すがわらの工房日記

東北は岩手県一関市の呉服屋。こつこつと友禅染めをしています。

蝦夷(えみし)再考その3 大化の改新

2016-11-06 20:05:44 | 歴史とか
皆さんこんにちは!

さてさて
蝦夷再考の時間ですよー。

まあ、あくまで私見です、愚見です。
酒の肴です。
それを踏まえたうえで始めます

蝦夷(えみし)が初めて史実に登場するのは「日本書紀」「古事記」神武東征記においてです。
5世紀の中国の歴史書『宋書』倭国伝にもそれらしい記述もみられます、
それ以前の資料が確認されていないので何とも言えませんが

日本書紀では登場するなり「蝦夷これ最も強(こわ)し~」とか、いきなり強敵扱いです。
初登場でもう当然のように斃すべき敵として第一級の悪役に記されてるんですよね。



ところが古墳時代辺りまでは蝦夷に当たる人々と大和政権は何気に良好な関係を築いていたと思われます。

確かに日本についての記載が中国の史書から消えた期間、空白の四世紀とか色々あります。
でもそれは特段記録するほどの事が無かったともとれるわけです。
(まあ、当時の中国自身が多忙でそれどころではなかったってのもあるでしょうけど)

とにかく
交易等の痕跡もさることながら、何より全国各地に古墳が築かれているんですよ。
南は九州鹿児島から北は何と北海道まで確認されています!古墳が!
ここ岩手県にも古墳があります、しかも前方後円墳。
この事からも何だかんだで両者共存関係にあったんじゃないかなあと思う訳です。


そこから一転 征夷が始まったのが大化年間(645年~650年)辺りからみたいで、
日本が律令国家として歩み始めるのと同時期です。


この間に何かあったんだな、と思う訳です。


思い当たるのは「乙巳の変 645」これですきっと。

蘇我入鹿様が、あーっ!あわわ、

暗殺と言うにはあまりにも開けっ広げな、これは公開処刑ですよね
一種のクーデターです。


それと言うのもこれ以降、大化の改新を境に日本の風俗習慣が
がらりと様変わりしてるんです

中でも特筆すべきは「装身具の類が一切消失」している事です!

古墳の副葬品なんか見ても明らかですけど、


それまでは首飾りや腕輪指輪、冠に至るまで、
宝石や貴金属製のとにかく様々なアクセサリーを身に付けていたんですよ

勾玉とか
埴輪も身につけてるくらいですから、付けてて当たり前だったんです


王権側の皆さんも蝦夷(えみし)の皆さんも同じように飾りを纏ってたと思われます。

それが全く身につけられなくなってるんです!

以後日本は1200年余りアクセサリーの空白期間を過ごします
(江戸時代の簪や櫛はあくまでも整髪用具)

代わりに冠位十二階とか十二単とか、染織技術を駆使した色彩の文化が始まります。


私のやってる友禅染もこの延長線上にあるわけで

それはそれで素晴らしい事だけど、


でもこれね、凄い事ですよ
これもう異文化ですよ異文化!

ここまでがらりと変わるってことは、前後で価値観の大転換が起きてるってことです
しかも人工的に!
これまでの文化を全否定して新しい価値観を導入してるんです、
為政者が変わったって事です。

こんな変化が日本ではもう一度起きています。

明治維新です。
それまで当たり前だったちょん髷を法令まで出して切らせました。


徳川治世は全否定されました。


為政者が変わったからです。


という訳で
大化改新で国のスタンスが変わりました。
まるで人が変わった様に一大方針転換をした朝廷が
国家の支配領域を拡大するにあたり
従わぬ原住の人々を野蛮な異民族であるとして「蝦夷」と呼び
軍事力で制圧していく事になるのでした。


いわゆる「蝦夷」という概念が生まれたのはここいら辺なんじゃないかなあと思うな、ボクは。


もう一回だけ続くかな

蝦夷再考その1

蝦夷再考その2
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