Heal-log

つれづれなるままに。

本を旅する。

2005年05月25日 | 読書
旅に出たとき、その場所が本で読んだことのある場所だったりすると感慨もひとしおである。

紀行文なんかだと、その場所が出てくるのは当たり前なのだけれど、普通の小説の舞台だったりすると自分がその物語に入ってしまったようで何だか不思議な気分になる。
活字で見て想像した景色と実物が同じだった日には著者の描写力に感動し、実在しないはずの登場人物がそこにいたかのように感じることさえある。

私の直近の旅はGWに出かけたイタリアである。

イタリアに関して私は特に多くの本を読んだ訳ではない。けれどもこれまで行った何処よりも記憶の中の本のフレーズが浮かんでくる場所だった。

写真はミラノのサンタ・マリア・デッレ・クラッツィエ教会の中庭だ。江國香織氏の「冷静と情熱のあいだ Rosso」の主人公あおいが「ミラノ中で一番好きな場所」で、本の中では「カエルの庭」と表現されている場所である。
そしてここの静けさは、この庭を私にとっても「ミラノ中で一番好きな場所」にした。


ヴェネツィアは浅田次郎氏の「蒼穹の昴」を思い出す場所だった。
この小説自体は清代の中国を舞台にしたものなのだが、物語のキーパーソンとして登場する乾隆帝の宮廷絵師ジュゼッペ・カスチリョーネの故郷がヴェネツィアであった。

1700年代に彼がビバルディと語ったというカフェ・フローリアンは現在もサン・マルコ広場に実在する。ビバルディが通ったというのも本当のことのようで、私はカプチーノを飲みながら浅田氏の創作力に舌を巻くばかりだった。


ローマでは沢木耕太郎氏の「深夜特急」が頭に浮かんだ。
この本を読んでいなければ、私はサン・ピエトロ寺院にミケランジェロのピエタがあることも知らなかっただろう。
沢木氏に「それにしても天才という奴は・・・まったく困ったものだ」と言わしめたこの彫刻の繊細さは想像を絶するものだった。


沢木氏の言葉を借りると、本という奴はまったく困ったものである。
読んでいる最中は仕事をはじめ、社会生活がおろそかになってしまうし、読んだ後には登場人物の足跡を追体験したくなってしまう。
だからこそ止められないのであるが。

次に旅が出来るのはいつだろうか。
どこに行くかの予定も全くないし、行く場所を決めてから関連のある本を読むのは何となく邪道な気がするので、どこに行ってもその旅に挿絵を添えてくれる本に出来るだけ多く出会いたいと考える今日この頃である。社会生活をちゃんと送れる程度に。

新宿は豪雨

2005年05月24日 | Weblog
と始まる東京事変の「群青日和」は私のお気に入りの歌の一つであるが、今降り立った新宿はまさに豪雨だった。

傘持ってないんですけど…
帰りまでには上がりますように!


コトバのチカラ

2005年05月24日 | つれづれ
言葉の持つ力はとてつもなく大きい。
それをプラスに働かすかマイナスに使うかはその人次第・・・といったところであろうが、多くの人はプラスに働かせたいと思って暮らしている(筈だ)。

かく言う私もそう願って日々気を付けている訳であるが、これがなかなか難しい。
少なくとも、人の悪口や批判だけはなるべくしないようにしているのだが、
「あーもう嫌だー」などと毎日のように口走っている自分がいる。そんな人は多いのではないだろうか?

しかしながら、世の中にはさも簡単に言葉をプラスに働かせてしまう人がいるもので、歌手の故藤山一郎氏などはその名人であったと、天声人語か何かで読んだ事がある。
藤山氏は否定的な表現を全く使わない人で雨が降っても「良いお湿りで」とおっしゃったというから脱帽である。

ずっと忘れていたこの記事を思い出したのは、会社の上司にこんな事を言われたからだ。

今日は年末でもなければ、期末でもないのだが私の働くオフィスでは大掃除の日であった。年末の大掃除から5ヶ月、書類を貯め込む癖のある私の引き出しは、既に満員御礼状態となっていた。
気合いを入れて整理にかかったもの1枚1枚紙とにらめっこしつつ「捨てて良いものか」などと悩むものだから一向に作業は捗らない。

そんな私を横目で見ていた上司が一言。

「モノ持ちいいねぇ」

ちょっとズッコケそうになった感は否めないが、そのあとで言うのである。
「その辺は捨てちゃってもいいんじゃないか?」と。

上司の許可を得た事で山積みの書類は次々とゴミ箱に消え、私のデスクに平和が戻った。

そしてふっと考えた。どうしてそういう言い方ができるのだろう?と。
そういえば、この上司はやはり肯定的な表現が多い。「早く片付けろ」の代わりに「モノ持ちがいい」と言い、「仕事が遅い」とは言わず「ノンビリやだからなぁ」と苦笑する。たとえお説教の時でも。

マネジメントの手法と言えばそれまでかもしれない。
けれども、肯定的なモノ言いが出来る人は肯定的な生き方をしているのだろうと私は勝手に思っている。それが言葉にも出るのだろうと。
そして、そんな人を私は無条件に尊敬する。

もし今日の事を上司に伝える事があったら、きっとこういうだろう。

「そんなこと言ったっけ?」

もしかしたら、ただ天然なのかもしれない。
それでも、コトバのチカラを最大限にプラスに活かせるようなモノ言いとそんなコトバが自然に出てくるような生き方が出来れば・・・と思った次第である。

明日も忙しそう・・・でなくて充実した一日になりそうだ。

イタリアの標識たち

2005年05月23日 | こんなもの見つけた
いつからかは分からないが、標識や看板が好きだ。
単純な絵で言葉もないのに(あるものもあるが)
誰が見ても何を言わんとしているのか分かってしまう
そんな彼らを私は心ひそかに尊敬している。

例えば、非常口。
人が走っているだけの絵なのに、色だって緑と白だけなのに、
そこから外に出られると瞬時に分かる。
つくづく偉いヤツだと思う。

それにしてもこの標識、国や地域によってデザインが微妙に
異なっているのも事実である。
例えば香港の非常口は走っている人の背後に炎と思しきものが
迫っていて、より一層の臨場感を引き立たせていた。
それからというもの、ご当地標識を探すことが私の海外旅行の
楽しみの一つとなっている。

先日イタリアを旅した。
この国は何と言うか標識の宝庫のようなところで、撮った写真の
半分くらいが標識なってしまったくらいである。
やはり、色々な言語の国が地続きでつながっているからなのか?
などと妙な感慨に浸ってしまった。

そのイタリアで、特に惹かれる標識をローマの地下鉄で発見した。
「妊婦さんに座席を譲りましょう」的な意味であると思うのだが、

○妊婦さんのお腹の中にちゃんと子どもがいる!
○座席に座っている人の態度が微妙にダレている!

ことに妙に感心してしまった。
うーん、すごい。しかも、かわいい。

ちなみに帰りの飛行機(JAL)の機内誌でこのようなデザインを「ダッチデザイン」として紹介していた。

しかし、ここはイタリア。
こういう標識デザインの正式な呼び名ってあるのでしょうか???

それにしても画像の縦横が逆なのが残念。






開設。

2005年05月21日 | Weblog
世の中の流行が気になって開設してみた。
いつものとおりの思いつき。
いつまで続くかはわからないけれどやってみよう。