカワアイサの
番いが出たり、クイナが顔を出すので足並みが遅くなりました。
 とは言え、最近めっきり目が悪くなったホシガラスにとっては何時も遅れを取り写真も撮れません。ぼつぼつ鳥見の第一線から引退でしょうか?

 昼食場所にしている勝福寺に12時近くに着きました。イチョウの梢ではアオサギが巣作りに余念がありません。



 ♂は繁殖羽となる冠羽をなびかせています。



 近くの支流にはコガモの番いが仲良く泳いでいます。どうやらこの夫婦は婦唱夫随のようです。その方が平和で良いのかも知れません。



 マガモも見られましたが、手前のはどうも雑種のアヒルのようです。



 飯泉橋を渡ると珍しくタシギが見られます。何時もいるのでしょうが、岸の窪地に隠れているので見落としているのでしょう。



 ダム湖ではカルガモ以外の鴨類は見られず水深も大部分が数センチぐらいで鴎類も浮きながら休むより、しゃがんでいる感じです。中にシロカモメを見付けました。中程の白い個体がそうです。



 昨年9月の台風被害の後、河川敷のグラゥンドは冠水で使用出来ず人影も無く芝生は鳥達の
楽園です。ツグミ・ムクドリ・ヒバリ・タヒバリが草むらの虫を漁っています。ヒバリです。



 何か金属的な音がします。鷹匠でしょうか?単なる趣味でしょうか?男性が鷹を調教していました。聴くとヨーロッパチョウゲンボウとのことです。正式な名称では有りません。恐らく亜種か俗称でしょう。日本のチョウゲンボウより小型です。



 腕に止まらせて呉れました。





 中洲にはハマシギが四羽程残っていましたが遠いので敬遠しました。コチドリ・シロチドリもいました。コチドリです。



 コサギも繁殖期を迎え男っぶりを磨いています。冠羽を輝かせて優雅に歩いています。



 草地ではまたまたヒバリです。ヒバリとセキレイ科のタヒバリとの区別は遠いとなかなか難しいです。ヒバリは繁殖期になると冠羽が鶏冠のように出ますが今はまだです。



 9時から15時までの6時間で57種の鳥に出逢えました。幸せなひとときでした。
 気分的にもプラス方向に転換出来ました。



 


ホシガラス動き出しました。それまでのこと

2011-03-28 12:59:51 | Weblog
 3月11日の東北関東大災害から約2週間、毎日のように来る余震と停電で毎日落ち着かないが続きました。
 何も纏まった事に手が着かず運動不足と、このまま何もしないで居ると痴呆になるのではと思う程でした。

 12日、やっとの思いで帰宅し夜には15日に予定している亡き妻の二十三回忌法要の為に来宅する長女を迎えました。

 13日、今回の災害で開催が危ぶまれていた、はかま満緒氏の 笑いと健康 と題する講演
を藤沢市産業会館へ聴きに行きました。
 笑う事によって体内の循環が良くなり健康に効果が有るとの内容は事新しい話では有りませんが病は気からとか、末期癌の患者が気を取り直してエヴェレストの登頂し病を克服した話は成る程と思いました。
 毎日、報導される被災地のニュースを見続けていると被災地の方々には申し訳有りませんがそれはそれとして心からお見舞いしますが反面、憂鬱になって来ます。
 人生は常に明るく前向きで無ければいけません。

 14日、夜中の2時に、帰国する次女がミラノから電話を架けて来ました。
 これも法事に帰国する為、パリからウィーン経由で今日の8時半頃、成田へ着く予定でしたが運行の都合でウィーン→ミラノ→成田に変更になったので遅れるとのことでした。
 何は兎も角、無事に帰国して呉れれば結構ですが現在の交通事情では成田まで迎えに行く事が出来ません。

 今まで他人事に感じていた花粉症が遂に私にまで波及してきて目が痒くてなりませんので病院へ行き診察を受け、クスリを処方して貰いました。

 帰りにスーパーへ寄ると主要な日用品の棚はがらがらでレジは長蛇の列でびっくりです。

 仙台に住む友人に電話が漸く通じ、聞くと電気も水道も出ないとの事。部屋中散乱した物を後片づけしてお風呂の汲み置きの水で掃除しているとの事でした。彼は奥さんが入院しており
独り暮らしで家事一切を担当しているので苦労しています。お見舞いし激励してあげました。

 15時過ぎに成田に着いたとの電話でほっとするものの電車は不通なので18時過ぎの空港バスのチケットを買ったとのことでした。
 21時頃、藤沢まで迎えに行くと間一髪、丁度次女がタクシーに乗る所でした。

