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「大坂の陣 ウォーキング!!」~木村重成と大坂の陣戦跡コース~2015.02.20.

2015年02月20日 22時00分00秒 | 歩ける内に、ウォーキング
2月20日(金)


              「大坂の陣 ウォーキング!!」
                 ~木村重成と大坂の陣戦跡コース~

たまたま見た新聞広告に、このウォーキングが載っており、地元で近場のようなので、きまぐれに参加しました。



                    









スタート時間が、午前中、自由に参加出来、受付をしてマップを片手に勝手に廻れるという企画もの。

スタートとゴールがいっしょで、双方向から自由に選んで行けるというものです。
私は、近鉄「若江岩田」駅からスタートをして、近鉄「八尾」駅を目指して行きました。

道中、八尾駅からスタートした人たちともすれ違ったりします。
距離は町ん中6kmなので、普通に行けば1時間半くらいで行ける楽なものであります。

まぁ、要所要所、歴史ポイントをじっくり見ながら、ボランティアのガイドさんの話なんかも聞きながら歩くと、2,3時間くらいのものであります。

今回は、「木村重成戦跡コース」であります。
私みたいな歴史をあまり知らない者でも、真田幸村は知っておりますが、木村重成は初めて知ったしだいであります。

大坂夏の陣(1645年)、冬夏と家康に大坂城の堀を埋め尽くされ、丸裸状態の大坂城を守るため、秀頼の重臣だった木村重成らが、現在の東大阪、八尾で家康軍と熾烈な戦いを繰り広げ、討死をしたという事であります。

そんな戦いを想像しながら、歩くというちょっとした、ロマンであります。



午前10時ころ、近鉄「若江岩田」駅に着きました。

                    

受付が午前中いっぱいあるのに、意外と朝早くから、並んでいるのに驚きました。
受付で資料をもらい、簡単な説明を受けて、各人自由に出発であります。

やっぱり、こうゆうウォーキングは、中高年の方がほとんどで、家族連れやカップルなどはいませんでした。

ここで、歴史的背景の資料を参考に見て頭に入れて置きます。

****「大坂夏の陣」資料をまるまる引用***********

豊臣家の存亡をかけた戦いで大坂の役とも云う。
1614年(慶長19年11月)の大坂の冬の陣と翌年の大坂夏の陣の2度の合戦があった。

徳川家康は豊臣氏を滅ぼそうとはかり、京都方広寺大仏殿の鐘の銘文に関東不吉の語句があると言いがかりをつけた。

「国家安康」っという文字が、家康を引き裂くというものである。
そして、家康軍は、大坂城を攻めたが、難攻不落と言われている城なので簡単には行かず、一か月の長期にわたって両軍の対峙が続いた。

家康は和睦工作を始め、翌月いったん和睦が成立し、本丸を残し二の丸、三の丸の櫓や石垣まで破壊し堀を埋めてしまった。

1615年(慶長20年)4月29日大阪泉南樫井で合戦の火蓋が切られ、5月6日道明寺と八尾、若江での大激戦が展開され、翌7日城南で戦闘が行われ大坂方の有名武将がことごとく討死し、大坂城も火災に包まれて落城をした。

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****「若江の合戦」資料をまるまる引用***********

若江の合戦は、東高野街道を南下して道明寺方面へ進出をくわだてる関東の主力部隊およそ12万を側面から攻撃をしてこれに大打撃を与えようと、5月6日の早朝大坂城を出発し、豊臣方の長曾我部隊5000は八尾で徳川方先鋒の藤堂高虎隊5000と、豊臣方木村重成隊4700は若江で徳川方井伊直孝3500と激突した。

若江での戦いは玉串川の西方にある小堤上や田間のあぜ道上での小部隊同士の熾烈な戦いであった。

互いに勝敗を繰り返し、早朝から昼過ぎまで数時間戦われた。
豊臣方飯嶋三郎右衛門は、徳川方山口重信の従兵と槍を合わせ討ち取るが、山口重信に槍で突かれ倒れた。

木村重成は、山口重信にかかり、槍で馬上から突き落とした。
山口重信と飯嶋三郎右衛門の二人とも従者にかつがれて退去したが絶命した。

この戦いで豊臣方は、木村重成・増田盛次をはじめ900余人を失ったが、藤堂隊も重臣6名を含めて兵300余人、井伊隊も武将数人と兵100余人を失いました。

この日の午後6時頃、徳川家康・秀忠は枚岡に至り、豊臣方の薄田隼人、木村重成らの首級を実検した。

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それでは、出発します。
商店街や民家の中を歩いていると、第一ポイントの「飯嶋三郎右衛門墓」が、見つかりました。



                    



                    

そして、木村重成の陣跡です。



                    



                    



                    



