同窓会にまた行ったでー!

会えてよかった友・友・友、そして恩師。言えて良かったあの時ごめんねのひと言。次も絶対来ようね!

二回目の冬(バジル)

2007-11-20 10:03:42 | Weblog
ベランダのもみじは種から芽を出して、冬を向かえるのは二回目になる。
去年は幹の太さも爪楊枝ほどだったけれども、今はその三倍はありそうだ。
残念ながら紅葉はしてくれないまま葉を枯らし始めている。
育苗バットから来年は鉢に植え替えてあげよう。

おかげさまで(バジル)

2007-11-19 03:18:23 | Weblog
保険というありがたい制度のおかげで、盗まれたカードで使われた品物の代金は無事に私の手元に戻ってきました。まあ、振込み手数料の金額は支払ったので、実質は手数料の額が被害額?になるのかもしれないけれど。
お金が戻ってくると犯人に対する思いも薄らぐのは事実ですねえ。
でも、本当にそれで良いのかは、疑問が残ります。
制度の存在が、犯罪を助長させているのではないかと感じてしまいます。
会社のロッカールームでの犯罪。身近にいる犯人の顔は見えないけれど。
そんな人と一緒に働いていなければならないのも、気持ちのいいものではありません。
犯人探しをしたいという気持ちはないのだけれど、これでいいのか?
すっきりしない思いは残ります。
可愛い婦人警官さんとも会えたし、交番の雰囲気も良かったし。
保険の制度の利用法も分かったし。
まあ、いいいか。

青信号が点滅したら(バジル)

2007-11-17 05:17:48 | Weblog
青信号が点滅を始めると走って渡っていた時期は、それが当然で普通だと思っていた。
今は、よほどの事がなければ、次の青信号まで待っている。
私の中で早い事に意味を見つけたので、速い事の価値が薄らいだらしい。
早い事は余裕につながり、速くと思う事は焦りにつながる。
余裕を持てば優しくなれる。
だから焦らないように、早く起きるのだ。

何をしてたの?その1(バジル)

2007-11-16 00:01:38 | Weblog
同窓会の席で、質問があったのです。
JRCって、何をしてたの?と
私も入部してから、何をするのかを知ったので、部外の人が知らないのは当然ですよねえ。

卒業アルバムをご覧くださいませ。
JRCのメンバーには特徴があります。
それは何かと申しますと、3年生は全員1年6組出身者だということ。
部長は晴海のあの方ですが、活動の内容はほとんど私が決めていました。

私達が入部する前のJRCは、弱小クラブで、活動もほとんどしていなかたようです。

私達が2年になった時、1年6組の担任だった本田先生が、JRCの顧問を担当することになり、先生のよびかけで、私達は何をするのか分からないまま、入部したのです。

最初は、JRCって、何?を知ることから始めました。
ジュニア、レッド、クロスの頭文字をとってJRC
日本語になおせば、青少年赤十字なのです。

当時JRCのメッカと呼ばれていた、鶴崎工業高校から、全県協議会の会長だった梅田さんを杵築高校に招き、どんな活動をしているのかの話を聞いたのです。
その時の話で分かったのは、夏休みに「トレーニングセンター」と呼ばれる合宿があり、全県の次期リーダーを集めて行われ、これに出て初めて詳しい内容が分かるとの事でした。

そこで、「トレセン」に参加したのですが、本田先生も初めてでしたので、何も知らない私達は、私服で会場に行ってしまったのです。

いきなり怒鳴られました。
案内の文章に制服での参加という記述はなかったはずなのに。

おかげで、この時「トレセン」参加した杵築高校のメンバーの記念写真に写った顔は、みんなふくれっ面。本田先生に誤ってもらったのですがね。やる気なし。


全県で、80人くらいが参加していたと記憶しています。
開会式典が終了して、参加者全員が私服に着替えたころから、心もほぐれ、せっかく参加しているのだから、何かを掴もうという気持ちになっていったのです。

班分けが行われ、同じ学校の生徒が同じ班にならないように振り分けられました。
その班の中で、係りが決まっていくのです。

私の係りは「レクリエーション」。参加者を和ませると言うのが仕事です。
他に、「保健衛生」「食事」「広報」などの係りがありました。他にもあったのかな?思いだせないなあ。

