はじめまして

今回、新しくブログを開設しました。

ホシガラス100万年の世界へ

2011-03-13 10:45:39 | Weblog
 3月10日  春晴れと言うのでしょうか桜はまだでも春近しの感じです。

 某団体の催しで近くの江ノ島の地層を勉強する会に参加しました。
 最近、人並みに花粉症となり目はしょぼしょぼで苦しんでいるので心配ですが
新しい体験なので期待して参加です。

 12~13万年以前の地球規模の温暖化で海水面が上昇し陸地が総て海底に没した
後、8万年から8.5万年の寒冷化で海水面が低下し基盤が隆起した処に火山の噴火
による火山灰が降り積もり堆積しました。この間、何百年と言う期間で起きた現象で
す。今の人間がヒトから進化して現れたのは、たかだか1万年前のようですから地球
から見ると極々最近の事になります。

 基盤の歴史は7千万年にも及ぶ事になります。

 江ノ島の8万年前は今の竜口寺と同じ高さで繋がっていて、その間を川が流れていた
ようです。1万年前から始まった急激な海面上昇で低地に海水が流れ込み、8000年
前、縄文時代早期には江ノ島が孤島となったようです。

 この為に、江ノ島の天台山で出る礫(小石)と同じ物が向かいの竜口寺の仏舎利塔の
近くで発見されています。
 
 考古学よりも地層の話は気の遠くなる学問です。
 現在、観光地化している江ノ島も大きな歴史を持っています。



 三浦半島方面は朝の陽光に輝いています。



 鎌倉市と藤沢市の境を流れる境川は横浜市を源流に持つ柏尾川と合流して河口
近くでは片瀬川となっています。



 春なので富士山も霞んでいます。嘗ては絶えず噴煙を上げて遠く関東全域に迄
火山灰を降り積もらせていましたが何万年も前のことです。



 海浜の砂は良質の砂鉄を含み、鎌倉時代から刀の材料として利用され名工・正宗
を生んでいます。



 最初の見学場所は、江ノ島ヨットハーバー近くの聖天島です。島と言うよりは小山
です。ここは400万年前の地層が、ほぼ水平に堆積しています。
 普段は見過ごして通り過ぎる処にあります。



 たかだか5m程の山ですが、大きな歴史を秘めています。裏側の地層もほぼ水平に
地層が見られます。



 ヨットハーバー寄りの商店街の中の小路に延命寺が有り、ここも地層的には興味
有るようで寄りました。

 ここも400万年前の地層ですが、聖天島と違って地層が縦に流れています。
 崖の凹みにお寺がありました。



 1948年に片瀬中学の生徒が見付けたミウラニシキと言う貝化石により533
万年前の地層であることが判明しました。
 ここには両方から押し上げた地層によるクラック(裂け目)が見られます。



 江ノ島弁天へ通ずる土産物店の並んでいる道を歩くと誰彼構わず声が掛けられ
ますが一切無視して歩きます。やがて右の小道を入ると西浦海岸に出ます。
 西浦の岩礁も400万年前の海蝕によって出来たもののようです。



 その近くに一際高い処が有り、そこは天台山と言われる小山で向かいの竜口寺と
同じ高さにあります。ここの礫が竜口寺から発掘された礫と同じ質の石なので地続き
とされています。





 集合時刻が遅かったので奧津宮(江島神社)に着くと12時になっていました。
 稚児が淵で昼食とのことで525段の石段を下りました。下ると言う事は帰りは
又、525段上がって来なければならず心配しながら下りました。

 江ノ島へは良く鳥見に来ますが稚児が淵は何時も敬遠して下りませんので今回は
久しぶりに下りて見ました。
 昼食時には鳶に気を付けるように注意が有りました。



 昼食を終えて又、525談の石段を3回ぐらい休んで昇りました。

 江島神社の大銀杏も一昨年春の強風で倒れました。



 その昔、頼朝が寄進したここの鳥居も被害を受けて短くなり不格好な姿になり
ました。短足の頼朝の姿になりましたのも因縁でしょうか。



 午後は、山ふたつの地層を見ます。上の地層には比較的新しい関東ローム層が
出ています。その下は火山灰が堆積した所謂、軽石と言われる層があります。



 次ぎは竜口寺に移動し先ほどの天台山で見た礫と同じ質のものを見ます。
 仏舎利塔へ登る途中の崖に、ごく当たり前のように散らばっている小石が
それとの事です。一見しても我々素人には良く判りません。

