50歳になった。人が引き受けない宗教案件とかを引き受けている。
インテグリティとか古典(論語)とかの本を書いている。
より、「人と自分との違い」を意識するようになった。
まだ数日だけど、シカゴで出席している環太平洋法曹協会(IPBA)の大会でも、かつてほど浮かれた(エンターテイナー的な)振る舞いはまだしていない(今晩するかもですが)。
最近1,2ヶ月、考えていることを書きます。
50歳からは「風呂敷を畳む」準備をするのかな、と。
今まで、風呂敷を広げてきた。
野球したり、空手したり、司法試験受けて弁護士になったり、100キロマラソン走ったり、トライアスロンしたり、書道したり、シンガポール行ったり、公認不正検査士とか経営倫理士とかコーチングとか論語指導士の資格取ったり。
上海(蘇州)とかシンガポールとかアメリカ・サンディエゴとかのプログラムに参加したり。
毎年一つ、業務範囲を拡大させてきたり。本を8冊も書いてきたり。
そんな感じで広げてきた風呂敷を、どう畳むのか。
- 結局、お前の人生は何なのか。
- 一言で言うと、中山達樹の人生って何だったのか。
- お前の売り、USP、強みは何なのか。
そんな感じで、「風呂敷を畳む」準備をしている。
別に畳まなきゃいけないと思っているわけではありませんが、50歳になって、他の人にはない私の特質とかを考えて、そういう、「人の行かない方」に行こうかな(そちら方面に畳もうかな)的なことを考えている。
古典から学んだ美しさを、体現するような、精神性を高める、的な。
ヨコのrat race (出世競争)に齷齪(あくせく)するのではなく、タテのvapor race(私の造語、蒸気のように上に行く)で頑張る、みたいな。
これが最近の私の心境の変化。
まだまだ風呂敷は広げますが、いやもっともっと大風呂敷を広げますが、でも反面、どの方向に、これまで人生で広げてきた風呂敷を畳みに行こうか、ってことも考えている。
これは、最近、50代や43歳位の人に話すんですが、結構、みなさん理解して共感してもらえる。
孔子が「五十にして天命を知る」と言ったのは、こういうことだったんでしょうかねぇ。