スケジュールの中に自由な時間はほとんどなく、班の会議、係りの会議、全体学習、トレーニング 食事、就寝などがあり、かなり厳しいものでした。

全体学習で学ぶのが、赤十字とJRCの歴史、救急法、ボランティア 障害者について、献血の歴史と意義などだったと思います。

どの場面にも登場するのが、怖ーーーい3年生。「トレセン」全体を運営しているのが、この怖い3年生で、動きが鈍いと容赦なく罵声がとんでくるのです。

私も3年の時には、この怖ーい3年生の役をやりましたけどね。
もしかすると、全県でいちばん怖がられたかな?
やってみて分かったのは、この「怖い」も演じていたと言う事。

朝は起きると、準備体操に続き山道のランニング、終われば「来たときよりも美しく」を合言葉に掃除、食事、と続き、休むことなく、班の会議、係りの会議、全体学習と続くのです。

日程は、3泊4日だったか?4泊5日だったか?????まあそのへんです。
最終日の前日には、班ごとに、何を学んだのかを寸劇にして表現し、メンバーの投票で、順位を競うのです。

私達のE班の劇の題名は「知識は力なり」で、私はナレーターの役でした。
この時、劇の中でやったのが、救急法。「やり方を間違えると、助けられる命を逆に失わせることになる。」といった内容です。
何か賞をもらったはずです。

各班の発表が済んだあとは、キャンプファイアー。

盲学校の生徒も参加していたので、私は、「耳で聞いて動きの分かるフォークダンスの説明」を考え、見えないメンバーの側に行き、一緒に踊ったのを覚えています。

別れ際に盲学校の木村さんに、「あなたのおかげで、初めてフォークダンスをみんなと一緒に踊ることができて、とても楽しかった。」と言われ、感動しました。

最終日には、閉会式が行われ、そこで、「トレセン」バッチを頂くのです。
怖い3年生も含め、ほぼ全員が号泣するのですが、今思うと、ちょっと異様な風景だったかも?


私はこの「トレセン」での収穫が大きかったように思います。
短い時間に何かを感じ取り、自分の考えをまとめ、発言し、行動ていくことができるようになったと思っています。
この「トレセン」で学んだ「ボランティア」についての学習内容を今でも、私のボランティア講座で講演しているのですから。

杵築高校に戻ってから、実際に何をしたかは、次回また。

窓の灯はあたたかい(バジル)

2007-11-15 05:21:21 | Weblog
始発電車は午前5時5分に発車します。

私が電車に乗る駅は、地下にあり、次の駅は地上なので、発車すると間もなく上り坂になり地上に出てきます。

地上に出て2秒程で、我が家の前を通過。
家族に頼んで、電車から見える窓の灯を点してもらっているのです。

今の時期、真っ暗な地下から地上にでてきても、やはり真っ暗なまま。
暗闇に光る我が家からの灯は、ふと心温まるものなのです。


思い出したくなかった(バジル)

2007-11-13 20:16:59 | Weblog
nashika殿の一言で、封印していた記憶の箱の紐がとけ、
ぱっくりと蓋が開いてしまい、
同窓会を早めに切り上げて睡眠をとるはずが、
うなされたおかげで、午前1時には目覚めてしまい、睡眠不足となりました。

事の経緯や結末をどうしたかも、かなり詳しく思い出してしまいましたよ。
当人が忘れていることを、よくもまあ、あんなこと覚えてましたねえ。


実は謝りに行ったのです。
謝りに行くことが出来たのは、高校を卒業した後でしたけど。

確かに、やりました。
授業ボイコット。


水口先生の現代国語の授業でした。
物語の登場人物の心情を記述した内容の解釈。
私個人の解釈と、水口先生との解釈にズレがあったため、
授業を受けながらも、かなり、かりかりしていたのです。
特に色記述の解釈について、「ばら色」を水口先生が「赤」と言った時に
私の頭をよぎった言葉は、「こんな授業は、聞いてられない。」でした。

折りしも悪く、教室の窓側前方で、男性の数人が騒ぎだしたのでした。
その騒ぎの原因を、私は知りませんでした。

私の席は廊下側から二列目、一番後ろかそのひとつ前だったので、
比較的出て行きやすい位置でした。

その時、「俺の話が聞けんやつは、出て行け。」との声が響いたのです。
水口先生の左側の顔が見えていたので、
その言葉は私に向けられてはいなかったはずなのに。
私の頭と体が反応してしまったのです。

ばっと立ち上がり、教科書を思い切り閉じ、机にたたきつけ、出口へ。
扉を力いっぱいに開け、大きな音をたてて閉めました。
誰かが止めようとしてくれたみたいだったけど。
水口先生の「ほっておけ」という声を背中で聞いたのです。