 6年ぶりの父娘の再会です。温かい気持ちに浸れました。

 15日、起きると電車が動いているようなので昨日、今回の法事をお寺と相談して一応延期する事にして親戚にも連絡したものの出来るなら折角なので法要して貰うべくお寺に連絡して
予定通り実施することにしました。但し、親戚は交通事情で無理なので我が家の家族だけでお参りすることにし東京田端へ向かいました。

 亡き妻の二十三回忌も無事に済ませ長女夫婦と次女の四人で銀座に出て会食しました。

 今日も強い余震を感じましたが停電は無く平穏に過ぎました。

 16日、通常なら吹き矢の日でしたが停電の事も有り会場の大家さんの休業もあり休会です。
 出版社から野鳥の写真の修正希望が有り、再び在庫から探し出し点検していると停電となり中断です。15時頃、通電したので再開し出版社に電送しました。

 長女は以前から予定していた四国旅行に明日出発するので羽田近くへ移る為、戻って行きました。一つの別れが心の中を冷え冷えと横切って行きます。明日からは次女と二人です。ここでも辛い別れが待っています。後10日です。

 17日、グラゥンドゴルフの日ですが何故か気が進まずやめました。
 午前中に停電、そして夕方から二度目の停電。ローソクを持ち出して暗い中を、ジーッと耐える。ストーブが消えるので寒いこと。それでも被災地の事を思えば贅沢は言えません。

 18日、朝からの停電。10時に通電し、午後も実施の予定でしたが中止になり、ほっとしました。次女が運転免許証の書き換えに二俣川に出掛けましたが一部書類が足りないのでFaxで送信して欲しいと連絡があったものの間もなく停電が予定されているので大急ぎで送信するべく気もそぞろで作業すると運良く停電が中止になり無事送信出来てほっとしました。
 次女も書き換えの手続きも無事に終えて夕方帰宅し万々歳です。

 19日、町内有志の集まりに参加し、こんな時でも頑張りましょうと乾杯しました。
 今日から世の中は三連休とかですが被災地の事を思うと、そんな気になれません。

 20日、娘と久しぶりに鎌倉を歩きました。楽しい一日でした。今日も停電無しでほっとします。

 21日、一日中冷たい雨が降り続いていました。被災地の苦労を偲びます。

 福島の南相馬市に居る友人との電話が繋がりました。彼は病気持ちなので原発30Km圏内にいるのに屋内待避しているとのこと。水・電気は不自由無いようですが店が無いので買い物が出来ず買い置きの物が無くなったら避難しなくてはならないと言っていました。
 いずれにしても大変な事でお気の毒です。私としては身体大事に頑張って下さいとしか言え
ませんもどかしさです。

 22日、今日も雨降りです。9時50分から停電です。寒い一日を送ります。
 それでも時折、友人からお見舞いの電話を頂くと温かくなります。

 23日、原発の事故で放射能の危険が野菜や水道水にも出ているとニュースが報じるものの余りに過剰に報道すると混乱するばかりで、ましてや挙げ句の果てに長時間服用しなければ人体に影響ありませんと言われても不審感は拭えません。
 報道にも気を付けて貰いたいものです。

 24日、日一日と娘との別れが迫って来ます。
 久しぶりにグラゥンドゴルフに出掛けます。気晴らしです。10ラウンドプレーしましたので約5Km歩いた事になります。
 18時20分から停電なので明るいうちに布団を用意して寝ることにしました。布団の中で
携帯ラジオを聴きます。今日は20時に通電してほっとしました。

 25日、今日は停電も強い余震も有りませんが、福島の原発事故の修復は難航しているようです。大体が役人の天下りが知識も無くトップにいる事業体は、こんな大事故の際に対処にぬかりが出るものです。こんな面からも役人天国の日本を改革していかなければ何時までも同じ
過ちを繰り返し国民が迷惑を蒙るばかりです。

 26日、いよいよ今日が最後の日となりました。娘の希望で江ノ島一周を歩きました。

 27日、昨日予約しておいたタクシーが4時45分に迎えに来て呉れました。
 今朝は3時起きです。娘と最後の朝食をして藤沢へ向かいます。5時15分のバスで娘は成田へ行きました。別れは一瞬が良いと思います。空港での別れは、余韻が残りなかなか発ちがたく寂しさが助長されます。
 薄明るくなった道をとぼとぼと帰る我が身に思わず老いを感じます。

 さて、タイトルの趣とは大分前置きが長くなりましたが、これからが本番です。

 本番の本文に続きます。