たつの市の記事がつづいておりますが・・・兵庫県の情報誌で知った「室津海駅館」
紹介記事に『室津港は、その名の由来が「風を防ぐこと室のごとし」と「播磨国風土記」に記される、古くからの良港。
江戸から明治にかけては北前船の寄港地として栄え、まちに残る関連施設など五つが一昨年5月、
日本遺産「荒波を超えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前寄港地・船主集落~」の構成文化財に認定されました。』と・・・
そして・・・その一つに「市立室津海駅館」。北前船で財を成した廻船問屋「嶋屋」の住宅を活用した資料館。
この記事で、室津港へ行ってみたい!!!気持ちが強くなり「南光ひまわり園」観光と併せて今回の小さな旅になりました~
入ってすぐに・・・
北前船の模型
室津海駅館は、近世から近代にかけて廻船問屋として活躍した豪商「嶋屋」の遺構です。建物は、嶋屋(三木)半四郎が江戸後期に建てたもので、1873(明治6)年に一部増築しています。 館内では、海の宿駅として栄えた室津の歴史を、「廻船」「参勤交代」「江戸参府」「朝鮮通信使」の四つのテーマで紹介しています |
展示テーマは、「廻船」、「参勤交代」、「江戸参府」、「朝鮮通信使」の四つに大別しています。
室津が海を通してどのように外部世界とつながっていたかを展示しています。
展示室1 「廻船」
瀬戸内海は、日本の海運発展の中心地です。その東部に位置する室津は、古くから海上交通の要地で、すでに中世には、「室の船頭」による商品輸送がさかんでした。江戸時代になると西回り航路の発達により、室津の廻船問屋の活動は北海道にまで及びました。ここでは、嶋屋を中心に室津の廻船について紹介しています。
羽鰊(はにしん) |
展示室2 「参勤交代」
1635(寛永12)年に参勤交代が制度化されて、九州・四国・中国地方の西国大名は、瀬戸内海を船で渡り江戸に向かいました。参勤コースにあたる室津は、単なる寄港地ではなく、多くの大名の上陸あるいは乗船地点でした。最多時には6軒の本陣を構え、海の宿駅として大いに栄えました。
本陣肥後屋 模型 |
本陣肥後屋 関札 |
本陣薩摩屋における大名の献立(複製) |
展示室3 「江戸参府」
オランダは、江戸時代、長崎の出島で通商を許されていました。オランダ商館長は、通商免許のお礼として、毎年、江戸の将軍に拝礼し御土産物を献上しました。これを江戸参府といいました。旅行は厳しい監視のもとに行われましたが、オランダ人にとっては日本をじかに観察するよい機会でもありました。オランダ人の見た室津の資料を展示しています。
ケンペル「日本誌」 |
展示室4「朝鮮通信使」
朝鮮通信使は、朝鮮国王の親書を日本の将軍に持参した使節団です。使節団一行は、正・副使を中心に500人前後で、海上では大船団を組み、陸上では大行列を作って江戸への旅をしました。その際、海駅室津には必ず寄港しました。当時の室津での応接の様子を展示しています。
(たつの市HPよりお借りしました)
寄港地
鰊干し・羽鰊
関札宿札
海の宿駅として栄えた室津の歴史が展示されています。
箱階段
あまり写真は撮っていなくて
2階へ
室津港が見渡せます!
「小林俊彦の世界」
開催中です~
風はそよ~と!しかし、汗が噴き出てきます 撤退します!
反対側(玄関?)から出て
子どもたちが「室津海駅館」を写生中なので、正面からは撮るのは控えました、、、
風情のある家
一般のお家のようです~
この辺りは観光用の表示があります
気温はグングン!上昇!!!
自動販売機を見つけると、水分補給を・・・
次の「室津民俗館」へ移動します~が長くなりますので、つづきます~