 ここの地層も水平の断層となっています。



 切り立った崖に椎の木の根が逞しく伸びています。



 仏舎利塔の広場から江ノ島を見ると同じ高さに見え400万年前の地続きが
納得されます。



 竜口寺の裏山にも小石の散在する崖が各所で見られました。



 何百年と言うレンジで地球の組成を観察していると人生100年など、凄くミクロ
の事に思え気宇壮大になります。

 そうは言うものの天文学はもっと壮大で何億光年と言う気の遠くなるような事実で
宇宙は勿論、自然界の奥行きの深さをつくづく感じます。

 竜口寺の全景を振り返りながら、そんな事を思いつつ帰途に就きました。



 3月11日  晴天です。

 この日が大変な日になるとは夢にも思えませんでした。
 旧制中学の友人5名が毎年、この時期に集まるようになってから数年になります。
 今回も今日になりました。12時から2時間半ほど歓談し来年また元気で集まる
事を約束して別れ、それぞれ新宿駅へ向かいました。

 そして私は14時45分頃、中央線のホームに上がるべくエスカレーターに乗ると
がたがたと揺れ大きな金属的の音がします。まさか地震とは思わずやっとホームに
上がると電車が揺れながら入って来ました。ホームも揺れて初めて大きな地震と判り
ましたが、それでも一時的な現象と思い発車を待ちました。
 小田急の通信アンテナが90度に曲がって揺れています。

 いくら待っても運転の様子も無く駅員が立ち去るように指示するので、下のコンコ
ースへ行きテレビを見て初めて東北地方の大地震を知りました。

 東口の駅前は黒山の人で駅前の大型テレビを見ています。然し、この段階ではまだ
深刻な報道にはなっていません。外で運転再開を、この段階でも待ちました。

 17時になると風も少し出てきて寒くなりましたので駅員の制止も聞かず駅内に入り
ました。駅ビルの中は成る程危険かも知れませんが寒い戸外で待機させるマニュアル
通りの事しか言わない駅員にも融通をきかして貰いたくなります。

 18時になるとJRを始め私鉄各線も今日中の運転再開の見込みは有りませんと
告げています。
 鎌倉の状況を聞きたく携帯を掛けますが不通です。その為か、数少ない公衆電話は
何処も長蛇の列です。

 仕方なく食事でもと思って探しますが、閉店の店が多くやっと見付けた店も満席
状態でした。一人分が空いたので座り酒と料理を注文してやれやれでした。

 昼の会食がフランス料理だったのでカロリーが高く18時を過ぎても空腹では有り
ませんが、これからの事を考えると食べておかなくてはと思い食べました。

 食事が終わったものの、さてこれからどうするか考えると明日朝まで立っている
訳にもいかず、兎に角寝れる処を探さなければと思うものの勝手も判らずホテル探し
も疲れた身体では億劫になり思いついたのが少し感じ悪いが歌舞伎町なら何とかなる
であろうと思い歌舞伎町へ向かいました。

 適当に物色して入り、一人でも泊まれるかと聞くとOKとの事なので複雑な気持ち
でほっとしました。
 部屋はそれらしく豪華です。そしてムードたっぷりの造作です。

 兎に角ほっとして入浴して寝ましたが夜中に何回も余震で揺れました。

 3月12日   無情にも冷たく晴れています。

 5時に目覚めて、テレビを点けると被災地の惨状が放映されています。
 暫く見ていて6時に起きて7時にホテルを出て駅へ向かいます。

 JRは依然として動きません。東京へはメトロを利用して下さいと言うので
丸ノ内線で東京に出ました。
 この頃、小田急は曲がりなりにも運転再開していたようですがJRの方が確実
と思い信用していました。

 東京駅からは8時10分に熱海行きの一番電車が出ると報じているので混雑
覚悟でホームに上がると溢れるばかりの人です。とても乗れる状態ではありません
ので次ぎの8時40分の熱海行きの列に並びました。

 入線してきたのは10輌編成なので余計に混雑ですが何とか押し合いへし合いで
乗れました。車内は通勤ラッシュ時と同じ状態で、その上安全運転なのか、のろのろ
運転で止まったり動いたりする度に乗客が動くのでまともに立っていられません。
 20数年前の通勤の苦労が想い出されました。

 それでも大船まで2時間かかって漸く着いてやれやれでした。
 モノレールに乗ると、がら空きでほっとしました。

 それでも帰宅難民にならずに済んで被災地の事を考えると勿体ないような天国です。

 地球の基盤は絶えず動いているので何時又、どこかでこんな地震が起きるのは当然な
事ですが私の生きている間は出来ることなら避けたいと思います。