ガイドさんの説明によると、かなりの男前で、首実検を予想して、頭髪に香りを炊き込めてあり、家康を感嘆させたという事らしいであります。

秀頼の為、また手柄をたてたかったのか、くたくたの兵士に無理やり続けさまに戦わせたので、討死をするはめになってしまうんですね。

その重成の位牌と妻の青柳の位牌が祀っておるお堂が、次の蓮城寺にあります。

                    



                    



                    



                    



奥さんの青柳の悲しみが想像できますね。
ねねは、秀吉の菩提を高台寺で余生を送りながら弔ったとされるに、青柳は20歳の若さで、子供を産んで後追い自殺をするのって、よっぽど重成を慕っていたのか、ちょっと胸に来るものがありますね。

重成の血を引いた一歳の乳呑児を置いては、普通逝けないでしょう。

                    



                    




ここで、ガイドさんが蓮城寺も含めて3人いらっしゃって、それぞれが、木村重成の戦いの様子を熱弁しておられました。

それぞれの、お話しぶりを聞くのを面白いです。

                    



                    



                    



この木村重成のお墓の北側に第二寝屋川をはさんで、重成に討ち取られた山口重信のお墓があります。

                    



                    



                    



この墓地に入ると、ひときわ大きい石碑が見えるんですが、後ろ向きになっているんですね。
そして、鉄製の櫓のような物が囲んであり、ちょっとお墓らしからぬ風貌でちょっと驚きますが、よく見ると傘のような石が崩れないために固定をしてあるんですね。

昔、墓石が折れて重信の祟りだと騒がれた事があったそうで、敵の木村重成に対して横向きに、重成の墓は、後ろを向くようにしたとか?っという説があるそうであります。

それにしても、この墓地、一般の方のお墓も多いのに、観光客がずかずかと入っていくのはちょっと気が引けますね。

                    



ここも一応入って見学をしたんでありますが、考古学のお好きな方でしたら、展示をしてある発掘土器などを見て楽しいかもしれませんが・・・ちょっと私は・・ねぇ

でもその時代の人たちの生活ぶりを知れば、これもロマンがあり面白いことでしょう。



                    



                    



ちょっと、このお地蔵さんのお堂は、夜に尋ねるのは勇気が要りそうであります。
肝試しにいいかもしれません?・・・

                    



                    



                    



ここのガイドさんは、拡声器をつけて、口に泡を吹きながら熱弁をしておられました。
口の中がカラカラに見えて、お茶を一口呑んだらっと言うそうになります。

最後のポイントの常光寺です。

                    



                    



                    

立派な門構えで、かなりの年代もので仁王さんが両脇を見張っておられるのは、京都ではよくあっても大阪で見るのは珍しいのでは?と思います。

お地蔵さんをお祀りしてあり、西の大関とも言われている八尾地蔵があるそうであります。
また、閻魔さんのお堂もあります。

お地蔵さんは、閻魔代大生の化身だと言いわれているからですね。
その閻魔さんのお堂を、撮りに行こうとして、お堂の中が見える小窓(京都の六道珍皇寺もそうでしたが、閻魔さんのお堂って、小窓でしか見れないんですね・・)から、カメラを向けて写しました。

閻魔さんの顔をアップにして撮るとなぜか、真っ黒になってよく写らないのであります。
何度か試してもだめで、夜モードで撮るとフラッシュが焚かれてしまいました。

暗いお堂の中が、一瞬フラッシュで明るくなり、「これは、まずいのでは・・?」っと思い、ちょっと怖くなって、撮影をやめ、今撮った分を削除してしまいました。

なんか、閻魔さんがお怒ってはるような気がして、祟りを恐れて消してしまいました。
本当は、このブログで紹介するはずなんですが、申し訳ないです。

でも、ここの閻魔さんは、目が大きくパッチリしてそんなに怖くないカンジでした。
このお堂、外になんにも書いてないので参拝者は、気づかないので素通りをしてましたね。

私は、ガイドさんの説明を聞いたのでわかったんですが、一般の人はわからない思います、これもなんか意味があるんですかね・・?

京都の六道珍皇寺の閻魔さんは、ちゃんとお堂に書いてあったんですが、もし、閻魔さんを見たいでしたなら、京都で撮ったのがありますから、こちらをご覧ください。

ちょっとわかりづらいかもしれませんが、六道珍皇寺の部分の中にあります。

    #012「京都・東山界隈の散策」




                    




                    



                    

血の板天井、どうですかね?意外と普通の天井で綺麗なような気がしますが、所々シミになって見えるのは、首を置いた所でしょうか・・?

豊臣家の無念が残る天井なんでしょうが、現在ある我々の世の中になるには、豊臣家では成しえない事のように思うので、これはこれで歴史として仕方がない事なんでしょうね。



                    

ゴールの八尾駅に着き、スタンプを押してもらいこれで終了であります。
今回16987歩・・でした。

来週は「真田幸村」コースになり、今回より3.5km増えて9.5kmになります。
しかし、雨の予報なので、中止になるかもしれません。






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