ごんつまのあかるく・たのしく♪

単調な毎日のなか・・・
嬉しかったこと、楽しかったことなど・・・

牛の守護人舟城の天王さん「舟城神社」

2020-01-16 22:04:28 | お出かけ・兵庫県 丹波市

こんばんは~

 

きょうは、パソコンの机を少しだけ移動するつもりの模様替えに予想以上に時間がかかってしまって

遅い時間の更新になってしまいました~

 

それでは、興禅寺を出て・・・

次に訪れたのは、牛の守護人!というのが気になっていた「舟城神社」

階段からは上がらずに、右手の車で上がれる道路から!

徒歩で上がって来ると

階段の方に戻ってから入ります。

振り返って・・・

広い境内で森閑としています

重々しい雰囲気で身が引き締まります。

先ずはお詣りを・・・

消えかけているので分かりずらいのですが

ご神木がありました。

近づいてみると祠が!

奥の方へ・・・

奥の黒いのは牛です。

あまりお詣りする人もなさそうで、苔むした所もあちらこちらに・・・

主祭神 須佐之男命です。

牛の守護以外に疫病、風邪、作物を害虫を防ぎ、農家の人たちの安全を守っておられる神社なのですね、、、

ここでもまた!古を感じ先人たちに想いを馳せる出会いがありました~


丹波市「黒井城跡」・春日局生誕地「興禅寺」

2020-01-15 10:49:06 | お出かけ・兵庫県 丹波市

おはようございます

 

    きょうは日差しは届いていますが、冷え込んで寒い~

 

それでは、昨日のつづきを・・・

「黒井城跡」の麓まで来ましたが

かなり上です~

黒井城跡は中世末期、奥丹波の盟主であった赤井(荻野)氏の居城跡で、織田信長の丹波攻略の際には、二度にわたって明智光秀の攻撃を支えた城である。 本丸をはじめとする山頂の曲輪群は、堅固な石垣で囲まれ、三方に伸びる山稜上に城砦群を配して、全山を要塞化したこの城の構えは、光秀の攻撃を長期にわたってしのいだその歴史にふさわしいもので、戦国期山城の典型として高い評価を受けている。
  城跡は標高356mの猪の口山を中心に広がり、本城部分は南北に約150mの山頂を削平して、北から本丸・二の丸・三の丸を段階状に配置している。またその一段下に、これを取り巻くように東曲輪・西曲輪及び帯曲輪を配して防御を固めている。
  また、大手口・二の丸・本丸などの主要部分には石垣を築いているが、いずれも野づら積で、天正期の構築と考えられ、本丸二の丸からは、今なお部厚い平瓦・軒丸瓦・雁振瓦などが見い出され、かなりの規模の瓦葺建造物があったことが想像される。
 黒井城跡は永禄から天正期の城郭遺構が、その後改変の手が加わることなく良好に残されており、城郭史上きわめて貴重な城郭である。(丹波市HPより)

 

右の階段は健脚コース

左はなだらかな山道ですが・・・

距離はありそうです

後々、体・膝に堪えそうなので登るのは諦めて、右手のお稲荷さんに・・・

倒れそうな鳥居

頭に当たりそうでしゃがんで上がります~

「豊岡稲荷」

 

上がるときには気が付かなかった

手入れが行き届かないのでしょうか

駐車場に・・・

登山口から下へ・・・

「興禅寺」

春日局の生誕地!なのです、、、

中へ入って

庭園があります

興禅寺を出ると

(植木で見えにくいのですが)

案内図もありました

「春日局庵」

中に・・・

お隣に「歌道寺」

どちらも古に想いを馳せる素晴らしいお寺で過ぎ去った歴史を感じてきました。

この後、もう1神社訪ねてきました~

またのちほどに・・・


丹波市春日町「つわものどもが夢の跡~黒井城と直正~」特別展と「郷土資料館」

2020-01-14 11:14:59 | お出かけ・兵庫県 丹波市

おはようございます

 

    いいお天気ですが下り坂です、、

 

昨日もお出かけ日和の快晴暖かいいいお天気でした~

そこで、日曜日の朝刊に載っていた ポスター丹波市「春日歴史民俗資料館」へ

丹波市役所に駐車して

すぐ右手に

「郷土資料館」

左に

残念ながら撮影禁止!でしたが・・・

『「丹波の赤鬼」と恐れられた直正は、天正3(1575)年から始まった明智光秀の丹波攻めで一度は光秀を敗走させたが、

戦のさなかに病に倒れ、同6(1578)年に死去。翌年、黒井城は落城した。』

約80点が展示されて、直正が使っていたと伝えられる槍や書状、黒井城下の絵図、織田信長・光秀の肖像画に光秀の書状など

書状は現代文に訳されて展示されていたので、解りやすくて戦国時代のやりとりの様子が理解できました。

 

