「どうやったら感情的にならないか」を訊かれた。
とっさに「自分との勝負」って答えた。
私自身が、「感情的にならない」ために、自分と勝負しているからだろう。
____________
この心理を深堀りすると、たぶん、私が学んだアドラー心理学の影響がある。
アドラー心理学では、「原因があるから結果がある」とはあまり考えない。
「目的のために行動している」と考える。
原因論ではなく、目的論。
ちなみに原因論はフロイト的。アドラーは目的論。反フロイト。
なぜ感情的になるのか?
アドラー心理学を知らないと、今の日本人(おそらく世界中の人)の99%は、「感情的になる原因があったからだ」と考える。
原因があるから結果が起こる。
あながち間違いではない。
しかし、これはフロイトに影響されすぎ。
なぜ感情的になるのか?
感情的になることで、何かの目的を達成しようと思っているから。
そう、コペルニクス的転回をする。
「感情的になる」という手段を選択することで、相手を屈服させる、自分の意見を通す、言うことを聞かせる、その場の空気を支配する、などの「目的」を達成しようとしている。
これは、無意識的に、そうなっている。
※ このアドラー目的論は、フランクルの「刺激と反応の間のスペース」にそっくり。二人の心理学は8割か9割重なる。
____________
そう考えると、「感情的になる」ってことが、恥ずかしくなる。
いい大人なのに、知的職業に就いているのに、弁護士なのに、「感情的になる」という手段で目的を達成しようとしていいのか。
それって小っ恥ずかしい、情けない、ダッサいことではないのか。
そう考えると(たぶんすぐには身につかない、数ヶ月か数年単位の修行が必要)、人は「感情的になる」ことがグッと減る。
まあだれしも聖人君子ではないので、完全にゼロになるかどうかはともかく。
私が最近、感情を抑えることができているのは、こういうアドラー心理学の影響が大きいと思う。
アドラー心理学によって、感情的になる前に、立ち止まることができる。
「オレは感情的になるというダッサい方法で目的を達成していいのだろうか」と。
____________
冒頭の「自分との勝負」に戻します。
感情的になりそうなとき。
「感情的になる」というダッサい方向に行かないで、理性的に理知的に冷静に紳士的に振る舞うという、辛い・難しい方向に行く。
我々には常にこの2つの選択肢が与えられている。
アドラー心理学を学ぶと、この選択肢・別れ道を意識できるようになる。
ラクな感情的な道ではなく、辛い冷静な道を選ぶという「勝負」をする。
そしてその勝負に勝つ。
やや精神論めいた結論ですが、これが私の「感情的にならない方法」です。