それから美術室に行きました。
清水先生に「どうした?」と声をかけてもらいましたが、「ちょっと。」
と言っただけでした。
美術室前の廊下から、教室の方向をみると、何事もなかったように、
授業が続いているのが見えました。

そこから、実は私の苦しみが始まったのです。
この行動表現では、何に対する抗議行動なのか、伝わっていないからです。
抗議文を書こうと、ノートに山ほど何かを書いた記憶があるのですが、
上手く文面が繋がらなかったのを覚えています。
ただ、何かについて、許せないと書いていたはずです。
今は中身を思い出せなくなっていますが、書いたことだけは覚えています。

とりあえず、ボイコットしたのは、その授業だけで、
次の授業には教室に戻っていたはずです。
行動を起したのは自分だけだったこともあって、
自分の中で、正しい行動なのか、誤った行動なのかの言い合いをしていました。
結論は出ないまま、時は過ぎて、
そのことについて、友人も何も言わなかったと思います。

自分の中で解決を図ったのは、卒業した後になりました。

授業ボイコットの謝罪だけで、先生のご自宅を訪ねる勇気はありませんでした。
そこで、他の理由を考えたのです。
「農機具の研究」がネタでした。
電話で、訪問の理由を伝え、
日を改めて、カメラを持ち、ノートを携え、心臓が波打つ音を感じながら、
水口先生のお宅に向かいました。

私の中の本来の意味である謝罪は、一瞬で終了。
ごまかすように、「農機具」の話題にはいり、
いろいろと見せていただいたのです。
ついに、「農機具の研究レポート」も書き上げることは出来ませんでした。

それでも、私のなかの戦いは一応この時に終わって、記憶を封印したのでした。








きっとテンプレートの加減だね(バジル)

2007-11-12 13:09:31 | Weblog
自動的に画像サイズが変更になるテンプレートなのかな?

こんな合成写真つくってみました。
撮影の段階で、モードを3種類に分けてあります。
ストロボを使うものと、使わないものとでは、
かなりイメージが違いますから。

できれば、お一人につきモード違いで3枚づつ9枚撮影できていれば、
もっと面白くなったかも?
一応男性を主役に考えて構成したつもりです。
ただし、脇○さんのナイスなショットが無いす。ごめんなさい。

どう?

関西同窓会2回目開催しました

2007-11-11 12:11:18 | Weblog
先日の10日土曜日に2回目となる、関西同窓会を開催しました。

今回は新たに衛○君、渡○さん、秋○(杣○)さんが参加され、総勢11名で楽しいひとときを過ごしました。

渡○さんは残念ながら仕事の関係で途中退席しましたが、31年ぶりに懐かしい渡○節?が聞けて嬉しかったです。

衛○君と秋○(杣○)さんも高校卒業以来こういう集いに参加するのは初めてということでとても楽しそうでした。
特に衛○君は有○君と小学校からの幼なじみだと言うことで話が弾んでいました。

この日はちょうど山○君の誕生日ということもあり、途中で有志によるプレゼントを手渡され、喜びもひとしおだったと思います。

次回の開催日を決める段になり、有○君が5月10日ならオレの誕生日なんだがなーという一言で、この日に開催が決定しました。
場所は皆さんがぜひ道頓堀の界隈で集まりたいと言うことでしたのでその方向で行く予定です。(「くいだおれ」か「かに道楽」あたりかな?)

ということで、関西同窓会は年2回、春と秋に開催で定着しそうです。


追伸
今回アップした写真は渡○さんの助言で修正を行いました。
次回は都合をつけて、最後までいてくださいね。

草花の名前わかるかな?

2007-11-08 10:36:17 | Weblog
今年は五月晴れもあまりなかったけれど、秋晴れもあまりなくてなんか変

先週、紅葉を見ようと出かけたのですが、まだまだで残念。
でも、近所では少しずつ紅葉が始まり、桜の落ち葉の絨毯を踏みながらのウォーキングを楽しんでいます。
紅葉した木々の中に白い小さな花が見え、近づくと冬桜でした。

雑草や花を見ても名前が分からないことがよくあるのですが、ラジオから
デジカメや携帯電話で撮影した画像を送ると、草花の名前を教えてくれるサイトが人気を集めていると聞こえてきて、
そうだ新聞でも見たなと探して見たら載っていました。

「はなせんせ」(http://abocj.jp/)
名前を教えてもらうには、メールアドレスを登録して会員になることが条件ですが、利用は無料でニックネームで大丈夫です。
撮影した場所(都道府県、街中か山中など)や時期が分かると特定しやすいそうです。

みなさんも利用して見てはいかがでしょうか