黒井城の歴史

 黒井城の歴史は、赤松貞範(則村の二男)が建武2年(1335)丹波国氷上郡春日部荘を与えられ、山頂に簡素な城を築いたことから始まるといわれる。赤松氏の後は早くから対立関係にあった荻野氏が城主となり、荻野正元・荻野秋清らが在城したが、天文23年(1554)一族の荻野直正が秋清を倒して入城し、悪右衛門と称した。
 直正は、赤井一族を統率し、永禄8年(1565)には丹波守護代の内藤宗勝を倒し、氷上郡のほか天田郡・何鹿郡を制して丹後・但馬にも勢力を拡大した。今日にも見る黒井城の遺構の大半は、この時期に改修・構築したものであろう。城主荻野直正は、元亀元年(1570)織田信長より丹波奥三郡の安堵をうけたにもかかわらず、天正初年以降、逆にこの黒井城を本拠として、反織田勢力の一翼を担い、武田勝頼・石山本願寺・毛利氏(吉川元春)らと意を通じた。
 天正6年(1578)直正は病死し、その子直義の後見として直正の弟幸家が一族を指揮したが、天正7年(1579)8月9日ついに落城、光秀の丹波攻略は完了した。
 氷上郡一帯の統治のため、黒井城に入ったのが光秀の重臣斎藤内蔵助利三で、利三は下館を陣屋とし、領内の治安と復興に力を注いだが、この陣屋で利三の末娘として生まれたのが、お福・後の春日局と伝承されている。
(丹波市HPより)

 

その後、へ・・・

「郷土資料館」では、先人たちの生活用具、農具など・・・

初めて見る農具があって、感心したり納得したり・・・見て回った後がちょうど昼食タイム

取り合えず、おなかを満たしてから

「黒井城跡」へ行くことに!(頂上が本丸!)

 

登っていく自信がないけれど、せめて登山口まで!と!行ってきました~

そのことは、またのちほどに・・・


2020福袋♪

2020-01-06 16:01:38 | グルメ

こんにちは~

 

    お天気~下り坂~です、、、雲が広がってきました

 

先日、お初天神へ初詣に行った帰りに、阪神百貨店へ・・・

キーコーヒーの福袋がありました! 

これで!2000円(消費税込みです)

    

    6点入ってます

福袋!以前は元旦早々から並んで買ってました、、、が・・・

昨年、何年振りかで、コメダ珈琲の福袋を買っています。布製の手提げ袋に惹かれて (ブログには載せてませんが・・・)

暫くコーヒーの在庫を気にせずに、色々な味を愉しみます~


神戸市北区で運よく出会った「塩田八幡宮」へ・・・

2020-01-05 11:24:49 | お出かけ・兵庫県 神戸市

おはようございます

 

    きょうは冷え込んで寒い朝です~

 

昨日は日差しが届くいいお天気でした

そんな中・・・昨年末ゴルフに出かけたごんすけさんがゴルフ場に忘れ物を!

ドライブがてら取りに行くことに

ついでに何処か初詣の神社仏閣はないものかな???と検索すると、三田市で見つかりましたが・・・

どうも、紅葉で出かけたお寺のようで

40分ほど走らないと!行き先を変更!途中でUターン!

道場辺りまで引き返してくると、道路横に「塩田八幡宮」の案内板がずーーっと!

案内板に誘われて立ち寄ってきました。

田圃に囲まれた広い駐車場で、大勢参拝されている様子です。

いい雰囲気~

長い参道を歩いて・・・

150段の石段

右手のスロープから

この先で石段から上がったところで出会うのですが・・・

まだ上があります!

引き続きスロープで・・・

到着!

右手が石段を上がったところ

厄神大祭日が有名で、由緒ある八幡宮です。

本殿へあがって・・・

お参りをすませて・・・

「御神木」右が檜・左が山桃!

「室町時代後期1528年、京都山城国男山より八幡三神を歓請して石清水八幡宮の別宮なった頃より生えており樹齢五百年以上経ている御神木である。」

すごいです!檜と山桃が合体している!

奥に回ると!「神明神社」「神楽殿」

「武内神社」

「?」(控え忘れてます

「山ノ神社」

帰りも坂道から!

「厳島神社」がありました。

私達もお礼をして帰ります。

運よく出会った「塩田八幡宮」・先日出かけて又お参りしたいと思っていた「石清水八幡宮」の別宮で

古を感じ、厳かな雰囲気の八幡宮に出会えて、いい気分~すっきり気分に

なんか・・・いいことありそうな・・・